ミンダナオ子ども図書館を訪れた、
高田真奈美さんの原稿です。
体験が、とっても素直に
見事に書かれていますね。



【旅日記その1 電気のない村キアタウ】
フィリピンよりコンニチハ。
Maayong Gabie!(ビサヤ語)
生きてます!が、また風邪引いてます。
9月10月11月と連続で発熱し、
やっと鼻水止まった翌々日にまた発熱。
何か検査したほうがいいかなぁ(´・_・`)? 
ミンダナオ子ども図書館に行く前に、
キアタウという、
電気ない山奥の村に滞在してきました。
この村から図書館に来ている子どももいるので、
その様子を見てこようと。

??ミンダナオ子ども図書館では、戦争孤児や崩壊家庭、
極貧、虐待などの理由で学校に通えない
子供達の奨学金の支給や、
放っておけない子どもについては
本部で共に生活している。

さて、しばらく遊園地のアトラクションは
遠慮したいほどの悪路を、舌を噛みながら数時間。 
四駆じゃないと絶対進めない凸凹道。 
雨が降れば土砂崩れ。
開けた山々の眺めは素晴らしい。
(妖精に連れていかれるから、
山が綺麗?とか言ってはダメらしい。)

村に着くと、子どもたちがじーーっと見つめてくる。 
私たちは異星人に見えるよね。 
村から出たこともない人が殆どとのこと。
ここでは電気も上下水道の設備もない。 
ほぼ自給自足で、塩や白いお米も高級品だ。
私たちが宿泊した二つの家庭では、
鶏肉とコメを出してくれたが、
これは年に数回しか出ないもので、
わざわざ飼っている鶏をしめてくれた。 
おもてなし。。。(T_T)
子どもたちはキャッサバ(芋)や
甘くないバナナを蒸しただけのご飯だった。
村の朝は5時頃始まり、8時か9時には寝る。
竹でできた簡素な高床式の家。

モノは殆どない。 
家ごと燃やしても残るのは鍋くらいだろう。 
布団もないので床で寝る。
夜中に手の上にネズミが落ちてきた。
何かわからない虫にかまれて、
右手がパンパンに腫れた。
そこら辺にいる犬を撫でようと思ったら
村人に全力で止められた。
「噛むし汚いし、後でそいつ食べるから!」笑

あひるは子どもが叩いて遊ぶもの。
猫はしっぽふんずけて遊ぶもの。
みんな笑う。
夕食は、ロウソクの明かり一つで、暗すぎる。 
正直何を食べているんだかわからない笑
基本はおかず一品にご飯のみ。
味付けは塩だけだが、なぜか美味しい。

風呂は水も貴重だから、たまには入るのだろうが、
シャンプーなどももちろんない。
村人はシャイだし、
英語も通じない人が多いが何も気にしない。 
目が合ったら微笑めば良い。 
他人と自分の境目があまりない、共同体としての意識。 
おそらく日本でも70歳以上の人なら体験したであろう、
町や人々に繋がりがあった時代が
ここではずっと続いている。
東京で、若者が感じることは殆どない意識。
誰が指図するでもなく、家事、育児がこなされていく。 
立って歩いて言葉がわかるなら、
2歳くらいの子どもから、何か家事をする。
「うちの子」「よその子」は関係がない。

赤ちゃんは、みんなが代わる代わる抱っこして、
枝に布を巻きつけただけのゆりかごを揺らす。
(赤ちゃんはほんとに泣かない。
夜泣き、ムダ泣きもない。
というより、みんながずっと構っているので、
泣いて注意を引く、必要がないのかもしれない)
村のどこを見ても物質的に貧しいが、
半分以上が、子どもで凄く賑やかだ。 
そしてなによりのびのび、自由に育っている。 
「何々しなさい!ちゃんとしなさい!
泥がついたら誰が洗うの!」
みたいに叱る母親は皆無。 
怒ることがまずない。 
むしろ母親とは、
オマケでついてきた肩書きであって、
村の人たちみんなが面倒を見ているし、
その中で子どもは、
勝手に育っていくといったほうが正しい。
日本と何もかも違う。。。
私の細胞の一つひとつが、
エネルギーで満たされていくのがわかる。
日が昇れば起き、日が落ちれば寝て、粗食、
1日にすべきことはほとんどなく、薪をくべて米を炊き、
お湯を沸かしてコーヒーを入れたり、
洗濯物を足でふみながらお喋りしたり。 
擦り切れるほど聞いていると思われる、
なぞのフィリピンポップスを家族で聴いたり。 
10人家族で八畳の部屋でねたり。

初めてだけれど懐かしさを感じた、
原始的な村から1ヶ月のフィリピン生活が始まる。 
 
→旅は続く


【旅日記その2  電気のない村キアタウ続き】

電気がないと聞いて一番期待していたこと!
やっぱり星空でしょう( ^ω^ )
夜ワクワクして家からでると、やっぱり凄い!!! 
こぼれんばかりに星が瞬いていて、
ときおり蛍も流れていく。
恋人でこれを見たならば、
勢い余ってプロポーズしちゃうような、
ずるすぎる星空。
「流れ星あと3つ見つけるの( *`ω´)」
と私が興奮しているのを、
村人はポカンと見ていた。 
え、星がどうしたの。。。?
(ざわざわ)みたいな感じで。
普通って怖い。
この村人たちは、他の空を知らないから
そう言うしかないのだけれど、
こんな凄い星空も「普通」になっちゃうんだ。
どんなに金銭的に恵まれていようとも、
素敵な人と結ばれようとも、
素晴らしい宝石を手に入れようとも、
それが常に手の内にあると思うなら普通になる。
普通なんてどこにもない、毎日が奇跡のような
必然の積み重ねだと考えることができるのも、
一種の強さかな。
強い人になりたいなと、
流れる星たちにつぶやいた。
翌朝みんなで川いくぞーと招集かけると、
大人も子どももわーーっとついてきて、
ぜんぶで20人のパーティーになった笑
時間があるっていいなぁ。。。
村で唯一の?オネエ男子もいた。
言葉はわからないが、語尾に?がついてるし、
身振り手振りでオネエだとすぐわかる。
「あたし、一応女のコが好きなのヨ?
あたしの心も女のコだけど?きゃーー!」
世界共通だ。。。((((;゚Д゚)))))))
日本軍が潜伏していたんだか、
逃れて隠れていたんだかという洞窟に先ず向かった。

急斜面を下ること40分(私はこういう怖い、
高い道がめちゃ苦手。
手を引いてもらいながら行く。
完全にお荷物系女子。 
日本だったら絶対
「子どもだけで行ってはいけません」
とか、危なすぎる!
と言われるだろう道なき道。 
一応大人もいるけど、誰も何も干渉しない。 
ジャングルでは子どものほうが身軽にすすむし、
何がどこにあるか良く知っているみたい。 
アンバランスな丸太も、川を渡るのも、
私がびええぇぇと鳴きながら行く間に、
子どもは、風のように走り抜けていく。
森をよく理解していて、本当の意味で
生きる力があるんだなぁと、ただただ感心…。
洞窟に着くと、子どもたちが率先して火をおこし、
それを松明にして真っ暗な洞窟を探検。
70年以上前、ここに戦争にやってきた
日本人は何を思っただろう。 
この暗闇にパチパチと燃える火のように、
静かに戦いへのきもちを高めていたのか。
それとも負傷したり、亡くなったりする同志を尻目に、
美しいジャングルに守られて一時の平安を
得ていたのか。。。手を合わせておいた。

川辺ではバナナの葉でお皿をつくり、
火をおこし、ご飯を炊く。 
魚やカニ、オオトカゲを捕まえて焼く。
つめたーい川で水浴び。
水も貴重なのでお風呂は毎日入れないからね!
小さい子どもはフルチンで川へダーイブ\(^o^)/
楽しかった!!!
DNAにこういうのを楽しいと感じます、
と書き込んであるみたい。
タノシイ
オイシイ
タマシイ
ヨロコブ
話は変わるが、キアタウ村から小学校まで、
子ども図書館の支援が入る前は、
朝四時に出発しなければならなかったらしい。
さらに保育所を卒業しないと小学校に上がれない
というルールを政府が突然作った。
小さな子達が朝四時に何キロも
山道を歩いていくことはできないし、
お弁当も持って行かせられない。 
そもそも三食食べられない子も沢山いるし、
何人もいる兄弟でも1人を頑張って
小学校を卒業されられるか程度。 
高校、大学なんて夢のまた夢。

だからといって塞ぎこんだり、ひきこもりになったり、
自殺したりする子は一人もいない。 
競争に勝とうと考える子も、
リーダーになりたがる子もいない。
大切なのはみんなで協力して、楽しく暮らすこと。 
お父さん、お母さんを助けること。 
兄弟の面倒をみることだと泊まった
家の子供達が言っていた。 
物質的には明らかに貧しいが、
心は、お金では買えないくらい
素直ですこやかで素敵だ。

??山に住む人たちには、
好きで僻地に住んでいるわけでなく、
日本軍から逃れるためだったり、
開発の波に追いやられ、
平地を奪われたりと様々な事情がある。
電気もねぇ!水道もねぇ!キアタウで、
東京とは真逆の何か、日本にもかつてあったもの、
日本の若者の感じている生き辛さの解決の
ヒントになるものがいろいろ見えた気がする。
物質の世界から遠く離れ、
強く、たくましく生きているこの村や、
こどもたちの笑顔が
永く存続しますようにと願い悪路を辿る。

→続く 


【旅日記その3 天の国は彼らのものである】

ミンダナオ島生活も、
20日経って折り返し地点にきた。
ミンダナオ子ども図書館での
暮らしにもなじんできて、
子どもたちとの生活を
楽しんでいる今日この頃( ^ω^ )
ここに暮らすのは、
戦争孤児や崩壊家庭で、帰る家がなかったり、
極貧で食べられず、
学校にも行けない子どもたち。
学費の援助のみの
奨学生を合わせると膨大な数だが、
暮らしを共にしているのは80人くらい。
いわゆる孤児院なのだが、
創設者の松居さんはもともと
孤児院を作ろうと考えたわけではなく、
絵本の読み聞かせで子どもたちに
笑顔になってもらいたい、
との思いでここを始めた。
今も絵本を中心に、子どもたちだけでなく、
戦地となって取り残された、村の人々にも
読み聞かせを通して繋がりをつくっている。
命がいくつあっても足りない。。。

最初は、こんなに大きな組織にしようだなんて
想像もしていなかった、と松居さんは言う。
放って置けない子どもたちの面倒を見ているうちに
やることが次から次へと増えて、
こんなに大きな組織になったらしいが、
殆どが企業などからの大口寄付でなく、
個人からの少額寄付で、
成り立っているというから驚きだ。 
「最近はフィリピンの子どものことと同じくらい、
日本の子ども、若者の精神が気になりはじめた。
なぜ物質的豊かさではフィリピンと比べものに
ならないくらいの日本で、
子どもが引きこもったり、自殺したり、
鬱病になったりするのだろう?
忙しくて、本来は訪問者にまで
手が回らないのだけれど、
ミンダナオの風を届 けたい」
ということで、今回は色々あって
働けていない私に白羽の矢が立った。
(ここまで私が来れたのも、
周りの方々の沢山のアシストがあったから。
私の意志 とは関係なしに、ここに来ることが
トントン拍子で決まっていった。
本当に驚くべきことなのだけれど。)
ミンダナオ島での毎日はとてもすこやかで、
怒ったり、焦ったりするようなことは一つもない。
すべてがゆるい。
ズルしても真面目にも生きていける気がしたよ。
朝焼けを拝めるよう5時に起き、
明日の朝焼けのために9時に寝る。
フィリピンといえど標高の高い場所に居るので、
長袖長ズボンでも寒い。
シャワーはもちろん水。
最初は震えあがっていたけれど、
今は頭からさっさとかぶれる。南無!
トイレはもちろんインド式。
便座はないが、なんてことない。


新疆ウイグル→パキスタン→インド旅での青空トイレや、
日々のう??こ語り、空港でパンツをおろした事件を
経験していなかったらできなかったことが沢山ある。
改めてあの旅をほぼ強制的に行かせてくれた
ビリヤニ一行に感謝したい。。。 
さて、ここにきて驚いたのは子どもたちの明るさや、
素直さ、強さに圧倒されて浮き彫りになった
私の心の壁のほうだった。 
まったくこころが開かない。 
自分の指では届かないくらい
深いところに、その扉はある。
東京で暮らしている間、
私はコミュニケーションは得意なほうだと思っていた。
そうです、みんなが良く知るまなちゃんの心は、
ある意味では、
とても硬く閉ざされて歪んでいたのです。
え?知ってた?
笑顔だけど笑顔じゃない。
元気だけど元気じゃない。
健康な精神と粗食と広い空の下で、
そのことが触れられるくらいハッキリと、
明確にわかってしまった。 
私は親を目の前で殺されたり、
虐待されてきた子どもたちと、
どこか一部でも影の部分が
一致して分かち合えるような気がしていた。 
(全くそんなことはなかった、
というかそこは重要ではなかった。)
今、ここに居て三食食べられ、沢山のともだちがいて、
パパトモ(松居さん)やハウスペアレント
(ダディー、マミーと呼ばれる住み込みの親役)
がいて学校に行ける。
夢がある。笑える強さがある。
天国はまさに彼らのものだった。。。
この天国に近い場所で、
鍵を失くして家に入れない、
核家族の一人っ子になった気分だった。
細胞壁を溶かされて、中身が全部出てしまいそうで、
合体吸収させられそうな気分になって、
ぐちゃぐちゃで。
どうして良いかわからなくなった27歳の日本人の私。
保てない。すっぴんの私では。
なにをすべきなのか、
なにをしたいのかんがえることは
たくさんありでも
まずはこのかんじょうをせいりしなくては。。。
と、3日ほど目眩とともに過ごしていたら
風邪を引いて寝込んで。。。
はぁ、思ってたより色々と気持ちの面では
重労働になりそうだな。。。
と思いながら、知らない天井を仰いでいた。

→続く 


【旅日記その5 前々回のつづき】

大量の蟻いりCoffeeのせいなの何なのか、
フィリピン二度目の発熱で
寝込んで過ごしたクリスマスでした、
皆さまいかがおすごしでしょうか。
やっと復活してみると、年の瀬ではありませぬか! 
私はもうすっかりとミンダナオの生活に馴染み、
師走とは日本のものであって、
ここには、関係がないものだと知りました。
誰も走ってないよ、牛歩。
今は子ども図書館から離れて、帰省する家、
親、親戚のない子どもたち数人と、
スタッフやその家族と、
海でキャンプをしています。
やることといえば、遊ぶことだけ。
ずっと大きな木の下でお昼寝したり、
子どもと遊んだり。
なんという贅沢な時間。


さて、前回の長文の続きです。
感じることがありすぎて、
とても伝えきることはできないと思っていますが、
この年の瀬に暇を持て余している
幸せなかたが居れば、読んでみてください。

子どもたちの圧倒的な輝きに気圧されて、
自分の心の壁に気づいた、
というのが前回までのおはなし。
悶々としているとはいえ、毎日フィリピン流のご飯、
水浴び、遊び、うた、
お祈りなどをして楽しく過ごしている。
本当にここはフリーダム。
誰も怒らない。
誰も何に対しても怒らないのだから、フリーダム。
全てがテキトー。
日本では3秒で怒られるような、行儀の悪い行為も、
道路交通法を完璧に無視した
乗車スタイルも全部ゆるされる。
笑顔で鼻くそをほじり、
何食わぬ顔で私の足に落として、
その手で私のケータイを
スクロールしてもオールオッケー!!
《そう、ここは自由の国》
日本では、何であんなに怒られてきたんだろう、
と不思議に思うくらいだ。
仕事では怒っても怒らなくても変わらない、
一銭の得にもならないことで
一時間くらい怒られたりする。
「そこはすみませんじゃなくて、
『申し訳ございません』だろう!!」みたいなこと。
どっちでも良いんですけど。
機嫌で怒りをぶつけてきたり、
パワハラ野郎も多い。彼らが不憫だ。
私に限らず、家でも学校でも、
うるさいだの行儀が悪いだの、
細かいことで誰でも何かと
怒られてきたんじゃないだろうか。
細かすぎだよ日本人、と小さい頃から思ってきた。 
だから、とてもここは心地よい。
東京では誰かの怒りを見ない日はない。
空気全体がピリリとして、
早くこんな1日よ終われと言わんばかりに
どんどん時計は進んでゆく。
ぶらさがるマンゴーが、
風にゆらゆら揺れるのを眺めながら、
怒る必要なんてどこにもない、
ぜんぶゆるせばいいということに
凄くホッとした自分がいた。
そう、怒るよりゆるすほうがずっと良い。
揺れていれば良い。
どうせこの世には善も悪もないのだから。
化粧もしないし
(一回化粧道具を子どもたちに見せたら、
もうぐちゃぐちゃに使われまくったのもあるが笑)
鏡もみない。(鏡がない。。。)
着るべき服は、
昨日の雨で濡れたので、昨日と同じ服。
私のナルシシズムは最小限に抑えられ、
自我はとても小さくなり、なにも気にしない、
バッチコイ!精神が整ったところではたと気づく。
おお!私ここに馴染んできた!
ビサヤ語も少しずつ覚えてきたし、
子どもたちと遊ぶことにも慣れてきた。 
(そしてご飯に飽きてきた。。。
プリーズギブミー味噌スープ)
第一、心をどう開こうなんて考えて開くものなら、
カウンセラーはいらないのだ。
ただ感じる儘にしている。そこにただよう。 
同じようにしている。一緒に笑う。
他人をゆるしてないから、
自分に対してもゆるすことができずに
壁をつくり出していたのかな。 
いや、反対か。
壁の成分のひとつに「ゆるせない」
という気持ちがあることがわかり、今その壁を壊せた。
がしゃん。
今はとても清々しい。
側では子どもが賑やかに唄っている。
希望の歌だ。

→続く 


【旅日記 個性を超えて】
年末の休みで殆どの子は帰省していたが、
帰る家のない子たちと、スタッフとでワイワイ過ごしてきた。
素朴な椰子の木のビーチ。
砂のベッドで眠ると星の絵本があり、風のタオルケットが涼しい。
そして青空トイレ。
嗚呼なんというメルヘン。。。!!!笑
《競争心は壁をつくる》
さて、ミンダナオ島の人たちは、本当に競争心がない。
何でもかんでも良くしていこうという気があんまりない(ような気がする)。
あるモノで、満足しようという気持ちがある。
これでオールオッケー!明るくてタフでテキトーだ。
以下は旅先で感じた各国の国民性について。
韓国「競争心の塊、誰にも負けたくない。」
中国「何でもパクって劣化させる!!」
ベトナム「努力は実る、頑張ろう!アメリカにも勝った誇りがある☆」
台湾「日本大好き、日本みたいになりたいなぁ。。。」
香港「ペチャクチャペチャクチャペチャクチャ!!!!」
インド「はい、1000ルピーダヨ」
フィリピン『。。。これでヨシ!』←イマココ
??個人の見解です。どの国も私は好きです。

ここの人たちは、集団でいるときは怪獣のようにワーワー騒ぐのだが、
個人になると急にしおらしくなる。
カメラも皆に向けると「撮って撮ってー!!!」なのだが、
誰か一人にフォーカスすると恥ずかしがってどこかへ行ってしまう。
自我やエゴ、目立ちたい気持ちがとても小さい。
コミュニティに属していると強くなれる。
レオ・レオニのスイミーという絵本を思い出した。
だから個性を発揮しなさいとか、
人と違うことが素晴らしいよねとかそんな考えがない。
誰かより抜きん出る必要も、競争に勝つ必要もない。
協調性をことさら意識しているわけではないけれども、
小さい頃からそういう環境なので当たり前になっているのだろう。
すべてのことが、リーダー役がいなくても
阿吽の呼吸で進んでいく。
ところで、運動会で勝てない子がいるから、
順位をつけるのを止めようという記事が
炎上していたのを前に見た記憶がある。
その時私は
「酢いも甘いも経験させないと、大人になってから困る。
運動が得意な子は自信をつけられるし、
苦手な子も何か他の得意なことを見つけるチャンスじゃないか」と思っていた。
運動会云々は置いておいたとしても、
学校でも会社でも競争ばかりに目をつけすぎていないかと
疑問に思えてくることもある。
競争原理は、効率的で合理的な部分もあるだろう。
個人の力を高めることで、全体の力を高めるというのは
一見筋が通っているように思える。
 けれど、たぶんここの人たちはこれをヨシとは言わない。
《多くの人は個人主義、成果主義の社会に
疲れ果ててているのではないか》
『私のスキル』『私の個性』『私が他人より優れた点』
『私が御社に提供できるもの』『私の資格』『ノルマ』
『コンプライアンス』『ヴィジョン』
『我が社のクレド』etc。。。
会社では、相談役の窓際族(私は見たことがないが)は排除され、
情報屋のお茶汲みのお姉さん、
おせっかい焼きの掃除のおばちゃんは効率主義の名の下に消えていった。
企業戦士の末裔が頑張れよと、精神論を持ち出して説教してくる。
ストレスで頭がおかしくなっていることにも気づかないおっさん達のパワハラ。
日々成果を出さなくてはいけない。
成長は続けなくてはならない。
頑張り続けたら、いつか伸びきったゴムのようになってしまうのに。
鬱病の経験が美徳のように語られることもある。
 いつまで私たちは資本主義に魂を売り続けなければいけないのか?
そんな風に思うのは私だけだろうか。 
私たち20代ですら、社会に出て、楽しいと思っている人は少数な気がする。
会社が楽しくて!という人は聞いたことがない。
楽しくないのが仕事の本質なのか?
仕事は人生ではない、割り切ろうというのも淋しい話だ。やりがいがあっても、
東京では手取り20万円もらっても、残業時間や、
給料の出ない労働時間が長い人にとってはワーキングプアと言える。
手取り30万円もらう頃には責任も大きくなって、時間もさらになくなる。
50万円もらって精神内科にお金を沢山落としている人も少なくない。
不安で、焦って、でもどうしようもなくて。
恋人をつくることも結婚も子育ても、なんだか別世界の話に見える。

《曖昧な心、曖昧な生活》
ミンダナオでは、個人と集団の境目も曖昧なように、
仕事もプライベートも曖昧だ。
働いているスタッフは、子ども図書館の敷地内に
家を建てて暮らして良いことになっている。
日本だとどうか?家庭に仕事仲間や、
上司がいると考えただけでゾッとする人がほとんどだと思う。
レストランでもどこでも、赤ちゃんをあやしながら仕事をする。
子どもがギャーギャー騒いでいる横で仕事をする。
みんな気にしない。この差は何なのだろう。
さぁ、叫んでしまおう。ストレス抱えてまで仕事なんてやりたくないんだよ!
会社のヴィジョンなんてどうでもいいんだよ!
さぁ声高に言ってしまおう。うちの会社のサービスなんてどうでもいいんだよ!
生きるために仕事してるんだよ!
宝クジ当たったら翌日から行きたくないんだよ!
ほら言ってごらん!笑
『御社のヴィジョンに共感しまして。。。』とか
思ってもないこと言うのは今日で止めよう、と海に叫びましたワタクシでございます。
でも、それでも、生きていかなくてはならない。
(私も帰ったら働かなきゃ。。。)
お金のある人ない人の二極化は日本でも始まっている。
豊かさを実感しにくい、豊かな国の残念賞。
豊かさは『選択できる』ことだと思っている。
日本ではやり直しも再出発も、遅刻も許されがたい雰囲気がある。
もう私のようなカリスマネオニート(元取締役笑)はほとんど身動きがとれない。
私から愛する友人たちへ言いたいのは、
会社から帰ってつかれた?と暗い顔をしなくて済むように、
仕事は適当にしましょうよ。
日本のGDPを下げまくろう。1億総活躍より、
みんなでみんなが幸せになる方法を考えようよ。
活躍なんてしなくていい。
とはいえ別に今の社会の全てを批判するつもりなどないし、
受けている恩恵にも感謝している。
それは海外にいるからこそ実感できることだ。
さて話を戻すと。個性を発揮して、他人より優れようという考えについては、
立ち止まってみても良いのかもしれない。

限界はもうきていて、東京の空気は、
人々のストレスや怒りやかなしみでビリビリしびれるくらいだ。
個人でやるより、みんなでやれることのほうが、遥かに強くて大きい。
戦後、日本はそれで世界が驚くような復活を遂げたのではないか。
この可能性についてもっと考えられないか。
喜びもかなしみも、自然と分け合っていけるのは、アジア人の良いところだ。
今ある文化、習慣から一旦脱出してみて、驚くほど軽いきもちになれた。
この一カ月の思い出は、ずっと忘れないだろうし、
今後の生き方に影響を与えるだろう。
今までどれだけ自分の手入れ、自分をどう見せるかに、注力してきたかわかった。
個性的であることなど必要ない。
ヒトは生まれた時から、十分魅力的なんだ。
そんなものは超えていこう。自我など宙に漂っていればいいのだ。
他人よりも優れようと思う点が自分にあるなら、
その力で他人のその終わっていない仕事を手伝おう。
自分の小ささを認めてしまおう。
私が1人でできることなんて少ない。
 モテたい、可愛くなりたい。。。
そんな気持ちが膨らみすぎて、お金かけ過ぎたり、
心労を抱えすぎていないか、考えてみてもいいかもしれない。
いっそ、その素敵な服は物質的な貧しさを抱える人に送ってしまおう。
スッキリするし、本当に喜ばれるぞ!笑
心につける羽は「個性的であろうとすること、
人より優れようと考えること」を超えたところにある。。。たぶん。
ミンダナオ島の生活もあと少し。
もうすぐ旅は終わる。