瀬尾先生の第12弾

さーばーちょくげき・・・・汗
かわいいるーちゃんです。ジョンベネ報道見てて思いついた・・・(汗)
とり頭さんへ捧げます。上手く編集すれば、八枚くらいでいけるみたいです。適当にカット・付け足していただいてもかまいません。


「ツォンさん大変です、社長が倒れたって・・・!!」
イリーナが息急き切って駆け込んできた。ツォンは資料のファイルから眼を上げた。
「何・・・!何があった!?」
「それが・・・会議中に突然らしくて・・・今、病院に運ばれたそうです。神羅病院の・・・」
皆まで聞かずに、ツォンは部屋を飛び出した。

ルーファウスは、アバランチの襲撃にあった翌日から復帰していた。折れた肋骨を薄い金属ギプスで固定し、体中に走る生々しい傷はテープで保護し、その上から服を着込んでしまえば惨状はほとんどわからない。そうして、彼はそしらぬ顔で陣頭指揮にあたっていた。
しかし、一度鎮痛剤が切れれば痛みが襲ってくる。会議などが長引いてしまえば、呼吸をする度に一瞬、息をつめるのがわかった。確かに他人にはわからない程度の時間である。が、ツォンにはその様子がはっきりと見て取れた。

見かねたツォンは休息をとるようにと進言したが、言葉一つでたやすく却下された。緊急事態というのもあったが、この局面で他人に弱みを見せればつけいられる恐れがあるという。正論であるが故に、それを力づくでは押し止められなかった。そこに彼の甘さがある。ツォンは己を責めた。

(やはりお怪我が・・・・何故あの時にとめられなかったのか・・・・まったく!!私が止めなければ、誰が止めるというのだ!?)
自責の念が心の中で渦巻く。知らず知らずのうちに固く拳を握り締め、掌にくっきりと爪の跡が付いていた。

「ルーファウス様っ!!」
病室の扉が開くのももどかしく駆け込むと、医師団がベッドを取り囲み、何やら相談をしているところだった。
「あ・・ツォンさん・・・」
幾度となく、幾年となくルーファウスに付き随ってきたツォンの貌を知る医師は多い。 そうして、彼らもツォンのその献身的な振舞に、例え本人には知らせぬ事でも、彼にだけは信頼して漏らすことがよくあった。
その一人が声をかけてきた。それに気づいたほかの医師も、そっと二手に別れ、ベッドの方へ道を作る。そこには絶え間なく数値の変化するモニター類と、それに繋がれたルーファウスの姿があった。
「ルーファウス様の、容体は?!」
「それが・・・・」
一人の医師が首をふる。一瞬、ツォンの背に冷たいものが走る。
「わからない、のです。」
他の医師がためらいがちに、そう言った。
「わからない・・・とは?いったい何がだ・・?」
不思議な答えだった。仮にも世界最高の医療技術を誇る神羅の、それもエリート医師団がわからないとはどういうことなのか。安堵するよりも先に、ツォンの胸に不安が去来した。
「・・・・わかりません・・・今のところ、全ての検査結果・・・脳波にも、CTスキャンにも、血液検査にも異状は現れていないのです。まだ少し時間のかかる検査もあるので断定はできませんが・・・」
そこで言葉は切れ、隣の医師が引き継いだ。
「あえて異状があると言うなら、睡眠時と同じ脳波が出ていることくらいです。しかし不思議なことに、皮膚などに刺激を与えても覚醒の兆候が現れません。」
いわば、ただ眠っているだけ、という状況なのらしい。
「こんな症状は初めてです。他にも検査を行ないますが、しばらくは様子を見るよりしょうがないかと・・・・」
そう言って医師達は項垂れた。仮にも最高の医学者として自信を持ってきたに違いない彼らにとって、それは認めたくない事実の一つだった。
「そうですか・・・・・」
ツォンは溜め息を吐いた。彼らがそう断言するまでには多くの峻巡があったに違いない。医師達の顔に現れる憔悴し切った様子を見ては、頷くしかなかった。
「では・・・私たちは少し、席を外していますから・・・・」
医師達が気の毒そうに出ていった。広い部屋に、電子機器の音だけが響く。
もう一度、横たわるルーファウスの寝顔を見てみた。母親似だと言われる、線の細い整った美貌。その整いすぎた目鼻故に、今までに数々の苦難を強いられてきた。
(・・この人は・・恵まれた環境に生まれながら家庭の愛すら知らない・・)
ツォンとルーファウスが出会ったのは、ツォンが五年に渡る長い研修を終え、タークス入りしてすぐ・・十七の時だった。その頃ルーファウスはまだ七才で、その幼い子供の護衛が最初の任務だった。
思えばその頃から、既にルーファウスは帝王としての資格を兼ね備えていた。あくまでも尊大で、他人に決して弱みを見せず、人材をいかに効率良く利用するかをよく心得ていた。当然人に心を許すというような事はなかったが、なぜかツォンだけにはよく懐いた。 そんなルーファウスが十二才くらいの頃、本社ビルから帰ってくるなり洗面所に駆け込み、胃の中のものを全て戻し、胃液だけになってもまだ吐き続けるということがあった。慌てたツォンが駆け寄ると、触れるなとその手をヒステリックに振りほどき、今度は床にへたり込んで泣きはじめた。
「大人なんか・・・嫌いだ・・汚い・・みんな、みんな嫌いだっ!!」
そっと肩を抱き、落ち着くまで待ち、嘔吐物で汚れた服を脱がせようとしたとき、ツォンはあちこちに残る赤い印を見つけてしまった。
「これは・・・まさか・・・」
今日の予定は、午前中の勉強が終われば父親のプレジデント神羅との昼食だけのはずだった。それはどう考えても二時には終わるはずだった。その予定が、大幅に伸びている。ツォンは、自分の思考を疑った。
「・・・そうだよ・・君の考えている通りさ・・・だから・・触らないで・・・」
震えながらルーファウスは泣いた。眼が真赤に充血している。確かに母親似の、少女のような面立ちではある。母親は自分の容姿と奇麗なものにしか興味のない女で、ほんの半年前に、自動車事故であっけなく逝ってしまった。その母親に、似てはいる。しかし、ルーファウスは男で、しかも少年で、その上親子である。ツォンはかすかに目眩がした。

「ルーファウス・・・様?」
かけるべき言葉が見つからなかった。ただじっと、いつまでも抱きしめていてあげたかった。
その愚行は、プレジデントが死ぬまで続いていた。時にはプレジデント本人だけでなく、その取り引き相手に男女を問わず提供される事すらあった。彼の父親にとって、彼は子供ではなく、ただの便利な道具でしかなかった。そんな時、ルーファウスは決まってツォンの胸の裡で声もなく泣いた。

そんな暗い過去を秘めながらも、あくまでも気高い美しさを保つ容貌にツォンはそっと触れた。額にかかる髪を指先で払い、整える。胸は微かにだが上下しているのがわかる。今にも眼を開けそうだった。

「起きてください・・ルーファウス様・・」
呟いた途端、後ろから風が流れてきた。誰かがドアを開けて入ってきたのかと思ったが、振り返っても誰もいない。怪訝に思って立ち上がると、ベッドの向こうから子供が顔を覗かせた。
「誰だ?!」
思わず拳銃を出そうとしたが、その手が途中で止まった。子供は幼い頃のルーファウスにそっくりだった。
「君は・・・・?」
「ルウ。」
「どこから入った?」
「さっきからずっといたよ。」
「そこで何をしている?」
「そんなことより、ツォン、遊ぼう。」
さらりと言ってのけて、こちらへ回ってきた。年は七才くらいだ。黄金色に輝くブロンドと、海のように深い蒼の眼。見間違えようもない。白いセーラーカラーの上着と、紺色の揃いの半ズボンをはいている。ルウと名乗った少年は物怖じしない、人懐っこい笑顔でツォンの手を引いた。
「何故私の名前を・・・・」
「なんでって、ぼくのこと、忘れたの?」
ぷう、と頬を膨らます。その様子はまさにルーファウスそのものだったが、では今ここに寝ているルーファウスは一体・・・?ツォンは首をひねった。
「と、ともかくそれはいいとして、とりあえずここから逃げましょう。」
別に悪いことをしているわけではないのだが、この様子を他の人間に見られてはまずいような気がし、ツォンはルウの小さな手をとって病室を出た。

幸いにも、誰に見つかることもなく病院からミッドガル市内の、ツォンのマンションにまでたどり着いた。広いワンフロアータイプの居住空間には、ベッドとデスクとテーブル、ソファといった、呆れるほど最低限の家具しか置いてない。その広い間隙を、ルウは喜んで走り回った。
「やれやれ・・・・我ながらまた面倒を・・・」
ツォンは大きな溜め息を吐いた。つくづく面倒見が良過ぎるタイプだと、レノやイリーナにからかわれるが、こんなとき、自分でもしみじみとそれを感じる。
「ルウ・・だったかな・・・御両親は?」
「ツォンしってるでしょ。パパはプレジデントだよ。ママはねー、えーっと・・・」
「だから、そうじゃなくて本当のパパとママは?」
「だから、これが本当なのっ!!」
こんな押し問答が十回ほど続き、ついにツォンが根負けした。
「わかりました・・・ということは、君はルーファウス様だということにしておきましょう・・・」
「ルーファウスじゃないのっ、ルウなのっ!!」
力一杯否定してくれた。そのへんややこしいが、とりあえず性格はルーファウスそのものである。どうして縮まっているのかなどの問題点はさておき、迷子ならじきに連絡が入るはずである。それまで当分、一緒に暮らしてみる事にした。

「さてと・・・・」
あれから一応、ルウを連れて共に行き付けの家庭料理屋で夕食を摂り、戻ってきた。日頃家を留守にしていることの多いツォンにとっては、食事とはほとんど外で摂るものであり、冷蔵庫の中には朝食用のパンとチーズと飲みもの、後は冷凍食品と、今日は珍しくルウの為に帰りに買ってきた果物があって関の山といったところである。もっとも、店のほとんどは神羅が発行するカード一枚で精算できるので、いっこうに不便さは感じない。この街ではカードマネーが既に実用化されていたが、清潔でかさばらないとなかなかの人気だった。
「ルウ、もう遅いからお風呂に入って寝なさい。」
ツォン本人はニュース以外ほとんど見たことのないテレビを、おもしろそうに見ているルウに、ツォンは新聞を畳んで声をかけた。
「んー・・・」
生返事が返ってきた。眼はしっかりと画面を見据えているが、頭の中は半分睡魔に侵されているらしい。放っておけばこのまま眠ってしまうだろう。ツォンはため息混じりに立ち上がって、ルウを抱きかかえてバスルームに入った。

「ほら・・手をばんざーいしてください・・はい、次は足・・」
手際よく脱がしながら、バスタブに湯をはる。手を入れて温度を確かめ、ルウをほうりこんだ。
「自分で洗えるでしょう。私は向こうで待っていますからね。タオルはここに置いておきます。」
カーテンを引き、ルウの服をまとめて全自動ランドリーに入れた。ルウが風呂からあがる頃には、洗って乾いて妨しわ加工をして出てくるはずである。ほっとした面持ちで立ち去ろうとしたが、カーテンの向こうからのんびりとした声が聞こえた。
「ツォンー、シャワーに手がとどかないー・・」

結局一緒に入る羽目になって、ツォンはますます疲れてしまった。おまけにパジャマの事までは考えていなかった為、急きょツォンのパジャマの上だけを借りてご機嫌である。 「わーい、ツォンとおそろいっ!」
「はいはい・・・・」
明日はパジャマと、着替えも何枚か買わなければ・・・そんな事を考えながらあきらめてベッドに入ったツォンを追いかけ、ルウが潜り込んできた。ツォンの胸に全身でぴたりとくっつき、ツォンの髪をいじりながらあっというまに眠ってしまった。
「やれやれ・・・」
こういうところが、妙にルーファウス本人と似ている。利己的で独占欲が強く超がつくほどの自己中心的。しかし、こうやって見てみると可愛げもある。
(案外・・本当にルーファウス様なのか・・・?)
ツォンの腕と胸の間に丸まるようにして眠っているルウの顔を見れば、現在のルーファウスの面影が確かにある。身じろぎすると、甘い子供特有の匂いに混じって、淡いコロンを付けたようなルーファウス特有の体臭が確かに判別できる。その匂いと共に、ツォンは余計なものまで思い出してしまった。
(・・・・・・・これは・・・まずい・・・・)
「あの時」の、声と顔である。感度の良いしなやかな体が、喘ぎながら自分の下でいく瞬間、この匂いがより強くなる。その顔がルウの顔に重なってしまった。
(・・いくら元はルーファウス様でも・・・それでは犯罪だ・・・・)
こんな時に常識派はつらい。
ほかのことを考えようとすればするほど、その顔が脳裏に浮かぶ自分に冷たい汗をかきながら、ツォンはひたすら朝が来るのを待った。


次の朝、ルーファウスの幻影と戦いながらやっと明け方にうとうとしたツォンは、微睡むまもなくルウに起こされた。
「ねーツォンー、お腹すいたー。」
そんなもの自分で食べてください、とは言えない年齢である。この年で育児とは・・・ふらつく頭を抱えながら、ハムとチーズをのせてパンを焼き、昨日買ってきたオレンジを切って、コーヒーをいれ、ルウには牛乳を入れてやった。
「いただきまーすっ。」
にこにこしながらトーストに噛りつくルウを、ツォンはコーヒーを飲みながら見ていた。これが本当に十数年であのルーファウスになるのだろうか。今まではただまっすぐ前を見て進んできたが、思えばかなりの年月である。自分の人生の半分は、ルーファウスと共に歩んできた。ルーファウスのほうにしてみれば、物心ついた頃からはすべてといってもよい。
(長かったのか・・短かったのか・・・そうしてこれから・・・)
タークスという、いわば特殊部隊員である故に、いつ命を落とすかはわからない。一体いつまで、彼らは一緒にいられるのか。ふと不安を感じるときがある。そんな彼の想いをよそに、ルウは今度はオレンジと格闘していた。はっきりいって食べる分より自分にかかっているほうが多い。
(その前にもう一度、風呂だな・・・)
ツォンは苦笑して、不安を拭い去った。
「ルウ・・?」
「なに?」
オレンジの汁でぺたぺたになりながら、それでも食べる気満々のルウが顔を上げた。
「今日は、あなたの着替えを買いに行きます。ついてきますか?」
「うん!」
元気良くうなずいた。途端にオレンジを取り落とした。
「やれやれ・・・・ところで、子供服というのはどこに売っているんだ・・?」


「ツォンさぁーんっ!」
繁華街の向こうのほうから、イリーナが駆けてきた。いつものくすんだ色の制服とは違い、茶色いストレートのカラージーンズの上に、派手な黄色のTシャツをかぶっている。足元も当然スニーカーである。まるで女子学生のような格好だった。見ているうちに、またたくまに側に来た。
「はぁ・・・はぁ・・・・遅れてすみません・・まだ寝起きで・・」
それでもご機嫌といった様子で息を整える。大好きな人から呼ばれれば、いつでもどこでも駆けつけたい。そんな様子が伺えた。
「いや・・こっちこそ・・すまないな・・非番なのに・・」
タークスの非番と言うのは、基本的には「命令のないとき」である。よって指揮系統の直属のボスであるルーファウスがあのような状態の場合、否応なく休みになる。
あれからしばらく考えた挙げ句、結局子供服がどこに売っているのかもわからなかったツォンは、タークス内で一番買い物事情に通じていそうなイリーナに電話をかけた。本当にそれだけだった。彼には、適材適所の能力はあっても、色恋ざたにはとことんうとい。
「いいんです。ツォンさんのお願いだし。どうせ部屋の掃除とゲームでもして一日つぶす予定だったし・・でもでも、仕事の携帯のほうにかかってきたから、一瞬、なんだと思っちゃいました。」
正直言って、非番の朝である。もちろん、まだベッドの中でうとうとと気持ち良く微睡んでいた。そこにコールがなった。
普通の電話なら、当然無視して居留守電を決め込むところだが、ホットラインの携帯の方ではそうもいかない。ごそごそと枕元を探し、スイッチを入れたところ、ツォンの情けない声が聞こえてきたというわけだ。
「でも・・・なんで子供服なんですか?」
子供服を売っているところを教えてくれというのを、イリーナ自身もいまいちよく知らないからと言ってデートにこぎつけた。勿論独身の彼女が知っているわけもないが、仙人並の世間知らずであるツォンよりは、普段買い物をしているだけに一つ二つは心当たりがあった。そのショッピングモールのあたりを待ち合わせ場所に指定して、記録的な速さで着替えて飛び出してきたというわけだ。
「いや・・その・・・この子のものなんだが・・・」
良く見れば、子供が一人、ツォンの長身に隠れている。ひどく人見知りをする様子で、じっとツォンのジーンズを掴んで離さない。イリーナはしゃがみこんでその顔を覗きこんだ。
「すまない、さっきからこんな調子で・・ほら・・ルウ・・イリーナお姉ちゃんにご挨拶しなさい・・」
いささか持て余し気味の様子でツォンが声をかけると、渋々顔を出した。その顔を見て、イリーナは驚いた。鳶色の瞳がまんまるになる。
「この子・・・新社長と似てません・・・?名前も・・」
憎き恋敵の顔である。忘れようも見間違えようもありはしない。
「いや・・その・・・人からあずかったんだが・・・・・」
苦しい言い訳である。疑い深そうに、イリーナは長身の上司を見上げた。
「・・・・着替えも渡さずに、ですか?」
鋭い。ちなみに、ツォン本人の隠し子かとも思ったが、それにしては顔形が違いすぎる。
「あ、あの・・いや・・・急だったから・・いつになるかもわからないし、と・・」
「じゃあ、そういうことにしておきますが・・・ツォンさんて、捨て犬や捨て猫見ると後先考えずひらっちゃうタイプでしょ。」
「・・・・・・・・・・・」
否定できない。イリーナは苦笑した。だから、この人が好きなのである。
「いいです。もう。いきましょ。ルウちゃん。」
ルウの手を引き、イリーナはモールの方へ歩き出した。後からツォンが慌てて追いかけて行った。

「いっぱい買っちゃったー。やっぱり車でくれば良かったですねぇ・・」
一通り買い物をして、山のような紙袋を下げながら、三人はパティオ風の休憩スペースに設置されたベンチに腰掛けた。
「しかし、こうも繁華では・・・」
ツォンが行き交う人々を見ながらため息をつく。もともと人混みは好きではない。ルウはさっきイリーナに買ってもらった携帯ゲームに熱中している。
「車止めるスペースないんですよね、ここ。一番なんでも揃うんだけど。えーっと・・何か買い忘れは・・・」
袋の中身を探りながら、薄いピンクのマニキュアをした細い指を折っている。ふと顔を上げたルウが、思い出したように呟いた。
「お腹、すいた・・」
そういえば、時計を見ればとうにに昼時を過ぎている。夢中で買い物をしていて、誰も気づかなかった。
「あらほんと・・朝食べてないからわからなかった・・・」
イリーナが呑気に呟いた。思いがけずしっかりしているようで、意外に抜けているところが妙に可愛い。
「何にしようか・・駆り出したお詫びに、好きなものをご馳走するよ。」
「うーん・・そうですねぇ・・・ねぇ、ルウちゃん何食べたい?」
上手に決定権をルウに回した。ルウは考えることもなく、即座に叫んだ。
「ハンバーガー!」


「すまないな・・ルウの偏食のせいでジャンクフードになってしまって・・」
ハンバーガーショップのテーブルで、ツォンはイリーナに詫びた。が、当のイリーナは結構嬉しそうにチキンのハンバーガーに噛り付いている。
「いいんです。私、サンドイッチとか、パン系大好きなんです。ねー、ルウちゃん?」
それに加えて、好きな人とならなんでもおいしい。が、それは胸の内でのみ呟いておいた。
ルウは一心不乱に、自分の顔の半分以上を覆うハンバーガーにむしゃぶりついていたが、イリーナが声をかけるとソースだらけの顔をあげてにっこり笑った。憎い恋敵にそっくりの子供だが、可愛いことには問題はない。無邪気なその様子に、お人形遊びをする要領で世話をやく。
その仲の良い様子にほっとしながら、ツォンは適当にオーダーしたハンバーガーの山から、自分も一つ適当に取り出した。絵柄からして魚系のものらしい。食べてみると確かに魚だが、なにか、非常にデフォルメされた味がした。
怪訝な顔をしたのがイリーナの目に留まった。ツォンの手もとをのぞき込んで、見当をつけたらしい。笑いながら、それの説明をしてくれた。
「それはね、ここの名物のフィッシュバーガーなんですけど、魚嫌いのお子様でも大丈夫、というのがウリなんです。でも、魚の味じゃないですよね。それ。」
「そんなものがあるのか・・・・」
「ええ。なんか、ダイエット中の女性の間でも人気があるとかないとか・・ルウちゃんもお魚、嫌いなんですか?」
「あぁ。昨日の夕食では、煮た野菜と魚類と・・色々残していたよ。生の野菜と果物は良く食べるんだが・・・」
「そうですか・・・」
イリーナはしばらく顎に手を当てて考えていたが、にっと笑ってツォンの方に向き直った。
「あの、お昼のお礼に今夜、うちでお食事していかれません?」
「え・・?」
「こう見えても私、料理うまいんですよ。久しぶりに腕を振るってみたいけれど、食べてくれる相手がいないものだから寂しくて・・・。」
「迷惑じゃないのか・・?」
「ぜーんぜん。じゃ、決まりですね。後でスーパー寄りましょう。」
ものごしは優しいが、言葉には思いがけない強さがある。ツォンがたじろいでいるうちに、それは決定されてしまった。
「で、メニュー、どうします?」
満面の笑みを湛えながら、イリーナはハンバーガーに再度取りかかった。

「ふぅ・・・・」
「ご苦労様でした。とりあえず、キッチンに全部おいといて、リビングで休んでてくださいね。掃除してないし、散らかってますけれど。」
重い荷物をがさりと下ろし、ツォンは周囲を見回した。ワンフロアーでだだっぴろい自分の部屋とは違い、一部屋ずつきちんと仕切られた正統派の作りだった。リビングに入ってみると、意外に女っけのないシンプルな家具で、テレビの前にはゲームやディスクなどが転がっていた。
(少し意外なような・・・・)
落ち着かない気持ちで腰を下ろす。女性の部屋というものが初めてというわけではないが、ここは不思議な違和感と存在感がある。
「ねぇ、ルウちゃーん、お手伝いしてよ。」
キッチンから明るい声が飛んだ。

「ルウちゃん、甘いお菓子好きでしょ。」
キッチンから、甲高いにぎやかな会話が聞こえる。
「うんっ。」
「んじゃ、おいしいベリーがあったから、タルトを焼こうか。」
「わーいっ!」
ルウが無邪気に歓声を上げた。
計りの上にボールをのせ、小麦粉と砂糖とバターと卵を入れる。それを片手でよく練り、手早く伸ばして耐熱皿に敷いた。
「じゃ、ルウちゃん、このフォークで、いーっぱい穴開けてちょうだい。」
「いーっぱい?」
「うん。いーーーーっぱい。そうするとね、膨らまないできれいに焼けるの。」
「ふーん・・・・」
上手にルウの相手をしながら手際良く料理をこなしてゆく。その様子は仲の良い親子のようにも見えた。
(親子・・か・・・)
いつ命を落とすかも知れない職業ゆえ、結婚などは考えたこともないが、こんな生活もいいかもしれないと、ふと思った。
そんな自分の甘い想像に、ツォンは苦笑する。
(何を馬鹿なことを・・・・)
笑い飛ばしてしまいたかった。しかし、笑いは途中で張り付いた。草原を吹く風に髪をなびかせながら、僕が本当に女だったらよかったのだろうか・・・と、そう、悲しげに呟いたルーファウスの横顔が浮かぶ。愛しあっていても、決して報われない恋。しかし、あの人を捨てることは、ツォンにはできない。

メインディッシュの魚のソテーは、かりかりとした衣と、トマトなどの生野菜とハーブを刻んでドレッシングで和えたソースがよくあっていた。スープはたくさんの野菜を使ったじゃが芋のポタージュで、サラダはチキンの冷製と歯ざわりのよい刻んだ野菜とを東洋風の油の少ない、少し香辛料の利いたドレッシングで和えてあった。
いずれも簡単だがアイディアに富んだ料理に、ツォンは感服した。正直、何が出てくるか冷や冷やものだったのだ。魚嫌いのルウも、ソテー野菜のソースでなんとなく食べてしまったらしい。皿は奇麗になっている。その技量に、ツォンは改めて賛辞を送った。

「はい、お約束のデザート。」
ハーブティとともに、白い皿に、素朴な赤いパイ菓子がのせられた。茶色くこんがりと焼けた皮から、煮えたベリーの良い香りがとろりと漂う。
「うんっ。」
とても良いお返事をしながら、ルウはにこにことフォークで崩し始める。その様子を嬉しそうに見ながら、イリーナはツォンの方を伺った。
「ツォンさん、甘いものは・・・」
「・・・・・・いや、いただくよ。せっかく作ってもらったのだから・・」
イリーナの顔に笑みが浮かぶ。一口食べると、さくさくとした皮と、中の甘酸っぱいベリーが程よく調和していた。
「なるほど・・いい味だな。」
「北の山間の村の、酸っぱいベリーをなんとかして食べるための季節菓子です。」
「・・故郷か?・・・よく帰るのか?」
意外だった。タークスの連中は基本的に過去については不問である。だから、自然とその話題は避けられていた。
「・・タークスに入るってことで喧嘩して以来、帰っていません・・なんにもないところです・・」
「そうか・・・嫌な事を聞いたな・・・」
イリーナはぶんぶんと首を振った。慌てて否定する。
「いいえ。好きでやっているんですからいいんです。帰ったらどうせ結婚しろってうるさいんだし、ここには何でもあるし・・・」
そこで、ハーブティを一口飲んだ。小さくため息をつく。
「でも・・ミットガルには季節がないんですよね・・・」
魔胱という、無尽蔵の巨大なエネルギーを利用して造られた街は、四季を通じて物品を生産し、人の生活を管理する。それは、便利ではあるが、季節の訪れを知る楽しみを人々から奪っていた。
「・・・ところで、タークスの仕事はどうだ?うまくいっているか?」
ツォンは意図的に話題を変えてみた。
「そうですね・・先輩達いい人だし・・でも、暇さえあれば誰が誰を好きだとか。そんな話ばっかり・・・ついていけません。」
つん、と唇を尖らす。それは半分は、こんなにも愛しているのに全然気づいてくれないツォンへのやきもちが含まれていた。
「そうか・・イリーナは、恋人とか、いるのか?」
唐突な質問だった。思わず、あなたですと答えてやればどうするだろうと考えてしまった。
「いますけど・・・その人は私のことなんかちーっとも気づかないんですよね・・・」
「そうか・・・イリーナ程の美人をほうっておくとは、ひどいな・・」
「それ以上の美人が側にいれば別ですけど。」
「・・そうなのか?」
あてつけのつもりだったが全然気づいていない。悲しさを通り越して、滑稽さを感じてしまった。
「では、ツォンさんはどうなんですか?レノ先輩達の話だと、例の古代種の・・・・」
矛先をかえてやった。てき面にツォンが慌て始める。
「いや・・その・・エアリスは昔から面倒を見ていたから・・・」
「それが怪しいんですよねぇ・・・」
「だからそうじゃなくて・・・」
「じゃあ新社長ですか?」
「・・なんでルーファウス様が・・・第一、男だろう・・」
言い分けが苦しすぎる。もはや、異性間にのみ恋愛が存在する時代は終わっていた。
「男同士でもいいじゃないですか。別に。」
「だからそういう問題ではなくて・・・・」
「もう、はっきりしてくださいっ!」
ライバルが多すぎる上に、社内では、「ベスト・オブ・朴念人」と名高いツォンのことである。このままでは自分の気持ちなどには一生気なんかつきそうもない。
・・・まったく・・女の子に告白させる気なんですか?!
イリーナは一度詰め寄ってやろうかとも思う。が、そうしてきっぱり振られたときの事を考えると、恐くて実行に移せないでいた。
(・・・ふぅ・・・私らしくないなぁ・・・)
細い眉に、憂いの表情が浮かぶ。さらさらとした金髪が、顎のあたりで揺れる。そういえば、さきほどからやかましやのルウが妙に静かなことに気がついた。ふと隣の椅子を見ると、デザートフォークを持ったまま、倒れるように眠っていた。
「ルウちゃん・・・?」
「眠ってしまった・・みたいだな・・」
テーブルから壊れ物を扱うようにそっと引き剥がし、抱き上げる。金色の、柔らかいくせのかかった頭がツォンの肩に乗る。
「このまま帰ったほうがいいですね。車で送ります・・」
イリーナが立ち上がった。車のキィを取り、買い込んだ衣服類の袋をまとめて細い腕にかける。
「すまないな・・・」
「かまいません。さ、いきましょ。」
微笑みながら、促した。

あなたは・・・子供になってまで私の恋を邪魔するんですね・・・
荷物をツォンの部屋にまで送り届け、帰る途中、ふとルウの顔が浮かんだ。無意識のうちに、爪を噛んでいた。
それに気づいて、イリーナは苦笑した。子供相手にどうにかしている。しかし、子供になってでも、ずっとツォンといられるルーファウスがうらやましかった。

それから、ほぼ一週間。毎日のようにルウとどこかへ出かけながらツォンは日を送った。ルウのいる生活というものに、だんだん馴染んできている。それは嬉しいことだったが、自分が徐々に大切なものを失っていくような不安も生じている。ツォンの中でのルウの居場所が大きくなればなるほど、ルーファウスの陰が薄らいで行く。そうして、時にはルーファウスの存在すらも忘れてしまっている自分に、非常な驚きを感じた。

ある夜、ツォンは隣で熟睡しているルウの寝顔を見ながら、ふとどこかへ出かけなければならないような気がした。そのままそっと抜け出して服を着込み、暗い夜のハイウエイを走った。ネオンの明かりが車の後ろに流れてゆく。どこにいくのか、いきたいのかわからなかった。しかし、気がつけば病院の前に止まっていた。
足は自然とルーファウスの病室のほうへ向いた。
「あ・・、ツォン、さんでしたね・・」
計器類の数値をチェックしていた若い医師がツォンの方を向いて微笑んだ。
「何か、わかりましたか?」
言いながら、相変わらず反応のないルーファウスに近づく。変化はない。
「もう・・・一週間ですが・・」
医師は眼鏡の奥から、気の毒そうにツォンを見た。その眼差しにはツォンに対する申し訳なさと、ルーファウスを救えない自分に対するもどかしさとが混ざっていた。
そんな周囲の人間の気持ちをよそに、ルーファウス本人はとても安らかに、優しい寝息を立てている。それは聖堂に置かれた、気高い一体の彫刻のようにも見えた。
(まさか、もうこのまま眼を・・・)
このまま水晶の様に透き通ってしまうのではないか、そんな不吉な予感を感じ、ツォンは思わずそっと触れてみた。
「・・・・・・・」
柔らかく、微かに温かい感触が返ってきた。ほっとして、思わず口から言葉が漏れた。
「生きている・・・・・」
独言のはずだったが、静かな病室に響き渡ったその声に、医師は、苦笑した。声を殺して笑うその様子に、ツォンは自分の失態に気づいた。
「あ、いや・・・その・・・・」
慌てて取り消そうとする。
「すみません。笑っちゃって。」
「しかし・・・私のほうこそ失礼を・・・・」
「いいんですよ。確かに、私たちも検診に来る度にほっとしているのですから・・」
医師がモニターを切り替えた。そこにはここ数日の脳波の動きが記入されていた。それを指し示しながら、説明をする。
「このように、社長のご容体にはまったく変化がありません。あれから考えうる全ての検査を行ないましたが、以前もお伝えいたしましたように、ただ眠っていらっしゃるだけなのです・・・・」
また、画面が切り替わった。
「それからもっと不思議なことに・・・これは体重の増減ですが・・・ここ数日、一応様子見に点滴だけを処方しているのですが、それを除けば一切の増減がありません。また、排泄もありません。要するに、呼吸と最低限の機能を除いて、ほとんどの機能が凍結されているのです・・・」
通常、自力で栄養を摂取できなくなった患者には、栄養チューブを通じての強制摂取が行なわれる。点滴だけでは十分な栄養は摂取できないからである。もっとも人間というものは普通ではしばらく食事をしなくても生命を維持することはできるのだが、その場合、燃焼した分の体重の減りは当然あるはずなのだ。
それが、ない。現実には考えられないことである。
「そんなことが・・・・まるでおとぎ話だ・・・」
ツォンは息を呑んだ。昔読んだ、百年も眠り続けた姫のことが頭を過る。
「そうですね・・・現代のおとぎ話です・・・・しかし・・・」
「しかし・・?」
「微かでも生きているということは、体力は徐々に落ちている、と考えるべきだと思います。ですからこのまま目を覚まさない場合・・・・」
「・・・・・わかっています。覚悟を決めておけ、と・・・」
「そうです。僕達も、最善は尽くしますが・・・」
「わかりました。また明日、来ます・・・」
それだけ言って、ツォンは立ち去った。足音だけが静まった廊下に固く響いていた。

マンションに帰った頃には既に日付が変わっていた。眠っているルウを気遣って、照明は点けずにそっとベッドに向かう。ルウは出かけた時と同じく、すうすうと熟睡していた。その放り出した片腕をそっと上掛けの中に押し込んでやってから、ツォンはキッチンへ行った。
洗浄・乾燥器からグラスを取りだし、キャビネットへ向かう。そこには普段は飲まないが、何本かの酒が置いてあった。その中から、古いスコッチを取り出して、リビングに戻った。
薄明かりの中で、琥珀色の液体が鈍く光るグラスの中に流れ落ちていく。ソファに身を預けながら、さっきの医師の言ったことを反芻してみた。
(異状はない、しかしあのままではいずれ・・・・・・)
悪い予感を降り払うように、酒を口にする。それは苦く、熱い刺激となって胃に下ってゆく。しかし、酔いを感ずるには、頭の中は覚め過ぎていた。
(・・・・・・ルーファウス様・・)
考えはいつまでたっても堂々巡りだ。やめようとしたが、目を閉じれば、耳を澄ませば横たわるルーファウスが見える。その泣き声が聞こえる。ツォンはきつく顳を押さえた。
「ツォン・・・」
細い声が聞こえた。慌てて声の方を向くと、ルウが起きていた。
「ルウ・・・・どうしました・・?」
その体をそっと抱き寄せる。ルーファウスと同じ、温かな体。柔らかな金髪が寝乱れてくしゃくしゃになっているのを、手ぐしでふわりと整えてやる。
「・・恐い夢でも、見たんですか?」
「ううん。起きちゃったの。」
ルウはかぶりをふった。と、めざとくテーブルの上のグラスを見つける。
「ねぇ、あれ、なぁに?」
興味津々といったふうだ。大人のルーファウスはやたらと強いが、いくらなんでも子供にはきつすぎる。ツォンは優しく諭した。
「・・・お酒ですよ。でも、あなたにはまだ早いと思いますが。」
「・・・ちょっとでも駄目?」
無邪気にそう言われると、断わりきれない。まだまだ子供でも、ルウには既にカリスマ性が備わっているのか、それともルーファウスに対して極端に弱いツォンが悪いのか。ツォンは苦笑すると、そっとグラスを差し出した。
「舐めるだけですよ・・・・」
両手で嬉しそうに受け取って、ルウは口をつけた。が、一舐めして顔をしかめ、すぐにグラスを返した。
「・・・まずい・・口の中、びりびりする・・・・こんなの、おいしいの?」
流石に口にはあわなかったらしい。しきりに唇を舐めている。その子供らしい反応にツォンは微笑んだ。
「そうですね・・・おいしい人もいるし、おいしくない人もいるし・・おいしくない時もありますね。」
「じゃツォンは今、おいしい?」
なかなかに的を得た質問だった。ツォンの顔から笑みが消える。
「今は・・・・・」
口ごもったツォンに、子供は更に容赦のない質問をする。
「僕ね、さっき夢の中で、ツォン泣いてるの見たの・・だから起きたの・・ツォン、悲しいの?」
的確な指摘に、思わず息を呑んだ。見上げた大きな眼が、じっとツォンの胸中を見透かす。
「・・ツォンの心、痛いって言ってるみたいに聞こえるの・・そうすると・・・僕も、悲しい・・・・」
小さな手が、きゅっとツォンのシャツを掴んだ。それを壊さないように、そっと抱きしめる。
「とても・・・大切な人が・・いなくなってしまうかも知れないんですよ・・・」
抑圧していた感情が、堰を切ってあふれ出す。それは春の雪解けの水のように、どんどんと水かさをましてゆく。
「その人は私を愛してくれていて・・・でも・・・私はその方の悲しみを受けとめきれなくて・・・・・」
最後の方は嗚咽にかわっていった。ルウは薄く眼を開けながら、その背にじっとツォンの告白を聞いていたが、落ち着いた声で、ひどく冷静に話り始めた。
「ねぇ・・・ツォン・・・僕がいっぱい愛してあげるから、その人のことは忘れて、ね?僕なら、ずっといてあげる。いなくなったりしないから。ツォンの好きな様にするから。ツォンの好きなようになるから・・・だから・・・忘れて・・」
ルウの、パジャマから伸びた腕がツォンの首に回る。驚愕の表情のツォンに、ルウが顔を近づける。
「そんな顔しないで・・・・僕、ツォンだけのルウになるから・・・・だからずっといっしょに暮らして・・・」
薄く開いたままのツォンの唇に、ルウの唇が触れた。羞恥心の残る、子供染みた軽いキス。それは、ルーファウスのキスそのものだった。
「あなたは・・・・・」
全てがわかった。ルーファウスが眠りについたわけも、ルウが出現したわけも。切ない表情でツォンを見上げるルウに、ツォンは寂しげに笑いながら軽く頭をふった。
「駄目ですよ・・・ルーファウス様・・・本当のお体に戻らなければ・・」
「・・僕はルウだよ!!ルーファウスじゃ・・ない・・・・ルーファウス・・じゃ・・」
甲高い叫びが上がった。それは肯定に等しかった。ルウの眼から、大きな涙がこぼれ落ちる。ツォンの肩に顔を埋め、しゃくりあげた。時々大きく息をすって、ひくひくと動く背中を掌で軽く叩いてやりながら、ツォンは低く呟いた。
「私もあなたとずっと暮らしたい・・・でも・・・あなたが戻らなかったら、ルーファウス様はどうなるんですか?ずっとあのままに朽ち果てるだけなんですか・・・・?私はあなたが大好きです・・でも・・あのルーファウス様も大好きなんです・・・あの暴君で我儘で・・そのくせ寂しがり屋のルーファウス様が・・・・私はあなたがいなくなっても決して忘れません・・私の中にはあなたと、過去のルーファウス様と過ごした思いでがたくさんあります。でも、あなたを受け入れてしまえば、今のルーファウス様は永遠に悲しみを背負ったまま・・・」
泣き声がいつの間にか、止んでいた。
「だから帰ってください・・お願いです・・そうでなければ私はずっと・・抜け殻になったルーファウス様を愛し続けなければならなくなってしまうから・・・・・」
それは辛い選択だった。ルーファウスの存在の為に、ルウの存在を否定するのは。しかし二人は同じであって、同じではない。どちらか一方を選択しなければ、どちらも存在できない。
ルウは、消しようのない過去と思い通りにならない自分をリセットするためにルーファウス自身が作った、過去の、ツォンと出会った時点での自分の幻影だった。

「・・・・うん。」
ルウが頷いた。袖口で涙を拭いて、にっこり笑う。
「じゃあ、僕は戻るから。ルーファウスの所につれてって。」
「・・・ありがとう。」
言葉少なに、ツォンはルウの身仕度を手伝った。一番お気に入りの服を着せ、手を引いて車に乗せ、病院に連れていった。その間、二人はほとんど口を聞かなかった。
夜の病院は、静かだ。夜間入り口から病室まで、誰にあうこともなくすんなりと通ることができた。そのドアを前にして、ツォンは些かのためらいを見せた。
「・・・どうしたの?いこうよ・・・」
繋いだ手を、ルウが軽く引いた。ドアが開き、モニター画面の明かりに照らされたルーファウスの姿が見えた。ルウは手を振り解き、ルーファウスの側に走り寄った。
「・・・・ルウ・・・?」
慌てて声をかけると、ルウが振り返った。心なしか青ざめた顔で、無理に笑顔を作る。
「ツォン・・・とても楽しかった・・・。たった一週間だったけど・・・僕は・・・僕のこと・・ルウのこと・・忘れないで・・・」
消えたくない。消えなくていい。そう言いたかった。でも、それは禁句だった。
「忘れるもんですか・・・例え、忘れたくても・・・」
「・・ありがとう。」
ツォンは横たわるルーファウスの側によった。気道を確保するために心持ち仰向けられた顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。その上に、ルウが手をかざす。
どこからか、すう、と風が吹いてきた。その羽毛すらも動かせないようなさやかな風にのって、ルウの姿は笑顔と共に消えていった。

その風に頬を撫でられ、ルーファウスが長い午睡から目を覚ました。うっすらと眼を開け、長い睫越しにツォンの姿を確認すると、微笑した。ツォンが優しく語りかける。
「御気分は・・いかがですか?」
「・・いい夢を、見ていた・・・・」
「・・・どのような?」
「・・子供の頃に戻って・・君と暮らしていた・・・楽しかったよ・・・・僕をルウって呼んでいた頃・・懐かしかったな・・・でも最後に君に叱られた・・早く現実に戻れって・・まいったな・・・夢の中にまで出てくるんじゃ・・ない・・・」
くすくすと、楽しそうに笑う。ルウというのは、ツォンが幼いルーファウスにつけた呼び名だった。いつしか、そんな事も忘れていた。
「申し訳ございません。でも・・私も同じ夢を見ていましたよ。」
「そうか・・・・」
それだけ言ってルーファウスはふぅ、と大きく息をついた。
「起き抜けに喋ったら・・なんだか疲れた・・もう少し寝る・・・側にいてくれ・・」
「・・・ずっといますよ。でも、今度はきちんと起きてくださいね。」
ベッドの端に座って軽く手を握ってやる。その重みに安心したルーファウスは、また目を閉じた。
「また・君が・・起こしてくれる・・・んだろ・・・」
眠りの妖精が再びルーファウスの目蓋に砂をかけた。しかし、それはまた日が昇るまでの、束の間の休息だった。

ルウ・・・
ツォンの部屋のクローゼットの奥には未だに、ルウの小さな服がきちんと折り畳まれ、思い出と共に、薄紙に包まって眠っている。


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