時刻は朝9時。
 彼女の1日は第65格納庫から始まる。
 ここにはBlau Stellar所属のライデンが全てあるのではないか、という程にライデンで埋め尽くされている。
 その間を、小さな少女が走り回っていた。
 支給されたばかりの黒い制服に「9012 Special Division KIKUCHI Heavy Tactics Team」という縫い取りの入った腕章。「9012」と刻印された襟章が、真新しい光を反射している。
 少女の名は、アリッサといった。
 物心つく前からライデンが好きで、P・パイロットライセンスを取る前に整備士免許を取り(整備士免許に関しての年齢制限は設定されていない)、初めは近所の工場で破損したバーチャロイドの修理に携わっていた。
 その工場がたまたまDN社の下請け工場で、視察に来た整備大隊の責任者が彼女の丁寧な仕事ぶりに惚れ込み、そのままDN社付の整備士となったのだ。
 15歳の時、D.N.A.からの特例で念願のP・パイロット、B・パイロットライセンスを取得し、整備だけでなく、開発作業にも携わるようになる。
 特に、昨年から始まった新型ライデンの開発は、彼女の腕にかかっていると言っても過言ではなかった。
 そんな矢先のCRAZE隊配属辞令である。
 深い理由は聞かされていないが、「新型ライデンの戦術的投入への布石」というのが大方の予想であり、彼女自身も「ライデンに乗れるなら」と、大して気にもせずに辞令を受け取った。
 「戦場に出る」という不安より、「ライデンと一緒にいる時間が増える」事の方が、アリッサにとっては大切なのだ。
 最も、CRAZE隊には年に数回しか前線に出るような任務は与えられず、結成以降、数年に1回は前線任務無しという時もあるので、周りの人間もそれほど心配はしていないのが現状だ。
 そして、アリッサが今回の辞令を受け取った一番の理由とは「自分だけのライデンがもらえる」という事だ。
 自分専用のライデンが配給されたその日の内に、コックピットブロックは体の小さい彼女に合わせられた。これらの作業は、アリッサ自身の手で全てが行われた。
 その作業工程は、長年現場で働いてきたベテランの作業兵さえも閉口するほどの、見事なのもだった。
 まるで、ライデンの全てを知り尽くしているかの様に。
 何よりも忘れていけない事は、アリッサがもう一人の相棒(?)として選んだ、ひよこのぬいぐるみである。他のパイロット達がお守りや恋人の写真を忍ばせておくのと同じ様に、彼女はひよこのぬいぐるみを選んだ。「ぴーちゃん」と名付けられたそれは、その日以降、主のいないコックピットを守り続けるようになる。
 CRAZE隊配属になっても、彼女の日課である、自分が整備を担当しているライデン全機のチェックを止める事はなかった。他のライデンに接する事は、自分にないライデンの知識を蓄えるいい機会だし、何より自分のライデンのチューンナップ等に、その知識がフィードバックされる事になる。
 アリッサは、ライデンと一緒にいるだけで幸せなのだ。
 自分担当の他のライデンのチェックが終わり、ようやく自分のライデンへと足を運んだ。
「よぅ、アリッサ嬢ちゃん。今日からだな」
 アリッサがDN社配属になってから、ずっと面倒を見てくれた老整備士が声をかけた。
「こんな十把一絡げみたいな整備大隊から軍人さんが出るなんざ、わしゃぁ夢にも思わなかったね」
 するするとイントレを降りてきた。昔は真っ白だったろう作業服も、今では油で汚れきっている。
「わしももっと若ければパイロットを目指せたんじゃが、こんな老いぼれになってしまっては、嬢ちゃんの様な若者に託すしかない。
 嬢ちゃん、お前さんはわしの誇りじゃよ」
 老整備士はポケットから一つのねじを取り出し、それをアリッサに握らせた。
「これは、まだわしがプラント直属で働いてた頃、廃棄になったライデンの試作版のスケルトンシステムのパーツの一つじゃよ。
 何気なく持っていたんじゃがな、それからわしが整備したVRのパイロットは、全員生きて帰ってきた。あの伝説を生んだ特殊重戦闘VR大隊のサルペン軍曹機だって、わしが整備した物だった。軍曹は重傷だったが、幸い命は取り留めた。
 これは、ライデンを駆る者をずっと守ってきてくれた。だから、これはこれから前線に立つ嬢ちゃんが持つのが一番いい」
 ハニーブロンドの、綺麗に切りそろえられた髪をくしゃくしゃとしながら笑った。
「……ありがとう…」
 こんな大それた物を貰っていいのだろうか? アリッサは不安になったが、元々の持ち主がそれを望んでいるのであれば、と思い、受け取ったねじを内ポケットの中にしまい込んだ。
「爺さん! プレートが開かねぇんだ! ちょっと来てくれ!!」
 若い整備士がこの老整備士を呼んだ。
「やれやれ。年寄りをこき使わんでくれや。
 今行くぞー!
 んじゃぁ、嬢ちゃん。頑張れよ」
 アリッサに笑いかけると、老整備士はまたするするとイントレを登っていった。
 そして、彼女も自分のライデンへと急いだ。
 時間は午前9時半。ブリーフィングの時間にはまだ間に合う時間だ。
 まずは急ごう。アリッサは走った。しばらく行くと、傷一つない、新品のライデンが見えてくる。
 これが彼女のライデンだ。
 イントレを登り、直結しているコントロールパネルを叩く。胸部ハッチがせり上がり、その奥からコックピットブロックが姿を現す。
 『M.S.B.S./5.01』とペイントされたコックピットブロックは、アリッサの操作で搭乗口が開放された。
 小さなシートに、不釣り合いなひよこのぬいぐるみ。
 アリッサは中へ入り込むと、シートベルトを締め、マウントヘッドディスプレイを装着した。バイザーから小さな光が瞳に当てられる。その内コックピットブロックが口を閉じ、ライデンの中へと吸い込まれていった。
 コックピットブロックがライデン本体に完全にコンバートされると、目の前のスクリーンが外の風景を映し出し、マウントヘッドディスプレイには残りシールド残量や残りVアーマー値等が即座に表示される。今は戦闘時ではないので、表示されているのはアリッサのライデンの状態のみだ。
「おはよ、ぴーちゃん」
 シートのヘッドレスト部分にぶる下げられたひよこのぴーちゃんに挨拶する。
「今日はね、初めて同じ隊の人に会うの。
 仲良くなれるかなぁ? でも、整備大隊(ここ)の人だっていい人達ばかりだったんだから、大丈夫だよね」
 ヘッドレストからぴーちゃんを外し、手の上でコロコロと転がせる。
「私ね、さっきおじいちゃんにいい物貰っちゃったの」
 アリッサは、先程老整備士から譲り受けたねじを内ポケットから取り出した。
「ライデンの試作機のねじなんだって。
 でも、このライデンは、どうなっちゃったのかなぁ……?」
 心なしか寂しくなる。
 そして、小さくあくびをすると、そのまま寝息を立ててしまった。


 ぴぴぴぴぴ…… ぴぴぴぴぴ……
 ぴーちゃんが本当に鳴いているのではなく、携帯電話のアラームが10時半を告げたのだ。
「……………」
 目が覚めたアリッサはしばらくぼーっとしていたが、電話に表示された時間を見ると、慌ててコックピットイジェクトをかけ、慌てて降り立った。
 あまりに慌て過ぎて、コックピットを元に戻さないまま本部施設に行くところだった。
「ぴーちゃん、ライデン、行って来ます」
 少しだけ後ろを振り返り、そのまま走り出した。



 10時半、9012部隊ブリーフィングルーム前。

 一人の男が立っていた。
 制服改造、オプション装備が当たり前のBlau Stellarの中でも、極普通、至ってノーマルな制服を着ている者と言えば、最高幹部会を始めとする、いわゆる「お偉い方」か、入ったばかりの新人が殆どだ(勿論、それ以外でもノーマル制服を着ている者はいるが)。
 彼もノーマルな制服を着ている少数派の一人だ。だが、彼がただの隊員でないことは、制服を飾る数々の勲章が物語っている。
 VC.a0年を知っているなら、「あの事件」を知らない者はいない。例えリアルタイムにその時の事を知らなくても、その年に起きた一大事件の名前ぐらいは知っているだろう。
 オペレーション・ムーンゲート。通称OMG。月面に設置された自社再整備区画79号内の廃坑最深部、ムーンゲートと呼ばれる物の突然の覚醒(暴走)。
 「絶体絶命に追い込まれた人類が、間一髪の所で救われる」という、単純だかあまりにドラマチックな出来事に、彼は当事者であるD.N.A.の人間として関わっていた。
 関わっていた、等という生易しいものではない。彼こそ、ムーンゲートの覚醒(暴走)を食い止め、帰還した英雄の一人である。
 土居二郎、通称DOI−2。少将という階級ながら、指揮官として後方にとどまることなく、今でも前線で戦い続けている。
 そんな彼が、今年からCRAZE隊へと転属になった。
 最高幹部会からはこれといった理由は聞かされていないが、「CRAZE隊をD.N.A.の傘下として取り込む為の前準備」というのが事情通の言うところで、少なからず本人の耳にも入っている。
 その事は大して気にしてはいない。自分は軍人で、そういった勢力抗争に使われるのも、また仕事と割り切っている。
 DOI−2が一番気にしていることは「CRAZE隊所属の殆どがP・パイロット出身者」と言うことである。
 生粋の軍人である彼は「コストばかりかさむカスタムVR」には否定的で、故にP・パイロットに対しても、あまりいい気はしていない。
 いくらCRAZE隊が優秀な部隊とはいえ、所詮は…… というのが本音である。
 まずは一緒に「仕事」をすることだ。判断するのはそれからでも遅くはないだろう。
 ライセンスを取り出し、スロットルに差し込む。認識と同時に、ぷしっ、という空気音と共に扉が開いた。
 50人は裕に入れるであろうブリーフィングルームには、先客が一人だけ。
 自分の端末で何かを見ているようだったが、DOI−2が入ってきたのに気付き、会釈して立ち上がった。
「DOI−2さん、ですよね?」
 先客の青年が声をかけてきた。灰色がかったくすんだブロンドを短く切りそろえ、眼鏡をかけた知的そうな青年だ。深いマリンブルーの制服、勲章はついていない。左腕の腕章には「9012 Special Division FUJISAKI Land Tactics Team」と縫い取りが入っている。
「藤崎激戦隊のクレイス=アドルーバです。ストライカーに乗っています」
 DOI−2は少し面食らった。珍しく、きちんと挨拶してきた人間だからだ。
 今まで接してきた人間は、たいていが自分に萎縮してしまって、挨拶するのがやっと、という者が殆どだったからだ。
 クレイスもDOI−2のことはよく知っている。大学在学中は、自分の戦術論の研究の為に、極秘とも言えるDOI−2の戦闘データの解析を行っていたぐらいだ。
 そのDOI−2と一緒に戦うチャンスが巡ってきた。クレイスは緊張なんかしている暇はなかった。パイロットとして、研究者として、自分の戦術論がようやく実戦出来るのだから。
「キャリアではかないませんが、心意気だけは負けません。
 今日からよろしくお願いします」
 自分を見据えたクレイスの瞳に宿る強い光を、DOI−2は感じた。差し出された右手を、挨拶代わりに握り返す。
「お前みたいなのは初めてだ。こちらからも、よろしく頼む」
「はい!」
 クレイスの感激の声と同時に、また扉が開いた。
 黒い制服を着た金髪の小柄な少女、アリッサだ。
「あ、おは……」
 おはよう、と言う間もなく、アリッサはぺこっ、と頭を下げ、ててて、と走って部屋の真ん中の列の隅っこの席に行ってしまった。
−俺、嫌われてるのかなぁ?
 アリッサは酷くあがり性なので、頭を下げて挨拶するのがやっとだった。クレイスはそんな事とは知らず、一人心を悩ませていたりする。
「おっはよ〜!!」
 続いて入ってきたのは三人の女性。竜崎千羽矢、赤木香緒里、日向友紀である。
 友紀は部屋をぐるっと見回してから、指令席に目を移した。
「来てる訳ないか」
 ほっとした様な、不安な様な、そんな溜息を一つつく。
「一郎さんが一番に来てたら、明日は雨だけどね」
「あはは、そりゃ言えてる」
 香緒里の一言に突っ込む千羽矢。
 そして3人は指定席のセンターブロック最前列を陣取った。
「今のは?」
 DOI−2がクレイスに問いかけた。
「今の3人ですか?
 赤い制服の子が陸戦隊B班のフェイ=イェン使い、竜崎千羽矢。階級は軍曹です。戦い方は…オーソドックスだと思います。サブでスペシネフ乗ってるんですけどね、その時は近接縛り並にダブルロックオンにこだわるんですよ」
 ほぅ、といった感じで千羽矢を見るDOI−2。
「んで大きい方が日向友紀さん、中尉。小さい人が赤木香緒里さんで大尉。二人はうち専属のオペレーターです。あの二人がいなければうちらは出撃即壊滅です」
 『出撃即壊滅』という言葉に、少し顔色を変えたDOI−2だが、それだけ二人のオペレーター能力が高いと言うことで納得したようだ。
 ちなみに、クレイスの言葉は掛け値ナシであることは、抜群に秘密だ。
「そういえば……」
「?」
「今回の異動は何人か残してほぼ全員外部からの異動だと聞いたんだが……」
「そうですね。俺と千羽矢以外全員みたいですよ。
 あと、瀧川さんの所に新人が入るみたいです。それとバル・バス・バウの後継機が近いうちに配属されるそうで。うちのパイロットはもう決まってるみたいなんですけどね」
 聞いてもいないのに、更なる情報がぽんぽん飛びだしてくる。DOI−2は感心というか呆れたというか、どちらとも言えない表情を浮かべた。
 そして、また扉が開いて二人ばかり入ってくる。
「おはよ〜ございま〜す」
 身長180はあるだろう男と、かなり小柄な女性が一人ずつ。染谷洋和と神宮寺深夜の登場だ。
「『マシンチャイルド』と『堕天使』の登場ですね」
 深夜は千羽矢らの姿を見つけると、すぐに近くの席に着いた。洋和はそこから少し離れた場所に腰かける。
 DOI−2が立ち上がり、洋和の方へと近づいていった。
「よぅ、『マシンチャイルド』。久しぶり」
「あ、DOI−2さん。どもっす」
 2年ほど前にSAV部隊で一緒になった二人は、意外な所での再会を複雑ながら喜んでいる。
「大変だったみたいだな、あの事は」
 あの事、即ち未だ解決の糸口が見えない謀反事件のことだった。
「仕方ないです。それに気が付かなかった俺の責任ですから」
 流石のDOI−2も、これ以上はこの話題を口にしなかった。いや、出来なかったという方が正しいかもしれない。
「今年はサイファーだって? 今年こそは!って狙ってたヤツらが酷く悔しがってたぞ」
 はぁ、と苦笑いする洋和。
「おまけに今年は新人も来るそうじゃないか。大変だな、『先輩』」
 活を入れるかの様に肩を叩く。そのまま雑談モードに突入した。
 一方、千羽矢達に合流した深夜はというと……
「さっきシミュレーション室の前通ったんだけどね、なんかかなり怒られてる子がいたみたい」
 その一言で、三人は苦笑いを浮かべた。
「尚貴ちゃんだ」
「尚ちゃんだ」
「やっぱり、心配してた通り……」
 三人言葉も出ない。
「え? 何で判るの?」
 困惑する深夜。
「深夜ちゃん、怒られてた内容判る?」
「確か空中バーディカルターンしてたみたいで、その時に空中ダッシュ近接出した子がいたみたいで」
「ルームナンバー判る?」
「B棟の508かな?」
「赤木さん、今日の新人研修の予定は?」
「ビンゴ」
 即ち、空中ダッシュ近接を暴発させていたサイファーは、明らかに尚貴だったということだ。
「も〜! 尚貴ちゃんまた暴発さしてるし〜」
 女房役の千羽矢が頭を抱える。さすが昨日今日の付き合いではない。尚貴の戦い方のクセやすぐ暴発するところは嫌というほど知っている。
「これさえなければねぇ……」
「本当、これさえなければねぇ……」
「ねぇ〜」
 溜息をつく3人。そこに
「お〜っす!」
 という声と共に、CRAZE隊指令・緒方豊和が姿を見せた。
「おはよ〜、おがっち〜」
「おはよ〜」
「おっはよ〜」
「おはようございまーす」
 残留組の友紀、香緒里、千羽矢、クレイスから声があがる。
「一郎達やっぱまだ?」
「まだに決まってるでしょ〜? ただでさえ定刻に間に合わないんだから」
 ほとほと呆れた声で千羽矢が抗議する。
「でもまだ15分あるしな。
 新顔も続々来てるみたいだし」
 あと一人足りないとはいえ、事実上メンバー初顔合わせだ。30代に突入した緒方でも、クラス替えしたばかりの新学期の学生の様な気分でいる。
「お、これはこれはDOI−2閣下。かの有名な『マシンチャイルド』殿もご一緒で」
 緒方がDOI−2、洋和、クレイスの井戸端会議集団に乱入した。
「誰かと思えば、『始末屋』隊長ではござらぬか」
 DOI−2もこれに答える。昔の通り名で呼ばれると、流石の緒方も気恥ずかしい。
「どうだ? クレイス。こいつらの話は」
 英雄DOI−2と天才パイロット洋和を指して「こいつら」と言える辺り、そしてそれが許される辺り、緒方がBlau Stellarの中でどれだけの地位にいるか、クレイスは思い知らされる。
「凄いですね。今まで自分が構築した戦術が通用しない気分です」
 それでも、クレイスは彼らと話すことで自分の知識を深めようと一生懸命になっている。
「俺らが生き残れるかはお前にもかかってるんだからな」
「そんなぁ! 大袈裟ですよ!」
 和やかな空気が流れる。そこに扉が開き、黒い制服を纏った一人の青年が現れた。
 彼は軽く頭を下げると、空いている適当な席へ腰かけた……と思いきや、DOI−2の姿を見つけると、足早に近づいてきた。
「お久しぶりです、DOI−2さん」
 青年−水無月 淳(みなづき・じゅん)は、菊地重戦隊所属になったグリス=ボックのパイロットだ。実は千羽矢と同期で、昨年度はベルグドルやグリス=ボックを集めた後方支援部隊に所属していた。DOI−2は昨年そこの特別顧問を受け持っており、淳はDOI−2直々にグリス=ボックの使い方をみっちりと仕込まれている。
「何だ、お前もここか。今年もしごき甲斐があるな」
 あはは、と苦笑いを浮かべる淳。そのまま戦術話に花が咲く。
 ふと、緒方が時計に目をやった。定刻5分前だ。
 ばたばたばた…と外で騒がしい足音がする。通り過ぎたかと思いきや、慌てて戻ってきた。
「おはようございまーす! 遅れましたぁ!!」
 赤い制服を着た、少々小さめの少年が姿を現した。
「陸戦隊B班、泉水優輝(いずみ・ゆうき)で〜す!」
 息も絶え絶え、その少年は自ら名乗った。
「ぎりぎりだったな、新入り」
 緒方が茶化す様に言う。
「え!? 間に合ったんですか?」
 時計を見ろ、と言う様に、緒方が指を指した先の時計は、10時55分を指していた。
「あ〜、よかったぁ〜!」
 その様子に、男衆は唖然とし、女性陣はくすくす笑っている。
「初日から遅刻したらシャレになんないもんね〜」
 えへへと笑いながら、優輝は千羽矢達の近くに座る。
「さて、これであとは一郎ちゃん達か……」
 流石に心配したのか、友紀が自分の携帯を取り出した時、
ピピピピピ…… ピピピピピ……
ぴろぴろぴろ、ぴろぴろぴろ……
 同時に2つの電話が鳴った。一つは友紀の、もう一つは緒方のだった。
「はい、日向です」
「こちら緒方」
『あ、日向中尉ですか? こちらB棟の508番です』
『こちら管制室です。先程、42部隊のスペシネフと思われるVRの信号を受信、回収したと報告がありました』
「パイロットコードは判るか?」
『恐らく、蒼我恭一郎(そが・きょういちろう)大尉かと思われます』
『あの、実はそちらの隊長さんと思われる方が、朝一番から新人研修の見学に来てまして、もうすぐ11時になるのに移動の気配がないので、一応お知らせしておこうかと思いまして……』
「そうか、判った。今行く……」
「なんですってぇ〜!?」
 緒方の声が、友紀の上げた大声にかき消された。
 事を済ませ、電話を切った緒方は勿論、この部屋にいた全員(約一名除く)がその声に多少寿命が縮む思いをした。
「判った。今から連れ戻しに行くわ!
 赤木さん、B棟の508よ!!」
友紀は電話を切るや否や、部屋から飛び出した。
「あ、待ってよ、友紀さん。
 おがっち、そういうことらしいんで」
 香緒里も慌ててその後を追った。
「やれやれ、困った人達だこと」
 呆れる千羽矢。流石に、深夜も苦笑いを浮かべている。
「困ったついでに、俺もちょっとゲート行ってくるから」
「おがっちも!?」
「迎えに行ってくる。千羽矢の仲間だよ」
 そう言って、緒方は上着を着ながら部屋を出て行ってしまった。
「B棟508って、尚貴ちゃんとこ? まさか、ね」
 千羽矢は嫌な予感がした。そして、そんな予感を後々後悔することになる。



 第4番ゲート。
 ここのゲートを使う部隊はただ一つ、第42危険分子駆除部隊、通称『死神隊』だけだ。
 固定されているのは流石にスペシネフのみ。ある種、物々しい空気が流れている。
 そこに緒方が姿を見せた。一瞬、ざわめき立つ。
「お久しぶりです、隊長」
 黒い制服を着た女性隊員が緒方に挨拶した。ここは、管制員も死神隊隊員が務めている。
「で、例の機体は?」
「ポイントX139.7、Y35.6地点で、待機中のフローティングキャリアーが回収しました。間もなく、到着の予定です」
「…ってーと、TKYベイサイド周辺か?」
「ということになりますね」
「……ったく、一体どこに隠れていたんだか……
 で、回収の許可は誰に貰ったんだ?」
「櫻井中将です」
「あぁ、やっぱり? その辺はいろんな人に頼んどいて正解だったな」
「それより、早く後任の司令を立てて下さい。いくら我々が特殊部隊とは言え、やはり上に立って指示して下さる方がいなくては……」
「フローティングキャリアーJOCX−8949より受信。『お届け物です、はんこお願いします』」
「『はーい、ごくろうさま』って返しといて。
 ゲート入ったら58番に固定。俺が行く」
「隊長!」
 管制室を出ようとした緒方を、先程の女性隊員が呼び止めようとした。
「時間が経てば自然と決まるだろうよ」
「ですが隊長!」
「あと、俺はもうここじゃ『隊長』じゃないぜ」

 58番ドックには、一機のスペシネフが固定されていた。
 スペシネフ『DEATH CUSTOM』。その名の通り、死神隊の為に作られた特別なスペシネフだ。
 数人の整備士が、コントロールパネルをチェックしている。
「V・コンバータ、異常なし。駆動系統、異常なし……あ、緒方司令」
 一人の整備士が緒方に気が付いた。
「お前らもか。俺はもう司令でも隊長でもねーっつーの」
「そういえばそうでしたね。なら『緒方大佐』って呼ばないとだめですかね?」
 どこでもそうなのだが、Blau Stellarは「軍隊のくせに軍隊らしからぬ空気」というのが流れている。非常事態になればその時は旧世紀に勃発したいくつかの世界大戦以上の緊張感が流れるのだが、普段はまるで『ゲームセンターのエントランスルーム』の様な雰囲気さえある。
「チェック終了しました」
「話出来る?」
「向こうが回線を開いていれば、ですが」
 緒方が整備士からヘッドセットを受け取り、すぐさま装着した。
「蒼我、聞こえるか?」
『はい』
「久しぶりだな?」
『………………』
「何処にいたんだ? なんて野暮なことは聞かないさ。
 帰ってきた、ってこたぁ俺が前に飛ばした通信を受け取ったって事だな?」
『もし、俺が受け取らなかったらどうするつもりでしたか?』
「いや、俺のDNAが大丈夫だって言ってたからな。
 言ってしまえば『信じてた』って事よ」
『安直すぎませんか?』
「まぁいいや。お前が帰ってきたんならそれで充分。
 通信で話すのもなんだ。降りてこいや」
 スペシネフの機体が降下する。頭部にコックピットが設置されている為だ。
 コックピットがせり開き、中から姿を現した黒ずくめの制服の男、蒼我恭一郎。飯田陸戦隊最後の隊員だ。
「お帰り」
 面と向かって言われて、なんだか気恥ずかしい気持ちの蒼我。
「ちょうど今日は初の顔合わせでな。一人足りないけど、取りあえず顔は出してくれや」
「……はい」
「多分一郎達はまだ来てないだろうけどな」
 笑いながら歩く緒方の後を、蒼我はついて行くしかなかった。



 B棟508シミュレーションルーム。
 職員の通報(?)を受けた友紀と香緒里は一目散にこの部屋に来た。
 開いたドアの先には、案の定……
「一郎ちゃん!!」
「うげっ!? ゆ…友紀!!」
「もうっ! 一郎さん!?」
「赤木さんも!? だ…誰や! 通報したんは!?」
「まったく! 今日がどういう日だか判ってんの!? 隊長が遅刻したら示しがつかないでしょう!?
 そこで他人のフリをしている藤崎君と成ちゃんと哲君もよ!」
「あ……」
「バレた?」
 ばつが悪そうに笑うあとの三人。
「いや、友紀。これには深い事情があってだな……」
「ほう? 言い訳するつもり?」
「友紀! 小言なら後!! ついに真打ちのご登場やで」
 藤崎の一言に促されて、正面のスクリーンに目をやる友紀と香緒里。映し出されているのは二機のVRと二人のパイロットデータ。
 方やテムジン。対するはサイファー。そして、そのサイファーには友紀も香緒里も見覚えがあった。
 ブラックパープルに塗られたRVR−42・CYPHER EDITION NUMBER N.T.−0119。パイロットはNAWOKI TAKAMORI……
「尚貴ちゃん!?」
「あぁ、やっぱあのサイファー例のヤツか」
「いや、もう凄いね。あんなサイファー見たこと無い……」
 哲は笑いを堪えきれずにいた。何かが、少なくとも哲のツボにはハマっているのだ。
「しかもテムジンじゃない。グランディングラムだけは気を付けないと……」
 香緒里の心配を余所に、模擬戦は開始された。


「あーあ、やられたよ」
「結構いいところまでは行くんやけどなぁ」
「ストレート負けじゃないから、勝てないことはないんだけどね」
「……………」
「一郎さん?」
 返事がない。
「一郎ちゃん」
 まだ返事がない。
「おいおい、おっさん。シカトかい!?」
「おっさん言うな! 自分の方がおっさんやんか!!」
「あー、やっと返事した。
 で、どうよ? 『サイファーの生みの親』として、あの戦いぶりは?」
「あぁ…」
 空いていたパイプ椅子を勝手に持ち出して座り、次の模擬戦が始まったスクリーンを眺めている。
「逃げるか攻めるか、やろ? 極端に言うと。サイファーって」
「んまぁ、確かに。結構極端なの多いよな。お前も含めて」
 哲がしっかりと突っ込む。
「俺の事はどうでもえぇねん。
 昔見た時は、もっと逃げ逃げやった気がすんねんけど……」
「最近変えたみたいよ。遠距離攻めに」
「相変わらず近接嫌いなんだ」
 近接命の成一が苦笑いする。
「せやから、なんちゅーか……」
 珍しく、一郎が言葉を選んで発言している。いつも口からぽんぽん適当な言葉で会話しているくせに、と友紀はゲージ0.1%ぐらいに思った。
「あれって『高い高い』っちゅーやつだよな。俺はSLC使う時ぐらいしか積極的に飛ばへんけど、俺的には、おもろいと思う」
 やばい。友紀と香緒里は思った。
 一郎が尚貴に興味を持ち始めている。なんとしてでもそれだけは回避しなくてはならない。
 半ば忘れかけていた「尚貴CRAZE隊入隊阻止作戦」が再び発動した。
「でも、いくら今年の新人サイファーやバイパーが少ないからって、いない訳じゃないんだし」
「そうそう。他の人のも見てから考えましょうよ」
「おがっちももう戻ってるよ、きっと」
「それに、今日は初めての顔合わせなんだから、いつまでも待たしちゃ悪いじゃない」
「そうよ! 皆本当なら遅刻なんですからね!」
 友紀と香緒里の言葉に促され(半分ははぐらかされて)、4人はやっと自分達のブリーフィングルームへと戻る気になった。
「次のシミュレーション何処?」
「次ですかぁ?」
 突然一郎に声をかけられたオペレーターが、慌ててスケジュールを確認する。
「1300時から、ここですけど」
「バイパーUかサイファーおる?」
「え? ちょっと待って下さいね……次にはいませんねぇ。1700時からの隣でならバイパー一機いますけど」
「ここの班は?」
「今日は1130時で終わりです。その後の午後は講義ですね。明日は1300時からまたここで……」
「さぁ、一郎ちゃん。とっとと行かないと流石のおがっちも怒るわよ。
 んじゃ、お騒がせしました〜」
「ちょ…おい! 友紀このヤロー!!」
 一郎の声は、ドアの向こうのフェイドアウトして消えた。



「なんですって!? 一郎ちゃん、もう一回言ってご覧なさい!?」
「せやから、何度も言うとろうが!!」
 夕飯時の食堂に、なんとも不釣り合いな怒鳴り声が響き渡る。
 友紀と一郎が口論を始めたのだ。香緒里は半分おろおろし、哲と藤崎はその様子をにやにやしながら眺め、成一はどうしていいのか判らず苦笑い。緒方は同席していない。
「もういい!! 今度という今度は本当愛想が尽きたわ!!
 赤木さん、こんな馬鹿ほっとこう!!」
 友紀は夕飯がそっくり残ったままのトレイを持って、つっかつっかと歩いていってしまった。慌てて、香緒里がその後を追う。
「一郎さん。もう一回、考え直してみて」
 香緒里はそう言い残した。
 残された4人だが、一郎は憮然としたままだった。
「なんやなんや、あいつら。最終的な決定権は俺にあるんやで。それをなんやねん。やめろだ、考え直せだ、んなん俺の勝手だっちゅーねん!!」
 一郎様ご立腹である。
「俺は、友紀の考えも一理あると思うな」
「哲ぅ! お前までそないな事言うんか!?」
「俺も、そう思うな」
「俺も哲と成ちゃんにさんせ〜」
「お前ら……」
 一郎、早くも背水の陣だ。
「考えても見ろよ。そうだろ?」
「せやけどさぁ……」
「俺は、最終日までじっくり考えても遅くない思うけど」
「俺も、そう思うな。せめて、明日と明後日まで待っても……」
「………………」
 流石の一郎も、ここまで言われては考え直したくなる自分も出てくる。
 しばらく考えて、
「判った。明後日、取りあえず明後日までは見よう。大体の目星付けて、最終日に決定だ!
 これでえぇやろ!?」
「一郎が考えたんなら、いいんじゃねーの?」
「俺も、一郎さんがそれでいいなら……」
「俺も哲と成ちゃんと同じ〜」
「お前ら…… 他人事やと思うて、勝手言うとるやろ!?」
「そんなことあらへんがな。一郎の決定は、俺達の今後にも影響するんやし」
「それに一郎言ったじゃん。『俺んとこの最後の一人は俺一人で決める!』って。
 俺達は一郎の意思を尊重してるんだぜ」
「………なーんかいいように丸め込まれてるって感じ。
 せやけど、友紀なしてあんなに怒るんやろ?」
「さぁなぁ。女の考えてる事はよく判らねぇ」
 さっきの喧噪も何処吹く風。というか、四人が特殊な人種だから、だろうか。すっかり別の事で盛り上がってしまった。
 ちなみに、向こう一週間、CRAZE隊は非番。つまりは「オフ」なので、何処で何をしていようと勝手なのだ。
 それが、新人研修に勝手に乗り込んだとしても……

 新人研修一日目、終了。

ヤガ目の後書き