パノラマ先生の第9弾

棺のふたを開ける。ヴィンセントがねむっている。
彼が死んでいるのではないことはセフィロスはよく知っていたが、ヴィンセントが目を開けるまでのわずかな時間が苦痛だった。彼が永遠に目を開けないという悪夢に悩まされるようになったのはごく最近のことだ。
ゆっくりとヴィンセントが目覚める。彼が目覚める様子はよくできた人形に生気がともるようだ。うっすらと頬に赤味がさす。赤い瞳が現れる瞬間がセフィロスはもっとも気に入っている。
夕焼けというものは、見たことはないがきっとこのような色をしているのだろうとセフィロスは思う。物憂くさみしい、暗い赤。
「セフィロス....」
ヴィンセントはため息を吐いた。
眠りから覚まされるのをヴィンセントが嫌っているのをセフィロスは知っていた。
彼が優雅なしぐさで身を起こすと、肩にかけられたシーツが滑り落ち、白蝋のような胸がむき出しになる。
(また傷が増えている...)
閉じることができればいいといった乱暴さで縫いあわせれた新しい傷痕に気づき、セフィロスはあわてて目をそらした。さりげないしぐさでヴィンセントはシーツを羽織り、傷は隠された。
「あの男がやったんだね」
「ああ」
セフィロスは固く唇をかんだ。いつもあきらめた顔をするヴィンセントも許せなかった。
ヴィンセントは穏やかだ。罰を嬉々として受けているようですらある。彼の物憂い赤い瞳は何を映しているのだろうか。るくれちあ、という言葉に関係しているのではないかとセフィロスは思う。
「るくれちあ、って何?」
はっと息をのみ、珍しくヴィンセントはうろたえたそぶりを見せた。
慎重に言葉を選んでいる。セフィロスはじっと静寂をたえた。
「それは私の....いや、お前の...」
前触れもなく隠し扉が開けられた。
「はっきり言ったらどうだ?」
「宝条....!」
「ルクレツィアはお前の母の名。私と、そこの間抜けが」
皮肉げな視線をヴィンセントに向ける。
「愛した女。お前によく似た瞳をしていたな」
「おかあ、さん...?」
「そうだ。だが精神に異状をきたしたため、プロジェクトから外された。
のたれ死んでいなければ、どこかで生きているだろう」
唖然としているセフィロスの髪を一房つまみ、指でもてあそぶ。
「お前はたった一つのルクレツィアの形見。私のもとを離れることは許さない」
ヴィンセントがはっと顔を上げる。
「おまえ、まさかセフィロスを」
「おや、この子はいわなかったのかな?まあ見るがいい」
いいかげんに止められていたセフィロスのシャツを、宝条はむしりとった。
止めさせようと上げた声は、きつい体制のキスで封じられる。
前夜の愛欲の生々しいなごりを目にして、ヴィンセントはとっさに目を背けた。
その動きをセフィロスは見逃さなかった。
(嫌われた...!)
身を捩って逃れようとしたセフィロスの肩は宝条にがっしりと掴まれた。歯列を丁寧になぞられ、意に反して甘いため息が漏れる。
「やめろ、宝条!子供になんて事を」
「やめろだと」
ふん、と鼻を鳴らした宝条は皮肉げな笑いを漏らした。
「こいつがいやだと泣きわめいていたのはわずかの間だけだった。今では快楽のためにわたしの前にひざをつくことすら厭わない。あの女と同じだよ」
せめてその身をヴィンセントの前から隠そうとするセフィロスの細いあごを取り、宝条はむりやりヴィンセントの方を向かせた。
このような姿を見られ、幼いセフィロスがどんなにか傷ついているかヴィンセントにはよく分かった。だが目をそらすことはできなかった。
涙のベールをかぶった湖水のような瞳、乱暴な折檻のなごりに、あらく粗く吐き出される吐息。はだけられた上着からかいまみえるほの白い肌。
目をそらす事などできるはずもない。
「美しいだろう。一度も考えたことはないといえるか?この顔を愉悦の表情でみたしたいと。あのときのこいつはなかなかいい顔をする」
声も出さずにセフィロスは泣いていた。宝条の骨張った指を、セフィロスの涙が濡らす。
「ルクレツィア」
愛しい人の確かな面影を感じ、ヴィンセントは思わずささやいていた。
一瞬の静寂の後、セフィロスが叫ぶ。
「殺してやる」
声音のあまりの鋭さに、セフィロスを押さえ付けていた宝条の力が緩んだ。セフィロスは駆け出した。
彼の足音が消え去るまで、時間はかからなかった。
「やれやれ、困ったサンプルだ」
白衣の乱れを神経質に直しながら宝条が笑う。ヴィンセントはうなだれた。
「ひどいことをしてしまった。お前をののしる資格などわたしにはない」
閉ざされたヴィンセントの瞼を、優しく宝条の指先がなぞる。
「何を望む」
「私に罰を」

気づくと、ゆるやかな月光の差し込む温室に入りこんでいた。花の匂いで息が詰まる。
「ころして、やる」
だれを?なにを?
ヴィンセントも宝条と同じだった。愛しているのは自分などではない。ルクレツィアだ。
ガラス窓ににぼんやりとセフィロスが映し出される。
るくれりあ、によくにている顔。
こんな顔なんか、こんな自分なんかいらない。
殺したいのはこの自分だ。
自分の身長よりはるかに大きな芭蕉の葉の根元にうずくまる。嗚咽をかみ殺そうとしたが無駄だった。細い肩が震える。
セフィロスがなきつかれて眠りについたのは、月が白く姿を変えるころであった。


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