ミンダナオ子ども図書館日記は、松居友(文芸家協会会員)が日記風にしるす、
ミンダナオMindanao、ミンダナオ紛争と平和構築
ピキットPikit、コタバトCotabato地域のミンダナオ紛争、ムスリムMuslim、先住民族Manoboの考察など

ミンダナオ子ども図書館:日記
ミンダナオ執筆日記:2010
(5)


制作中

2010年

12月21日(火)

明日から、帰郷できない子たち20名ほどと海に泳ぎに行く。
海を見たことも無い子も多く興奮気味だ。

朝鮮半島の動きが気になる。
以前、以下のような記事を書いた。
「たとえば、今は、アメリカに言われてポチのように吠えついて、武器を大量に買わされて、アメリカと中国が手を結んだ時点で「番犬は黙っていなさい!」としかられて、キャンキャンキャンとなる程度なら良いのだが、武器を使って噛みついて、一般の人々に、大変な人的被害を出すようになったら(原爆投下のように)悲しいことだ。
武器を売りたい人々にとっては、どこで戦争が起ころうとかまわないわけで、イランとイスラエルでも(サウジが大量に武器を購入)北朝鮮/中国と韓国/日本でも・・・」
韓国の人々には、あまり比喩は良くないので恐縮だが、ミンダナオから見ていると、韓国が噛みついて、日本は後ろから、ワンワン吠える。
けしかけているのは、諸外国とりわけ軍需産業の強いアメリカだろうか。
自動車産業を例に挙げるとするならば、今、強いのは、日本と韓国。
アメリカは、ようやくGMを再建した状態で、中国も今ひとつ・・・
それを考えるならば、
戦争で、日本と韓国を北朝鮮に対立させて、とりわけ、中国との関係を悪化させれば、アメリカとEUが、中国市場を牛耳れる。
中国と共に、世界の車市場は、日本と韓国をつぶして広がる???
国が戦争で破壊されてから、傷だらけになって捨てられるのは、日本と韓国????

再び繰り返すが、対立する背景には、第三者がいる。
その目的は、戦争そのものとは全く別な、経済的、政治的進出と利益である事が多い

コタバトに大量の武器が上がっているのも気になる。
それでも、子どもたちは、本当に元気で明るく、かわいらしい

12月18日(土)

明日は、月例総会で高校大学の奨学生が200名ほど集まる。
12月は、スカラーズデーといって、クリスマスのような総会。
今晩は、すでに大勢が集まり始め、明日の料理の準備で大忙し。
とっても賑やかだ。



キダパワンで、韓国の専門家による
エコプランニングの研修会があった。

http://www.gmanews.tv/story/208374/
korean-experts-teach-eco-planning-in-north-cotabato

The workshop aims to develop plans for the preservation, conservation,
and enhancement of the ecosystems of areas that have tourism potentials.

According to Edgar Paalan, environment officer of Kidapawan City LGU,
the mouth of Nuangan River can be traced to the Liguasan marsh
believed to have vast deposits of natural gas and oil.

The Liguasan marsh and the Mount Apo, the country’s highest peak
that still has lush forests, might quality to become a natural heritage of the UNESCO,
according to Prof. Kwi-Gon



韓国は、積極的にミンダナオに関与しているが、興味深いのは、多くの牧師を先住民地域に派遣していることだ。
ミンダナオ子ども図書館の裏にも、韓国の牧師たちが作っている小さな農場があり、そこを拠点に、先住民の宣教者とくに若者たちを教育して貧しい地域に送り込んでいる。
ミンダナオ子ども図書館の奨学生にも、こうした韓国系の教会で、牧師の教育を受けた若者がいる。
エコプランニングは、アポ山の地熱発電会社、国立のPNOCフィリピン ナショナル オイル カンパニーが倒産してテレビ会社の経営者が買い取った。
PNOCは、日本の丸紅も関わっていたはずだ。希少金属の宝庫と言われている。
先日、ミンダナオ子ども図書館の奨学生の調査でアポ山の山麓の村に行ったが、今まで、PNOCから奨学金が出ていたのが失われレイオフも激しく、この地の先住民が困窮している。
その解決策の一つは、ツールズムだろう。
アポ山の登山口だし、温泉も出る。
さらに、ピキットの戦闘地域で石油の埋蔵が確認されているリグアサン湿原も、素晴らしツーリストスポットだ。

「UNESCOの自然遺産に指定される価値がある」と韓国の専門家は述べている。
韓国の狙いは何かわからないが、経済的効果におけるWin-Winの関係を強調している。
最近よく耳にする「Win-Winの関係」とは、中国から出てきた言葉だが「共存互恵」の訳語だろう。



12月17日(金)

ミンダナオは、クリスマス一色。今度の日曜日は、ミンダナオ子ども図書館の総会はスカラーズデー、終わった後にプレゼント交換や古着の支援もします。
若者たちは、一人10品。
里帰りの時に、家族や兄弟姉妹にあげる古着やおもちゃや靴を持って、帰ります。
メーリークリスマス。


図書館とともだち・鎌倉 おしらせ No.141    

児童文学者、編集者として著名な松居友さんですが、
現在はフィリピンのミンダナオ子ども図書館で、

独自の活動をなさっています。
おはなしの生きている島での生活・活動について伺いました。

 松居 友氏 講演会 『ミンダナオに子ども図書館を作った

松居友さんのお話しを聞いて

松居友さんの作られた「ミンダナオ子ども図書館」は、市民生活を文化的な側面からサポートする「図書館」の性質を、全面に強烈に打ち出して、ミンダナオの子ども達を物心共に支えるスーパー・ライブラリーでした。
たくさんの本はないけれど、地元に息づく物語を、図書館に住む子ども達を語り部として、避難民キャンプや不便な山間に住む子ども達に届けています。
大人社会の理不尽な圧力で、家や保護者を失ったり、衣食にも事欠く生活にある子どもたちが、物語を聞くことで心を潤わせ笑顔になる。
語り聞かせる子どもも、聴き手の笑顔に癒され充足感と自信を得ながら才能を伸ばしていく。
松居さんのプロジェクトは、そこだけを切り取って見ただけでも素晴らしく、「絵のない絵本」さながら「本のない図書館」として、図書館の真髄に迫ったものだと感じました。
更に、そこで力を得た奨学生たちが、現地に戦闘が起こる度に、自ら救済に向かい活動を繰り広げるといいます。
まさに現地の人の力と現地にあるもの(物語)を尊重し、掘り起こした援助活動だと感じました。
未来の社会を変え得る人材を育てるには、単に奨学金を与えて教育を受けさせるだけではなく、その成果を社会に還そうという他者を思いやる心を育む周囲の愛情が必要なのでしょう。

「遊び」と「読み書きせ」の両方に満たされていたと、松居さんご自身の子ども時代を楽しそうに振り返られお話しされました。
ご両親様の眼差しが、今の松居さんの中に生きているのだろうと感慨深く拝聴しました。
人生の岐路で通りかかったミンダナオで、子どもたちの困窮を見過ごせず、その未来を変え得るお仕事をなさっていらっしゃる松居さんのもとからも、きっと同様な人材がたくさん飛び立っていくことと思います。
私ももう少しがんばってみよう、と力をいただいた講演会でした。
ありがとうございました。

ミンダナオに棲む古き良き精霊たちが、松居さんを守って助けてくれますように。
ご活躍をお祈りして、またいつか、お話しの続きを伺いたいと願っております。
 (藤田まゆみ)

感想

ミンダナオの現状にびっくりしましたが、その貧しい大変な中でのおはなし(スト―リテリング)のもつ力にも感銘しました。
コミュニティのあり方をもう一度考えたいと思いました。
松居さんのHPを拝見しているだけと、この講演会を聴くのとは理解が100倍ほど違いますね。
大変感銘受けました。
考えることの多い企画でした。
人と人とのふれあいを感じました。
(ミンダナオでの松居さんの生活の話の中で、「うちの子たち・・」という表現、すばらしいと思います。
図書館=生活の場と思っていなかったので、びっくりでした。)
今の生活で文句なんて言ってられないと思った。(3名)孤独な日本の子供たち、
貧しくとも心がひらけて助け合えるミンダナオの子供たちについて考えさせられました。



12月16日(木)

日曜日に、ミンダナオの現状に関して、IMT(国際停戦監視団)の菊地さん、新任の落合さん達と、かなり長時間にわたり、イスラム地域の状況について話をした。
コソボやアフリカを始め、世界各地で停戦和解の活動を支援してきたそうそうたる方々だが、ミンダナオの状況のあまりにも複雑な様相に「ここは、世界で最も複雑で、問題解決が困難で時間がかかる地域だと思う・・・」という、感想に達したようだった。
政府の下で仕事をしている民兵が、夜はMILFに変身したり、政府よりのはずのバランガイキャプテンから、国際支援の食料が反政府兵士の訓練キャンプに流れるのが当然だったり、反政府軍に銃器を売りさばいているのが国軍だったり???
ミンダナオ情勢は、今少し落ち着いているけれども、現職のアキノ大統領が、平和構築活動を積極的に推進しようとしないことに反政府勢力はいらだっているようだ。
つい先日、水曜日に、ピキットのマカブアルにかなりの規模の軍が入った。

マカブアルでは、11月の村長選挙で、対立候補が落選したが、その腹いせで、リドーと呼ばれる、小規模な小競り合いが起きていると聞いていた。
こうした小競り合いは、ラガイエンでも起こったし、小学校が三つ焼かれた。
小学校が焼かれるのは、他に建物らしいものが無く、事を大げさにするのに好都合だからだが、リドーそのものを、それほど心配する必要はない。
ただ、小規模なリドーのはずのマカブアルで、国軍がかなりの規模で動いたのは、心配だ。
落選した対立候補者が、アンパトアン一族とつながっている事も気になる。
アンパトアン一族は、アロヨ前政権と深く関係し、大量の国軍の武器が流れていて、国軍とも深い関係を有していた。
マカブアル集落には、奨学生もたくさんいるしJICAによる学校建設も完了していて、もう戦闘には、皆、辟易しているのだけれども。

12月14日(火)

ミンダナオに帰ったとたん、子どもたちが迎えてくれた。
『パパ、トモー」と叫びながら、抱きついてくる子どもたち。

しばらくは、訪問者と共に現地での活動が続いた。
先着していた、乾盛夫神父と北九州ライオンズクラブの役員方とピキットの奥の村へ、パンボートに乗って避難民調査。
普通ではとても入ることが出来ない地域だが、福祉局のグレイスさんからの要請もあり、市長が、厳重な警備を保障して行った。
僕らは、ごく普通に行っている場所だが・・・
その後、アラカンのマノボ族の地域にもお連れしてヤギの寄贈をした。
ミンダナオ子ども図書館便り、を見ていただければ幸いです。




11月29日(月)

明日、ミンダナオに旅立つ・・・と言うよりも、帰郷する。
二ヶ月前、一緒に住んでいる100名近い子どもたちが、泣きながら抱きついてきたのを思い出す。
「パパ、トモー、行かないで・・・」
帰ってくるからと諭しても、激しく泣く。
小さい子達だけではない、高校生たちも、泣きながら抱きついてくる(日本で言えば、中学生だが)
帰郷の時は、お土産に腐心する。なによりも、数が多いので・・・
帰ったらすぐに、ピキットの一部で出ている、避難民の調査に行かなくてはならない。
保育所建設や奨学生の調査など、休んでいる暇はないだろうが、それでも、ミンダナオに帰るとホッとする。
自然と、人々の生活があって、時計の針とは無関係の生活と自然の流れがある。
そして、可愛い子どもたち。
日本でも、子どもや若者の事を考え続けて仕事や本を書いてきたが、子どもの頃から、子どもが好きな性格らしい。
10歳あたりから、成長が止まってしまっている?

30年前、二冊の本を初めて書いた。
「わたしの絵本体験」と「昔話の死と誕生」前者は、絵本に関心のある方々に多く読まれた。
後者は、ほとんど売れなかったが、ぼくにとっては、人類の方向性を示す宇宙像を描いた作品で、その後の、「火の神の懐にて」で書いたアイヌ文化の宇宙像や「沖縄の宇宙像」に展開していく。
人類は、狩猟採集文化から、農耕牧畜文化に展開し科学技術文化が生じることによってどのような世界観を作り、何を喪失していったか・・・
さらに、21世紀にいたって、それらを総合した第四の文化を形づくる宇宙像を獲得するために再び、世界や宇宙をどのようにとらえ、座標軸のゼロの上に立つ必要性を書いている。
ゲーテや錬金術の宇宙像、そして東洋の陰陽五行を踏まえて昔話を分析した。
30歳の頃に書いたから、27年も昔の作品だが、現代において、ますますその重要性は明らかになって来ている。

その後、「沖縄の宇宙像」を仕上げた時点で、落ち込む。
50代になる頃で、更年期障害のようなものかと、自分で書いてはいるが、本当は異なる。
その直後、離婚されているから、それが原因だと思っている人もいるようだがそれも異なる。
「沖縄の宇宙像」執筆を完了したとき池間島のおばあから、「あそこまで神ごとを理解したならあんた、死ぬはず・・・」と言われたから、そのあたりが当たっているのかもしれない。
結局、死にそうになっただけだが、復活した。(イエスに導かれたからだろう)
幸い、死ぬことはなかったが、深く落ち込んで、孤独を求めたその底で考えていたのは
「2000年に入ると、何か、大きな変化(大変なこと)が世界で起こる・・・」
どのように人類は生きていったらよいのか、と言う事だった。1999年の事だ。
2001年、9.11が起こったときいよいよやってきたな、と思った。
その頃は、深い落ち込みから抜け出しつつあり新たな世紀、次の時代を作る作業をミンダナオの子どもたちや若者達と一緒に始めていた。

それともう一つ、人類の根源になる宇宙像。
狩猟採集文化の宇宙像を明確にした後落ち込んでいる時期に、
最後にぼくがやらなければならないのは、宗教の問題だと、繰り返し言われた。
「言われた」というのは、なぜかわからないが、内的な声がそう語りかけてくるのだ。
特に、神道のような、狩猟採集文化の持つスピリチャルな信仰と、仏教やヒンズー教、ユダヤ教、キリスト教、とりわけ、イスラム教が平和に共存する世界観。
落ち込んでいるぼくの心の根底に、世界が体験する危機の出現と同時にそうした、問題が、自分の人生の最終課題として提示された。
それが、どのような形で自分の人生の中で実現されるのかは、皆目見当がつかないでいた。
その後、ミンダナオに放り出されて今やっていることの必然的な意味を悟らされ始めている。
このような形で、行動するとは、予想もしていなかったが今は理解できる。
本当に、充実して、美しい形で
子どもたちと平和を実現しつつあるMCL
ミンダナオは、おもしろい。
イスラムとキリスト教と先住民の信仰、先進国と搾取される途上国の相克、抑圧される人権、自然と環境、現代の諸問題が総合的に凝縮されていると同時に、ぼくを待ってくれている子どもたちが本当に可愛い。
この子達のためだったら、また、日本や世界の子どもや若者達のためなら命の二つや三つ、捨てても良いかな、といつも思う。
この世では、命は一つしかないようだが・・・
最悪の時期は、まだ来ていない、これから始まる???
ほぼその先も見えてきている。
明日には、我が子のような子どもたちに会えるだろう。
我が子にも会える。
アメリカにいる、二人の娘とは、もう10年以上も会っていないが・・・まあ、幸せにやっているのだろう。
ミンダナオにいる「我が子達」は
「パパ、トモー!!!」
と言って、駆け寄って、抱きついてくるだろう。一人一人を抱きしめよう。
日本で出会った若者や子ども達の事も忘れることなく。


11月28日(日)

ネット上で、ミンダナオ子ども図書館と関連する、いくつかニュースが流れたので紹介「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は、以下の記事を出した。
アンパトゥアン一族の殺害に関する、詳細な調査記事で、注目に値する。
これは、ミンダナオだけではなく、フィリピン全土また、海外のグローバル企業や武器を携えた自由主義に関わる大きな問題。
全文は、サイトで読んでほしい。ここでは、部分的に抜粋した。
ただここで注意しなければならないのは、これが、イスラムの問題ではなく、
クリスチャン系も含めた全フィリピンの問題であり、ひいては、植民地主義、グローバル経済も含む国際的な経済的植民地主義、新自由主義経済を背景としていることだ。


フィリピン:地方を支配する有力な一族による人権侵害 政府関与
http://www.hrw.org/ja/news/2010/11/16

アンパトゥアン一族の台頭と勢力拡大の背景には、
虐殺当時政権の座にあったグロリア・マカパガル・アロヨ元大統領の支援があった。
同元大統領はミンダナオ島における重要な支持票獲得や
長期化するモロ族との武装紛争への支援をアンパトゥアン一族から受けることで、依存を深めてきたのだ。
そして民兵部隊はアロヨ政権の下、
地方当局者やその他の政権支持者を相手に軍用兵器の売り上げ高を伸ばし、
同国で長年人権侵害を行ってきたとされる軍勢力の強化に充ててきた。
アロヨ政権はこうした重大な人権侵害への不処罰問題にも対処してこなかった。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、虐殺発生の根本的原因や民兵部隊の不処罰問題に、
フィリピン政府が概して対処して来なかったことについて懸念を表明した。
アンパトゥアン一族の民兵は、フィリピン全域で活動しているとされる100もの私設軍隊の1つにすぎない。
事実上、彼らの武装規模は、活動費を提供する地方政治家の力に左右されている。
これまでの政権は1987年制定のフィリピン憲法の規定に従い
これらの民兵部隊を解体・非武装化するという義務を無視するばかりか、
私的な目的のために民兵を統制・利用してきた者の違法行為を捜査・起訴してこなかった。
「フィリピン政府は、マギンダナオ虐殺という国民的な悲劇をきっかけに、
私設軍隊をすべて廃絶し、
すべての人権侵害者を司法で裁くという動きに転ずることができたはずだ。」と述べる。
「有力な一族が思い通りの支配を続ける限り、フィリピン国民は苦しみ続け、
フィリピンという国の評判にも悪影響を与え続けてしまうだろう。」
 
フィリピンにスポーツ用品寄贈 活動報告兼ね写真展
http://www.topics.or.jp/localNews/
news/2010/11/2010_128874703865.html


聴覚障害者でトライアスロンに挑戦し、
アジアの貧しい子どもたちにスポーツグッズを贈る活動もしている鳥海武夫さん(40)
=北島町北村、会社員=が3日から、
フィリピンでグッズを贈った活動を報告する写真展
「フィリピンミンダナオ写真展」を同町北村の「ギャラリーなごみ」で開く。

 展示する写真は、フィリピンのミンダナオ島北部にある農山村などで
鳥海さんが撮影した約50点。
子どもたちがタオルやTシャツなどを受け取って喜ぶ表情や、
貧しい生活環境などを、自身の感想文とともに伝える。

ミンダナオ子ども図書館に来られた、
聴覚障害者の鳥飼さん。
ARMM地域と、キアタウ、ケロハスに古着を届けた様子を
写真展に・・・
 
ミニストップ、フェアトレード認証のバナナをアジアで初めて発売
http://www.eic.or.jp/news/?act=view&serial=24213&oversea=0

ミニストップは、アジアで初めてフェアトレード認証を受けた
フィリピン・ミンダナオ島ダバオ市産のバナナを、
関東以北の店舗(10月末現在1080店)で11月30日発売する。
フェアトレードの日本での拡大推進を目指す。
フェアトレードバナナは、1本105円、または3本178円で販売する。

11月26日(金)

ミンダナオに帰る日が近づいてきた。
子どもたちへのお土産も買ったし、心は、ミンダナオへ飛んでいる。
今、これを、渋谷のカフェーで書いているのだけれど・・

今回の滞在で、成果は多い。
数日前に、日本事務局のNPO法人化も達成できたし、より深い日本との関係が、構築され始めたきがしている。
しかし、何よりも大きな成果は日本の若者達に話が出来たことだろう。
大学でのセミナーも多かった。
日本の若者達に、新しい未来を感じる。
就職など、厳しいだけに、過去、年配の人たちが築いてきた「現在」にスッパリと見切りを付けて、新たな生き方を模索しようとする気配を感じる。
まだどちらかというと、意識は欧米志向のようだが、アジアに目を向ける機運も、確実に芽生えている。
(あいかわらず、自殺も多いけれども・・・・)


今回の滞在で、一番気がかりだったのは、世界情勢の中で揺れる日本の人々の気持ちだ。
ミンダナオで、絶えず戦闘を見てきているだけに、トラウマになっているのだろうか、戦争へ引っ張る力が日本を巡る世界を覆っているのを敏感に感じ取る。
それに対応する世界観を、中高年の人々が持っているのだろうか?それが気になる。
何より子どもたちが可愛そうだ。
引っかからなければ良いのだが。
ぼくが、武器を持たない、殺されても殺さないと決心したのは、ティーンエイジャーの頃、17歳のころだろうか。
高校生で、大学の学生紛争が飛び火していろいろなことを考えた頃だ。
右にも左にも行くことなく、第三の道を切り開こうと決心した年頃。
今、ぼくが、常識では考えられない地域に入っていけるのは、武器を持たない決心をしているからだ。
反政府も政府も混在している複雑な地域であるだけに、武器は日常的に見ることも多い。
そのような中で、なぜ活動が出来るのか、不思議に思う人も多いが、もし護身のために武器を携行していたり軍隊の護衛があったりしたら、かえって恐くて活動できない。
武器を持たないことと、子どもたちのために、命をかけて仕事をしたいという、この二つの想いがあってそれを人々が感じてくれる。
これが最大の安全だと思う。
ただし、絶対だとは言い切れない。
武器三原則の見直しなど、日本は、武装した方が良いという考えがあるようだが、もし、日本が武装したら、危険度は格段に高まるだろう。
渋谷を歩く人々を見ても、今の日本人は、若者も含めて戦争に耐えられるはずがない。
高齢化しているし、体力的にもミンダナオの政府系も反政府系にもかなわない。
金の力だけで(経済力だけで)戦争に勝つことが出来ないことは、近代兵器で攻め込んだ、アメリカが証明している。
(アメリにも、たくさんの良心的な人々がいることも知っているが・・・)
今こそ、どんな挑発を受けても、平和的に解決する忍耐強さを見せるときだ。
憲法九条を全面にだして、逆に対話を続けていく勇気を持つならば、日本は、世界、とりわけアジアの国々から賞賛され、信頼され、経済的にも伸びるだろう。
若者達も、それを望んでいるし、のようなことを今回は深く考えさせられた

ミンダナオの戦闘は、
2008年、9年の80万の避難民が出た戦闘でも、実に奇妙な戦闘で民間の死者は少なかった。
国軍も、反政府軍もプロフェッショナルな戦闘で、戦闘が起こる場所の住民達をまずは、双方とも避難させて、それからドンパチやるからだった。
2000年のフィリピン政府軍と米軍の合同演習。演習という名の実戦が起こったとき。
そして、2002年のやはり合同のテロリスト掃討作戦の時には、多数の死傷者出て死体を埋める暇もなく川に流したと言う、そのときとはずいぶん違う。
米軍が関わってきた、合同演習や掃討作戦は、本当に恐い。
2008年は、おもにフィリピン国軍と反政府軍だったので良かったが、理由は、両方とも、フィリピンの人たちだから民間人をむやみに殺したくないと思っているからで、ピキット市の市長が、ぼくの目の前で国軍司令官に携帯で電話して、戦闘を国道沿いから外して民間人に危害が行かないように頼んでいる。
その後すぐに、反政府勢力のMILFの司令官に、同様の事を頼んでいる。
そんな様子からも、現地の人々は、本当はあまり、戦闘をしたくはない事が良くわかった。

戦争で一番恐いのは、当事者同士ではなく、その背後にいる、第三者なのだ。
日本がそれに、引っかからないように切に祈りつつ故郷を発つ。
たぶん、杞憂に過ぎないだろうが・・・可愛い日本の子どもたちや若者達の事を想いつつ

11月25日(木)

久しぶりに日本に帰ってきて、いつも驚くのが、日本の風景の美しさだ。
自然が豊かで、森の木々が目にしみ山々が輝いている。
今回は、時間が無く、長野の茅野での講演の後、北八ヶ岳をめぐり、みどり池にぬけたが、日本は、九州の湯布院あたりも至る所みどりが美しい。
海外の人々とりわけ、アジアから来ると日本の美しさが際立ち、韓国や中国の人々が、なぜこんなに日本に観光に来たがるのかが良く理解できる。


日本で将来、最も可能性がある収益事業の一つが観光業だろう。
北海道の風景、雪の山、そして夏も雪渓の残るアルプスの岩峰。
海も近く、川は澄んだ水をたたえる。
九州や四国ののどかな田園風景、京都や奈良の古都の文化。そして、温泉。
東京などのビルの風景は、さほど興味深いとは感じられないが、何しろ田舎が美しい。
驚嘆すべきことは、道路が地方の山の農道や林道に至るまで舗装されていることだ!!!
この箱庭的でコンパクトな中に、山川海が全て配置されている日本。
日本の経済的基盤の最も大きな車輪の一つは、観光だとつくづく思う。
観光だけは、家電や車と違って技術革新もいらず、他がまねようとしてもまねられない。
ただ一つ残念なのは、こんなに風景が美しいのに、人々の様子が寒々としている感じだ。
心が閉じこもった感じで、表情もなく出会い頭に挨拶もない。
子どもたちが生き生きと、美しい風景の中で遊んでいる様子もない。
外国人を見るとどこか蔑んだ表情が浮かぶ?
とくに、アジアやフィリピンの人々に対して。
どんなに風景が美しくても、隣人を友として受け入れて自分のように愛すことが出来ない国は孤独で、自殺率が高くても仕方がない?


11月11日(木)

今回の日本滞在中に感じたこと、経験したこと、思ったことを少しまとめよう。

若者達に語る必要性

日本に着く前には、5カ所ほどの講演会しか入っていなかったのに数日たつと、ほぼ埋まってしまったのには、驚いた。
予定表を見ていただければわかると思うが、大学が多い。
東京理科大、お茶の水女子大、立教女学院、立命館、創価大学。
高校もフレンド学園など・・・
このことは、日本の人々が、時代を担うはずの若者達の現状に行き詰まりと不安を感じ、それを打開する方向性をミンダナオ子ども図書館の若者達や活動方針に見ているからだろう。
小学校でも話す機会があったが、これからの若者達はアジアに目を向け、そこでこそ、将来、活動する喜びと課題が得られるように思える。

その点では、韓国はとても先進的でミンダナオのダバオには韓国の若者達が多い。
日本の若者は全く見ないが、これは、日本政府、外務省が渡航を制限しているからだろうか?
韓国の若者達は、すがすがしく、若者同士で交流し、もちろん引率者など無しに現地に滞在。
現地の人々と交わりながら同時に英語を学んでいく。
日本人で見かけるのは、ほとんどが中年男で女の子を追いかけてきたような情けない雰囲気・・・
韓国では、若者を積極的にアジアに、特に貧しい地域に送り出す政策をとっていると聞いている。
もう数年もたつとアジアで活躍するのは、韓国人と中国人そして、インド人になるだろう。
そういえば、ここ数年インド人も見るようになった。
4,50代の、働き盛りのビジネスマンが多い。
もはや、日本の若者は、閉塞的に閉じこもりどこにも自分たちの力で、出て行かない?
ぼくが、生まれて初めて一人飛行機に乗り自分で旅程を計画し、生まれて初めて、外国に降り立ったのはプラハだった。チェコスロバキアだ。
20歳の頃だったから、35年も前のことだ。
言葉も大して通じないプラハから東ドイツへ入るビザをとり、ワイマールに向かった。
当時は、プラハの春の後の頃で当然、チェコもドイツも共産圏だ。
共産主義に興味があったわけではなくゲーテを学んでいたのでワイマールを目指したのだが、もちろん日本人に会うわけもない。
全くの一人旅だったが、それ故に貴重な体験だった。
軍の尋問を受けたりもしたが、みな、良い思い出だ。
それ以来、海外はほとんどが、一人旅だ。
そのような体験を、今の若者にもしてほしい。
今日本ではやりは、海外のNGOへのスタディーツアーだそうだ。
海外NGOを体験すると、就活に役立つのだという。
そんな下心を持った体験が、若者の心を形成するのだろうか???
ミンダナオ子ども図書館でも、かつてやったが、一日いくらで滞在費をとりやらせの保育所建設。
時には、リゾートで宿泊といった現地から見ると不自然な、お客様ようの特別扱いで、日本の若者達を、かえって駄目にしているように感じた。
MCLは、お客様ではなく、ファミリーとして訪問者を受け入れたいし、それが嫌な方には、帰っていただく。
結局、収益目当てのスタディーツアーは、馬鹿馬鹿しくてやめてしまった。
ミンダナオで、現地の若者達と力を合わせたった一人で、図書館を立ち上げたのも本当に楽しい体験だ。
海外での、一人旅の体験が、こんなところに生きていると思う。


絵本をめぐる現状
それと、今回、増えてきたのが絵本や昔話といった、子どもの本にまつわる依頼が増えたことだ。
以前も、絵本論や昔話を通した自立論を語ってきたが時代が行き詰まっているからだろう、ミンダナオの子どもの姿を含めて、新たに聞きたいという要求が多い。
10年以上前の子育て時期に講演を聴いておいて良かったという方々にも多くであう。
読み聞かせや子どもの本の関係者、図書館員や出版に関係した人々から聞こえてくるのは、ここ10年で、絵本が本当につまらなくなったと言う苦情だ。
「絵本の世界が、ちまちまとして、趣味的で、女の世界になってしまった」
これは、女性蔑視で言うのではない、絵本に関係している、女性達が言っているのだ。
確かに、出版は低調で、本来、時代に向かって何を語りかけていこうとしているのかという、主張もビジョンも無いような気がする。
売れれば良い、売れるか売れないか、当たるか当たらないか。
そればかりなのかもしれない。

出版の本来の意味は、時代に向かって語りかけ時代を切り開くこと。
子どもや若者達の羽ばたきや旅立ちのきっかけを作ることだと思うのだが・・・
それが全く失われているというのが、父の意見だった。
驚いたのは、編集者が、ほとんど持ち込みの原稿からしか絵本を作らないと言う事だ。
これには、あっけにとられた!
ぼくも編集者時代があったが、90%は、絵本作りを考えたことも無かった作家や画家を起用。
ようするに、時代の中で生き、表現している芸術家の力をどのように、絵本という形で子どもたちに伝えるかを考えてきたからだ。
父の編集者としての仕事「だいくとおにろく」などの赤羽末吉や荻太郎、佐藤忠良などもおよそ、絵本とは縁のない人々だ。
それゆえに、絵本という狭い概念を超えた時代の力を作品にこめて表現している。
絵本から、絵本の発想を得て、絵本を作るという、絵本から抜けられない絵本が多い?
絵本の外の世界から、絵本という形で本を作り子どもの心を、絵本の外の世界へダイナミックに向かわせる絵本が本当に、無い、と感じる。
他の絵本を見て、絵本に興味を持ち絵本の世界から、絵本を作る三次産業的に絵本は、3番煎じの出涸らしのような感じがあって絵本で育った?ぼくには、趣味的でおもしろくない。
かつては、ぼくも、編集者だったわけだが、手島圭三郎も吉田遠志も井上博幾もおおよそ、絵本など考えていなかった本格的な画家達であってその世界は、彼らの人生の生き方そのものの表現だった。
おそらく、父が言うように、今の絵本のつまらなさは本格的な信念や理念を持って時代に、今の子どもたちに向かおうとする、本物の編集者
本物とは何かという事が理解できる編集者がいないという点に尽きるのだろう。

ミンダナオでは、たとえ絵本が無くともお話が見事に生きていて
それゆえに、コミュニティーも生きていて子どもたちの生きる力も生きていて、ちょっとやそこらで、自殺などしない。
絵本が無くとも、絵本の原点が生きていることをぼくは、彼らから学んだ。
彼らと共に、僻地の子どもたちと会い読み語りを楽しむのは、本当に充実していて、すばらしい。
ミンダナオには、本物の世界が生きているといつも思う。
ぼくが、先進国のグローバル化によって追い詰められ作られた貧困の中であえいでいる現地の子どもたちや若者達から真実を学んだように、日本の子どもや若者達そして、大人たちも、彼らからこそ、生きる力の真実を謙虚に学ばなければならないのかもしれない。
空虚な絵本を読み聞かせても家庭も個人も崩壊し続け、自殺はいっこうに減らないだろう。
思い切って視点を変える体験を日本から出てしない限りは?


11月9日(火)

ミンダナオ子ども図書館、そしてぼく自身への誤解が無いように、この辺でMCLのスタンスを明確にしておこう。
戦争に対する危惧やプランテーションに対する危惧をサイトに掲載しているが、ぼく自身、「何かを告発する」といった考えは全くない。
コミュニティーが大事だと言っても、ぼくは、コミュニストでもないし共産党員でもない。
高校時代に、左翼運動に関心は持ったが、すぐにその限界を感じ取り、右でもなく、左でもなく第三の道を見つけようと心に決めた。
その方向性は、今に至っても変わらない。
団体にも、秘密結社にも属していない。
とにかく、何にもクラブや結社に加盟してはいない。
もちまえの、めんどくさがりやなのだ。
大学時代に、恩師の木村直司教授から(元上智大学教授でゲーテの自然科学の本を出している)ゲーテのコスモロジーにかんする、宇宙像を学んでいるし、中世の錬金術やユングやゼーデルマイヤーを学んでいるからルシファーや自然と関連した宇宙像は、
把握しているが、沖縄やアイヌのシャマニズムに通じる宇宙観も、さらなる根底として把握している

ミンダナオ子ども図書館の寄付は、99%が個人寄付。

企業からの寄付も含めていつ途切れても、大丈夫な体制を引いている。
ちなみに、ぼくは、給与を一切寄付からもらわず(印税と個人的に渡される講演収入だけ)日本事務局のMCLジャパンスタッフも含めて完全ボランティア。
寄付は、全額、子どもたちのために使われている。
宗教的には、祖母は、仏教の浄土真宗だったし父は、日本基督教団だが、ぼくは、カトリックに属している。
といっても、ほとんど内実にはあまり関心がない一平信徒に過ぎない。
一信者に過ぎないから、イスラム教徒やマノボ族の子たちと一緒に住み、朝は、イスラムの祈り、昼はマノボ族の祈り、夜はキリスト教徒の祈りで食事をする事が出来る???
もちろんぼくは、モスクでも祈るし、お寺も大好きだ。
ミンダナオ子ども図書館の現在のプレシデントは
イスラム教徒のアスレーさんだし。


ミンダナオ子ども図書館は、Non Religious Sect, Non Politic
特定の宗教や宗派に偏らない、政治的な動きにも関わらない団体だ。

ゆいいつ、所属しているのは、カトリックだが、洗礼を授けて下さったヘルマン・ホイヴェルス神父との出会いが大きい。
(『人生の秋に』(春秋社)といった本が出ている)代父は、先述のゲーテ研究家の木村直司教授。
この世に理想的な宗教団体などが、有ろうはずもなく(人間が組織するものであるがゆえに)ぼく自身は、カトリックが、まあこの世において属するには良いところかなと個人的に思うのは、神父の説教が、時には納得できなくても聖体拝領でイエスと出会えることと、バチカンが世界の神父や信者を完全に牛耳っている訳でもなく(そう思っている人が多いようだが、ミンダナオにいると良くわかる)右から左、聖人のような神父や修道女から、女ったらしの(時には子どもがいる・・・失礼、でも本当)神父まで多様だからだ。
フィリピンでは、暗黙で子どもがいる神父もいるが、神父をやめて愛を貫いた、元神父に、人々は喝采を送る。
大事なのは、愛だと思っているからだろう。
フィリピンのカトリックは、明るくおおらかで、しかも、歌も朗らかでとても良い。
カトリックは、まあ、これだけ世界各地広がると、金持ちから極貧の家庭まで、人種や教会の歌や表現まで文字通り多様で、簡単に突っ走ったり、戦争には荷担できないだろう。
2000年に、過去犯してきた2000年間の罪を告白したところも大いに気に入っているところだ。
自分たちこそ最高で、正しいと思い込む宗派ほど恐いものはない?
特に気に入っているのは、ミンダナオでは、命がけでイスラムの子達を救おうとするシスターやブラザーなどのミッション修道会の存在で、こうした修道士や修道女、神父達の活躍はすばらしい。
NGOという観点から見ても、宣伝もしないし、頭が下がるような活動を現地でしている。
バイクに乗って、ミンダナオの山岳地帯を駆け巡り政府も反政府も関係なく、ミサを建てていくファウスト神父やジョバンニ神父など、なかなか勇壮でかっこいい。
オブレード会で、イスラム教徒を救済しているピキットのライソン神父やオーランド司教には頭が下がる。
結婚する気もなく、むしろ人生の生き甲斐を探している若者達など、派遣労働者にもなれず、グチグチしているよりも、こうしたミッションに人生を捧げたら良いのにといつも思う。
修道会には、欲得を超越した奉仕に捧げるコミュニティー精神が生きていて、カトリックを支えているのは、彼らだと思う。

また、プランテーションの事などを書くのは、告発したいからではない。
(そのようなNGOの存在も知ってはいるが)ミンダナオ子ども図書館の子どもたち、ぼくにとっては、我が子のような子どもたちが、それらの影響をもろに受けて家族や村人たちが困窮している様子を毎日見るからだ。


ぼくの活動の原点は、いつも我が子のような子どもたちに対する愛情!

イスラム地域の子どもたちも、ぼくには、我が子のように思える。
戦闘などで、彼らが困窮している様子をみると多くの人々、特にその原因の一つを作っている先進国の人々に、現実を知ってほしいと思う。
現実を知り、可能であれば行動を起こし対処してほしいと切に望む。
フェアトレードなども行動の一つだろうし、資源と戦闘の問題を見ながら日本を見ると北朝鮮、中国、東シナ海、南シナ海の問題が、さらに大きな戦争に拡大しないか気になるし、戦争が起こったとき被害を被るだろう子どもたちが、ミンダナオのイスラムの我が子のような子たちの顔と重なってくる。
それだからこそ、日本の将来を開いていくはずの若者や子ども達の事がとても気になる。
そうした想いから、発言するのであって政治的な闘争や告発を考えているわけではない。
ただし、現地では、国際的なプランテーションや山に追われた民族、イスラムや戦闘の真の原因に触れることはタブーで、ぼくが知っていた女性議員、先住民族を擁護していた弁護士、OMIというオブレード宣教会のラジオ解説者夫婦も殺害されている。
ジャーナリストやNGO関係者も多数殺されていて、とりわけ現地の人々が殺されるが、過去には、とりわけマルコス時代、ダバオやキダパワンの神父達も殺されている。
現在でもたまに、国際NGOの人も殺されると言う。
殺害者は、覆面をかぶっているので特定できないが、マスコミでは、反政府勢力の仕業と書かれていても、現地では、軍か警察か有力者や企業がやとった殺し屋だと言われている。
5000ペソ(一万円)だせば殺し屋が雇えると言う。
アムネスティーも抗議してるが、ぼくの場合も、殺害の可能性があると、子どもたちやスタッフが心配している。
我が子を誘拐される可能性も否定できない。
反政府組織の場合は、すぐに解放されるだろうし殺害はないと、言われているが・・・
もしも、ぼくが殺されたら、「反政府組織の仕業と思われる」とマスコミに載るかもしれないが信用しない方が良いだろう。
ときどき、「イエス・キリストも最後は殺されたから仕方がないか」と思うときがある。
子どもたちが、可愛いから活動しているだけなのだが、愛に生きようとすればするほど、殺される可能性が高まってくる?
それでも、決して武器はとらない覚悟はしている。



11月9日(火)

コミュニティーとは、8日の記事で書いたように「隣の人を、自分のように愛する事」と考えると、それを広げていけば戦争は、無くなるはずだ。

ミンダナオのプランテーションで山に追われたマノボ族の極度の貧困も、グローバルな企業の現地を顧みない利益追求から生まれたものだし
イスラム地域の国際的な天然ガスや石油の利権を目的とした戦争も、結局は、現地の人々よりも自己、自国、自社の利益のなりふり構わぬ追求から生じた結果。
そこに、武器製造企業などが絡んで戦闘が、意図的、計画的に作られる様子はミンダナオによく見える。

さらに、国際的なNGOも絡んでいる(かもしれない)としたならば、皆さんは、どう思われるだろう。
しかし、隣の人、特に貧しく困窮している人々の事を切り捨てることなく優先し、考え、野心もなく、満ち足りた小さな平和を望んでいるこうした人々が幸せに暮らせる社会を優先し、支援し、作り上げることを考えれば・・・
隣人の中でも、こうした人々をとりわけ大切にする社会を作り上げれば、戦争は、最もやってはならないものであることが、理解できるだろう。
「隣の国の人々を、自分の国の人々のように愛する事」自分の国の豊かさが、隣の国の人々の貧しさを作る原因にもなっている事を理解すること。
ミンダナオのバナナプランテーションに追われるマノボの子たちのように・・・
隣人、隣国、そうした最も身近なところと友情も結ぶところから考えるとき、初めて、世界の平和が実現するように思えてならない。



世界が、経済や政治、軍事分野で複雑な動きをしている現在、フィリピンのミンダナオという地域から海の向こうの欧米諸国と日本とを比較するといくつか興味深い点に気がつく。
欧米諸国は、実に、戦略に長けている。
おそらく、ヨーロッパでは、長年にわたって歴史の中で諸国が戦闘を繰り返し、複雑な国家や宗教の対立のなかで生き延びざるを得なかったからだろう。
戦争のおこし方、対立の作り方。
相手側に工作員を送り込む方法、マスコミを使った宣伝作戦、人心操作?
日本は、江戸時代の300年の平和そうした平和が続いた後、突然、世界の中に引き出されて、何もしらずに世界戦略の渦中に巻き込まれ
二つの戦争を経て敗退。
真珠湾攻撃の際も、見事に戦争を作る操作に引っかかり原爆投下で、全てをうしなったにもかかわらず、当時、どのように、国際社会の中で孤立化させられ戦争に焚きつけられていったかの、戦後の冷静な分析がなされていない。
アジアにおける、誤った行動、とりわけ、大量の虐殺の反省、ミンダナオでも、穴を掘って、多くのマノボの人々が生き埋めにされたという事実など(マノボの妻といっしょになって、山に逃れた日本人たちも多いが)そうした検証がなされていないのは、とても不安だ。
アジアの各国にとっても不安だろうが、また、同じように、世界戦略に載せられて、たとえば、今は、アメリカに言われてポチのように吠えついて、武器を大量に買わされて、アメリカと中国が手を結んだ時点で「番犬は黙っていなさい!」としかられてキャンキャンキャンとなる程度なら良いのだが、武器を使って噛みついて一般の人々に、大変な人的被害を出すようになったら(原爆投下のように)悲しいことだ。
武器を売りたい人々にとっては、どこで戦争が起ころうとかまわないわけで、イランとイスラエルでも(サウジが大量に武器を購入)北朝鮮/中国と韓国/日本でも・・・武器輸出三原則を改正して日本企業も参加に名乗りを上げている?


日本が武器を持ったらアジアは日本から離れるだろう。
欧米ならば、多少は戦略的な判断ができるだろうが、300年の平和を享受し、戦争の仕組みを知らない日本が大戦時のように、ただ感情のなすがままに武器を振り回せば、子どもにライフルを持たせたようだ・・・
欧米と日本の歴史の違いは、商売の方法にも見えるような気がする。
欧米の商売の方法は、植民地主義のように、商人は、貴族と結託し貴族の持つ軍事力を使って他国に軍を送り植民地化し、反政府的な人々を追い出し経済的に支配する。
まさに、現在、ミンダナオでも起こっている事のような気がする。
日本の場合は、近江商人がそうであったように商人は、貴族や武士と関わることなく、武力行使もせずに独自の文化を形成していった。
文化とは、欧米では、貴族文化のことを指し、日本では、町人文化、貴族や武家とは一線を画した純粋な市民文化が生まれている。
それが、江戸の300年間続いた平和な時代を作ったように思われる。
江戸時代から商業で、ミンダナオまで貿易し、明治になっても戦前には、ミンダナオのダバオには20万の日本人が住み、マノボ族と結婚して現地に溶け込み日本人学校も出来たりしていた。
「郷に入っては、郷に従え」が商
売の基本であり、武力を使った植民地主義とは異なっている。
大戦でその全てを失ったが・・・

中国の場合は、華僑だが、これはなかなかしたたかだ。
良くわからないが、とにかく武力は行使してこない。
静かに深く浸透するがアイデンティティは保持して中華街を形成するが、小さな商店もミンダナオの小さな町にまで広がっていて、ダバオやコタバトにも大きな中華学校があり中国語が教えられている。
日本の場合、ダバオに戦前まで日本人学校があったのだが、欧米の仕掛ける戦争にまんまと引っかかりその後全てを失ってしまった。
欧米の戦略にひっかかるか、自立して、地域と調和をしながら(ウインウインの関係で?)独自の判断を下していったかの違いだろうか。
まあどちらにせよ商売の仕方は、現在の日本の貿易や自動車産業、衣料や家電にしても、日本のやり方は、武力を使った植民地主義では無いことは確かで中国やASEAN諸国に近い。
ただ、政治が暴走すると怖いのが日本で、単純なだけに、もう一度、大戦へ至った経過を検証しアジアに対して行った失敗を反省する方が、将来の日本のために、特に、今後、おそらくアジアを含む世界で活躍していく子どもや若者たちのためにも良いだろう。
戦争を起こさない商業、貿易、友好関係のなかで互いに語り合って問題を解決し貧困層を作らない発展を模索する力が、アジアにはあると思う。



11月8日(月)

コミュニティーとは何かを考えてみると・・・それは、おそよ団体生活とは異質なもので、クラブ活動やサークルでもない。
ましてや、行政による地域社会や町でもない。

ミンダナオ子ども図書館には、イスラム教徒もキリスト教徒もマノボ族も仲良く生活しているが、ここには、コミュニティーがあると感じる。
ミンダナオ子ども図書館は、施設ではない。
スカラシップを受けている子の中で家庭状況や、学校まで遠くて通えない子、三食食べられなく、お弁当を持って行けない子などが、住んでいるが、皆、自分たちの意志で来る。
だから、家族の元や、親戚、郷里に帰りたくなった子はいつでも、戻れることになっている。
いわば、下宿や寮のようなものかもしれない。
ただ、読み語りや避難民救済などのボランティア活動には積極的に参加する。
しかし、山の集落には、コミュニティーが生きていると言った場合それは、集団社会が機能していると言うのではなく、子どもたちも大人たちも、個人として尊重されながらも、お互いに理解し合い助け合って生きているという事だ。
つまり、互いのコミュニケーションが生きている、互いに愛し合っている、助け合っている、友情や愛情が生きている社会だ。
だから、家庭が崩壊し親がいなくなったとしても子どもは自殺などしない。
周囲の人々の愛や仲間の友情に支えられるからだ。

コミュニティーとは何かと訪ねられたら、ぼくは即座にこう答えるだろう。
「隣の人を、自分のように愛する社会」

日本には、この感覚が失われ、皆、競争社会のなかで孤立し、孤独だ。
そのような教育で育ったエリートが政治や経済を動かしているとしたら恐ろしい。
隣の人を、自分のように愛する事のできない人は、隣の国の人々を、自分の国の人々のように愛する事はできないだろう。
ミンダナオの資源獲得のために起こされる紛争や戦争。
先住している人々を山に追いやって広がる、グローバル企業によるプランテーション、隣の国の人々を、自分の国の人々のように愛さない自己中心的なエゴイズム。
今の日本人たちは、中国や韓国やフィリピン、そしてASEAN各国といった隣国の人々を自分のように愛せるだろうか。
成績優秀で、エリートとして育てられた政治家ほどこうした気持ちがわからない???


10月29日(金)

日本に来ると、孤独のどん底に落とされるような、気持ちになる。
それが、今までは、2週間ほど続いたのだが、今回は、3週間ぐらい続いた。

日本人の心の状況、経済的、政治的に一段深く落ち込んだような気がするが、二番底は、これからなのかもしれない?
経済的には、ミンダナオの山に追われたマノボ族の集落などは、3食たべられないような、7番底ぐらいの状況なのだが、子どもたちや大人たちの様子には、どん底の暗さはない。
開き直ったのかというと、そうでもない。
彼らの心、生きる力を支えているものは、何かを考えると、次第にわかってきたのは、分かち合い、助け合い、友情や愛の生きているコミュニティーであることがわかってきた。
コミュニティーと言う言葉は、日本では、死語に近い。
コミュニティー、社会、地域社会、ご近所づきあい、どのように訳したら良いのかわからないが、ミンダナオの貧しい集落には、コミュニティーが生きている。
日本では、コミュニティーどころか、家庭も崩壊している。
家庭の大事さは、講演などで、識者が強調しているようだが、家庭が大事、大事と言っても、ミンダナオの社会、家族、子どもたちの生き生きとしている様子を見、考えるに付けコミュニティーが崩壊しているところに、家庭は成り立たないのではないかと思う。
先進国社会は、学校教育、識字、自由主義の力で個人主義が可能になった、と言われる。
確かに、日本の人々も、個人の自立、確立が進み、それが、コミュニティーの崩壊や、家庭という集団社会を崩壊させたと思われるときもあるが、個人主義が確立したように見える日本の人々を一人一人眺めていると、その内面で、「個人」すら崩壊しているように見える。
こうした観察から、ぼくは今、このように考え始めた。
コミュニティーが崩壊すると、次に家庭が崩壊する。
家庭が崩壊すると、しまいには、個人も崩壊する。

家庭は、コミュニティーから生まれ、
豊かなコミュニティーによって、支えられる。

コミュニティーの無い社会に、家庭も無い。
さらに、コミュニティーの無い社会には個人もない。
個人は、家庭から生まれる。
家庭は、コミュニティーから生まれる。
ミンダナオ子ども図書館の子どもたちを見ているとわかることだが、家庭が崩壊しても、彼らは個人として、崩壊しない。
自殺もしない。
なぜか、コミュニティーが生きているから。
つまり、コミュニティーは、家庭、そして個人、全ての人々の「母体」なのだ。
コミュニティーのなかで個人は存在し得ると同時に、コミュニティーと個人の間にあって、その両者を結ぶ場が家庭なのかもしれない。
三位一体で、初めて愛が完成する?


10月27日(水)

中国の若者たちが、反日デモを行っている。
裏から政府がコントロールしている・・・
貧富の格差によって起こる不満を転嫁している・・・
などなど、いろいろな要因があるだろう。
フランスでも若者たちがデモに参加。
デモに参加する気概があるだけ、元気な国なのかもしれない。

若者たちの反日感情の昂揚は何故だろう。
円高で、日本企業の国内生産と輸出は厳しく、日本の企業は、中小も含めて海外進出に活路を見いだそうとしているが、感受性の鋭い若者たちには、それが、海外侵略と映り、大戦中の日本軍の行動と重なるのだろうか・・・。
しかし、ミンダナオからの視点を加えるとしたならば、対立を煽る背景には、必ず、「見えざる第三者の存在」がある。
各国政府も、軍隊も、政治家も、場合によっては民衆さえも、マスコミやテレビを通して、「見えざる第三者」の影響を受けていると考えると、意外なところに存在する、その意図と目的は何だろうか。
日本が円高を利用して、海外に進出していくのを押さえたいと思っている国々・・・
もしも、日本と中国と韓国そしてASEANが強い友情で結ばれて、協調して経済活動をしはじめたとしたならば、経済力の世界第二位と第三位に加えて、強力な韓国とASEAN各国が一体となるわけだから、経済的なパワーの大方は、東アジアが牛耳るだろう。
それに、危機感を抱くとしたならば、東アジアを分断させ、中国を孤立化する政策を展開したくもなるだろう。
加えて北朝鮮も希少金属の宝庫であるし、東シナ海、南シナ海も資源の宝庫だと言われている。
ミンダナオは、南シナ海領域に入り、米軍は、ミンダナオのサンボアンガやジェネラルサントスに南シナ海を中心にインドネシアからマレーシア、ベトナムを睨む基地を置こうと計画している。
東シナ海の基地は、沖縄だろう。
北朝鮮の潜水艦の問題から始まって尖閣列島の問題、若者たちのデモ、日中の政治的な対立・・・
金持ちの日本が、円高で海外に進出するのを止めて逆に大量の武器を購入し、武装をしてくれれば、儲かるかもしれない。
サウジアラビアが、大量の武器を購入したように・・・
だからといって、見えざる第三者が米国だとは思っていない。
米国の経済力の疲弊をにらんだ国家を超えた、グローバルな力、世界の中で、善悪二元論を使って対立を起こし、国際的な政治的なプレゼンス、軍事的なプレゼンスを高めてそれによって利益をあげる?
国家の安全は、経済的には、共存互恵、隣国と深い友情で結ばれるところから始まると思うのだが・・・


10月25日(月)

日本について25日間が経過した。
日本に着くと、必ずと言って良いほどに落ち込む。
想像を絶する孤独感に見舞われるのはなぜだろうか。
ミンダナオ子ども図書館での子どもたちをはじめとする人間同士の交流が温かく愛情に満ちていて、互いに支え合う心が生きているのにたいして、日本の社会は、人々が孤立していて、孤独感ばかりが迫ってくる。
孤独な老人や子どもたちの話題がニュースで飛び交うが、ミンダナオとの差を激しく感じる。

経済の豊かさと心の貧困は、反比例しているのだろうか・・・
日本からの訪問者、とりわけ若者たちがミンダナオ子ども図書館に来ると、ほんの数日の滞在であるにもかかわらず、別れの時に、激しく泣く。
それだけ、日本で、孤独の中に住んでいて、MCLにやってくると、日頃、深く求めているにもかかわらず満たされることがない、愛や友情に飢えていた心が、現地の若者たちとの出会いでどっと開かれ奥底にしまい込み、失われていたと感じていた自分自身が、一気に復活するからだろう。
「帰ってくるからね、また帰ってくるからね私の事を忘れないで・・・」
泣きじゃくりながら、どちらが故郷で、どちらが故里かわからないような言葉を口にして帰って行く。
何が日本と違うのだろうか・・・
日本の若者たちの事が気になるが、少なくとも今回滞在して多少なりとも世論が、若い世代の事を心配し、気づかい始めていると感じる時がある。
今までは老人のことばかりだったが、若者こそが未来なのだ・・・。
「若者よ、派遣労働者よ、この辺でイッチョ、デモでもやったら・・・」などといったら、ひんしゅくを買うだろうか?
ミンダナオと日本の社会の大きな違いは競争社会か、お互いに助け合い、心を分かち合うコミュニティーを重視した社会かの違いであるように思えるときがある。
ミンダナオは、ある意味では、現代の競争社会の落ちこぼれグループの典型だ。
貧しく、開発からも、経済システムからも、教育からも取り残された人々、多くの自称先進国の人々は、こうした人々を哀れと思ったり「努力が足りない」と蔑んだりする。
ミンダナオは、かつては豊かだった。
国際的な資源獲得競争によって起こされる、戦闘、プランテーションなどの国際資本によって山に追われる、先住民族、ミンダナオの貧困は、国際的な資本主義社会、グローバリズムと新自由主義が、民主主義の理想だと思い込んでいる先進国の経済至上主義によって作られた貧困だと思う。
ミンダナオの貧しいコミュニティーこそ真の民主主義の具現化だと、感じる時がある。

もともと、競争よりも、分かち合うこと
競争相手を蹴落とし、追い詰めて、自己、自社または、自国の利益を獲得することより、平等で分かち合い、互いに愛し合うことを求める人々もいるのだという事を先進国は、忘れていないだろうか。
日本の若者も含め、競争することよりも、心を分かち合い助け合うことを大切に思う人々がいる。
今の若者たちが、真に求めているものは、これではないだろうか。
ミンダナオの、特に貧しい人々は、そうした心を失っていない。
それに出会って、若者たちは、号泣する。
「生き残るためには」競争社会を勝ち抜かなければならないと日本人たちは、子どもの時からたたき込まれる。
「生き残る」という意味は、競争が嫌いな負け組は「死ね」または、「死ぬしかない」「あんな者たちは放っておけ」と言う意味かもしれない。
そうした気持ちを人々が抱いて生きている社会は、心の安まる社会だろうか。
孤独な社会ではないだろうか。
そうした競争社会に疑問を持ち競争社会のなれの果てとも言えそうなグローバリズムや新自由主義の陰で、貧しく虐げられている人々と分かち合い心のつながりを持つことを大事だと考える人々も、日本にはいる。
そういう人々が、ミンダナオ子ども図書館を心から支援して下さっていると感じる。
その心の根底は、優しさかもしれないし哀れみかもしれないし「取り残されている人々」?を自分たち同様の、先進的な?競争社会、新自由主義的民主主義?に取り込むことかもしれないが・・・支援する心に違いがあっても良いとして、ぼくの目には逆に、自分の社会が喪失した大事な心に対する希求や危機感が根底にあるように思われる
プライドもあるから率直には言えないとしても、心のどこかに、本来の優しさや人間性を失った自分を少しでも回復させたいという希望が無意識に働いているのではないだろうか。
その点、若者たちは、率直で感性も豊かだからミンダナオ子ども図書館の子どもたちに出会うと心の底から慟哭するのだろう。

小学校の恩師無着成恭師が言った言葉が忘れられない。
仏教では、支援や寄付は、布施または喜捨という。
寄付とは、つまり、自ら執着しているもの、財産や我執を喜んで捨てることであり、それゆえ、信者は、ひざまずいて僧侶に布施をする。
布施をする方が偉いのではなく布施をする方がひざまずくのは、それによって、自分を救って下さいと願う行為だからだ。
寄付する方の者、支援する側の者が、自分を低くして、貧しい人々の心によって救ってもらう、それが、寄付であり、支援であるのかもしれない。
ミンダナオに来た若者たちに、言う言葉
「何かをしてあげようと思うよりもまずは、友達になること。
友達になれば、友達が困っているときに何かしたいと、心から思う。そこから、始めればよいのだと」

ミンダナオの若者たちにはこう言う。
「支援してもらっている事を感謝することは大事。でも、まずは、友達になること。
日本の子どもたちは孤独で、心の友情や愛の支援をひつようとしている。だから、助けてあげてほしい・・・」
経済的に豊かでも、心の貧困にあえいでいる先進国の競争社会の人々が、現地で救われていくのを目の当たりにするたびに思う。


9月5日(日)

日本に行く準備をはじめた。
10,11月は、毎年日本に報告会、講演会に出向いている。
そのために、この時期、報告会に使用する映像を制作する。
イスラム地域の戦闘を体験し、大洪水の状況を見て、さらに今年は、エルニーニョの影響によるマノボ族の現状、その後、山に追われた先住民の現況を見るにつけて、こうした別々に見える諸問題の背後に共通した問題があるのがわかってきた。
「作られた貧困」
本来は、このような貧困や避難民と行った困難な状況に置かれる必要の無い人々が、なぜこのような不幸な立場に置かれざるを得ないのか。
それは、彼らには抗しがたい状況が、近代の先進国主導の政治的、経済的、文化的状況によって作られ、圧倒的力でもって、ある日突然に彼らの生活を破壊していくからのように見える。
先日、ボアイボアイ村を訪ねた。
スカラシップの調査のためだが、この村のマノボ族の状況は良くない。
理由は、この集落の人々が自分たちの土地を持っていないためだ。
周囲は丘陵地で、広大な土地が広がっているにもかかわらず、彼らには、自分たちの土地がない。
移民系の人々に、ただ同然の値段でだまされて土地を奪われてしまった経緯もある。
しかし、それだけでは、ここまでひどくはならないだろう。
首領に聞くと、この村には、多くのマノボ族が逃げてきた。
彼らは、向こうのアンティパス県から移ってきた。
首領の指さす方向に目をやるとすぐしたの道路の向こうアンティパス県に、どこまでもどこまでもバナナ畑が広がっている。
AJMR(スミフル)と呼ばれる日本資本のバナナプランテーションだ。
ここ数年、進出が甚だしく、ミンダナオ子ども図書館の奨学生の中にもAJMRに追われて、自給地を失い家族が崩壊している子も多い。
追われた家族の多くが、このボアイボアイに逃れてきたが、彼らとて作付けできる土地があるわけではなく、さらに追い詰められていく。
ミンダナオ子ども図書館のスカラシップ子どもたちの世代が教育を受けることでせめて生活できるようにすること・・・これが最後の頼みの綱なのだ。

すでに既得権を持った人々が土地の所有権を放棄するとは思われず、今後も問題が続いていくだろう。


8月29日(日)

今日は、奨学生たちの月例集会で、200名近くが集まっている。
先月は、マノボの文化祭、来月は移民系クリスチャンの文化祭で、
今月は一般の例会で、少しホッと息をついた。

忙しいの繰り返しで、言い訳ばかりが続く
立正佼成会の訪問に関して、サイトに写真だけをアップしたまま
コメントを書く暇が全くなかった。
続いてすぐに、山元しんぷさんと、日本事務局の面々が訪問した。

日本事務局は、MCLジャパンという名で、順調に出発している。
事務局は、経費をかけず、なるべく軽くするために
仕事は、最小限にして、いろいろな企画は、Mの会といった
別の組織で進めていくことにした。
このような支援の会が、次々と全国に出来て
ネットワークが可能になれば良いだろう。

その後、すぐにACC21に誘われて、
ダバオでフィリピンと日本のNGOの集会に
プレゼンテーターとして参加した。
京都暁星高校が支援するカティンドの保育所も開所式があった。
こうした一連の動きを、すぐにでもサイトに載せていく予定だが
まずは、写真を掲載するところから始めたい。

日記で突っ込んで書きたいことも多いのだが
時間を見つけて挑戦するつもりだ。

9月は、10月からの日本での報告会や講演会の準備時期で
一年間の映像を、新たにドキュメンタリーにまとめる時期だ。
今年は、先住民族であるマノボ族の現状を、映像を通して報告する予定だ。
11月中旬以降は、京都暁星高校が3名のスカラーを招いて
交流の催し物があるが、まだずいぶん空いている日があるので
メールをいただければ、報告会に出向きます。
家庭集会でも結構です。
松居友宛

8月5日(木)

ミンダナオ子ども図書館だより
「対立していたクリスチャン集落での読み語り」より継続


2008年の戦闘は、この周辺の地域から始まった。
この先の村に避難民救済に行ったとき、避難民は数千人。
どこのNGOも恐れて入らない地域だが、
グレイスさんが言った言葉が忘れなれない。
「クリスチャン系の有力者が、クリスチャン系の農民に武器を渡している・・・」
その実に数週間後、国軍が入り、避難民は10万を超え、
数ヶ月後には、80万を超えた。
ここのごく普通の人々たちは、
そのようなことまで気がついていない。
今も気がついていない。
この地域の貧しい人々は、
ただ自分たちの耕作する土地を守りたかっただけだ。

かつては、この村にも、イスラムの人々が魚を売りに来たり
クリスチャンの若者たちが、下のイスラムの村に
バスケットボールをしにいったりしたというから
宗教的な教義が、対立を生み出しているわけではない。
これは、現在世界で起こっている、紛争や戦争でも同じだろう。

地域の小競り合いは、リドーと呼ばれ、たびたび起こるのだが、
それが、80万もの避難民を出すほど拡大するためには
すでに筋書きによって用意された準備がいる。
つまり、小さな発火を「待っている」大きな軍備。
小さな発火が作られる。
世界で起こっていることを知らない
文字も読めない「無知な」農民を扇動するのは訳もない?

時には、それが不発に終わったり、
計略によって覆されたりすることもある。
アロヨ政権末期のアンパトワン事件などは、
戒厳令を起こす計画が事前に漏らされ
火はくすぶっただけで消されたが、
それも用意されていた筋書きだった?

マギンダナオ自治区などでは、
小さな規模で戦闘が起こされることもある。
イスラムの薬売りの女性が襲われて、その報復にMILFが立ち上がり
それに対抗してヘリコプターから空爆がはじまった。
このような場合は、次のように疑って見るといい。
空爆を起こすために、
意図的に女性を襲わせ
挑発したのではないか・・・
空爆の目的は何だったか?

避難民が出て、その救済に向かったのは
なんと「ミンダナオ子ども図書館」だけだった。
空を飛んでいるヘリコプターも見ているのだが、
新聞にも載らない。
NGOも地方行政も避難民救済すら行わない。
かわいそうなのは、子どもたちだ。

2008年、戦闘が勃発した初期の段階で、
クリスチャン系の暗殺団「ねずみ」の話が出たが、すぐに消え
マスコミは一斉に、反政府組織を非難する論調であふれかえった。
どちらが先に手を出すのかは、あくまで不明の闇の中だが
戦闘を煽る強力な手段はマスコミだろう。
戦争を起こす根本的な原因を、
時には偏った論調を掲載して、覆い隠すのもマスコミだろう。
宗教対立が強調され、人々は、それを信じる。

外から対立をあおって、戦争を起こすきっかけを作る勢力が存在する。

戦争を起こす理由は何かというと、
現地では、土地問題だったりもするのだが、
マキララでのNPAとの戦闘もそうだが、
土地問題の背後には、日本も含む国際的なプランテーションが
遠巻きに関与していたり、
(直接関与しているのではなく、
地域の政治家などの有力者を通して間接的に関与している)

またピキットのように、リグアサン湿原に眠るという、
膨大な天然ガス、石油、
ミンダナオが希少金属の宝庫だといった
鉱物資源だったりする。

こうなると、背景は、
国際的な国と国との対立関係も絡んできて、
ミンダナオの豊かな資源を、アメリカがとるか中国がとるか、
EUや日本はどうやってそのおこぼれに預かるか
といった事まで動き始め、
戦闘の後の、国際的なNGOの動きまでが関わってくる。

コタバトの経済は、中国資本で保っているし、
ダバオにもコタバトにも中華学校があり
コタバトの市場に行けば、中国語のコーランも手に入る。
(フィリピン経済が、中華系であることは、
自明の理だと言われているが)

ただ、中国の影響は、経済で大きく、
武器売却や戦闘戦略には現れていないように見える。
USAID、EU、オックスファムといった
国際的NGOのように、戦闘後の、看板を至る所に掲げた
これ見よがしの
無償支援も行っていないようだが・・・

ただ、現地の識者からは
中国商人が手を引けば、
コタバト経済は崩壊すると聞いている。
中国は、国として関与していないで
中華系の商人として関与しているので
共存互恵があるかぎり
手を引くことはあり得ないが・・・

経済的な問題は、戦争を起こす大きなきっかけだ。
反政府勢力にとっては、貧困の問題。
不公平な社会の矛盾。
体制を牛耳っている側にとっては
落ち込みつつある現在不況を打破すること?
「こう、不景気だと、戦争でも起こってもらえないか・・・」

経済力が落ちてくると、国際的な政治力が落ち、
軍事力も落ちてくる。
国力が落ちてくるのだ。
力を維持するためには、経済力、政治力、
軍事力を維持しなければならない。
それは、ミンダナオの小さな村においても、
世界においても、同様?

戦争で最も儲かるのは、
兵器武器を製造する産業だろう。
その主な生産地は、アメリカと
部品製造に関与している列強諸国。
もちろん、日本も含まれる。
ミンダナオでは、反政府組織が使っているのも
国軍同様に、アメリカ製の武器だ。

アンパトワン一族が検挙されたときに、
大量の武器が見つかった。
国軍から流れたものも有ったが、
国軍ですら持っていないアメリカ製の武器があり、
合同演習の時に
アメリカ軍から流れたと言われている。
そこを経由して、反政府組織にも
武器は流れているというから、
武器が売れるなら、儲かるならば、
敵も味方も関係ない?

宗教などを理由に挙げて
二極の対立を故意にあおり立てて、
戦争を作っては、そこに武器を供給していけばよいのだ。
国際的な武器商人にとっては、
自国が勝とうが負けようがどうでも良い。

結局、反政府組織も正規軍側も、
戦闘の正面に立って戦うのは、
正義感に燃えた若者たちや
農民で組織された民兵たち。

革命を起こして、不平等な社会を是正する。
貧困を解消して、理想の社会を作る。
自由を広め、民主主義国家を建設する。
掲げている理想は美しくとも
戦闘の前面に立って戦い、
死んでいくのは
純粋な若者たちだ。
その陰で利益を享受しているのは
別の国に住む第三者たち?

自国の国内で、戦争が起こるのを
喜ぶ者はいないだろう。
見世物の格闘技と同様で
喜んで儲けているのは、
リングの外にいる
顔の見えない第三者だ。
ちょうどプロレスのように、
公衆の前面やテレビで格闘技をやらせておいて、
リングの外で、金を賭けているような仕組み。

アメリカは、ドル安を望んでいるという。
輸出産業を振興させるために・・・
アメリカの輸出産業とは、何だろう。
ベトナム戦争の時、日本も特需にわいた
日本の自動車産業も、機械産業も
アメリカの武器産業の下請けだとしたら、
今回もアメリカの後を、
しっぽを振って追い続けるだろう。

世界で武器を買うことの出来る国は多くはない。
石油資源で儲かっている、中近東諸国。
中国やロシアに脅威を感じている東アジア諸国。
とりわけ日本は、金持ちだから、
武器を買ってくれる最上の国の一つ?

アメリカ軍の日本からの
全面撤退に重ねて
日本が独自の武装した国軍を持つとしたならば
最大の顧客は金持ちの日本だろう。

中国脅威論を展開して
朝鮮を刺激して、
戦争の脅威を高めれば
日本国民も武装を納得する?
現在の朝鮮半島情勢も、
そのあたりと関係している?

北朝鮮にも希少金属があるし、
中国を通してそちらにも武器を売れるし
スーダンや南アフリカ
ソマリアやアフガニスタンにも
ミンダナオ同様に多くの資源が眠っている。
とにかく、このような不景気な社会を打開するためには
戦争でも起こってもらわないと・・・

このような事実に疑問を持ち、
ラジオや新聞で発表したジャーナリストは、
キダパワンでも殺されたし
地元のNGO関係者や弁護士、
弱者擁護の議員も殺害されたりしている。
表には出ない、簡単な暗殺か事故。
トモさんだって危ないよ・・・と、
スタッフやスカラーや妻も
寝食を共にしている90名の
親のいない子どもたち
500名近い奨学生たちも心配している。

ハイゼンベルグやゲーテやユングの言うように
自然科学論を分析してもわかるように
最も小さな部分で起こっていることをとらえると
全体が見えてくる?

日本は、かつて
世界大戦の時に善悪二元論に引っかかった。
大切なのは、決して善悪二元論に
引っかからない事。
悪魔のように狡猾な
第三者が必ず背後にいると疑ってかかるべき?

第三者を監視する、第四者として行動すれば
四角形の曼荼羅となり、
伝統的な陰陽二元論からはっする
五行の螺旋が回復する。
仏教や陰陽道は
武器を持つな、殺すなと言った
イエスの教えに近い気がする。

一例を挙げれば
相撲のような格闘技を、賭博や金儲けのツールにせずに
神聖な技の儀式として平和のうちに受け入れること。
決して武器を持たず
平和憲法を前面に出して
勇気を持って世界を渡り歩くこと。

中国は、商業を前面に出して、
世界を渡り歩き始めた。
ひょっとしたら、これも東洋の知恵かもしれない。
中国では、驚異的な勢いで
クリスチャンが増えているという。
イエスは西で十字架につけられて死に
夜明けと共に東から復活する?

幸い、子どもたちの読み語りのおかげで
フィリピンのミンダナオ
ブアランのクリスチャンエリアは、心を開き始め
下のイスラム地域と一緒に
多様性の中で生きていく道を模索し始めた。

イスラム地域の村長さんの言葉
「年とった大人たちは、
なかなか簡単に受け入れられないだろうが
子どもたちなら、未来に期待が持てるだろう」
ミンダナオ子ども図書館をよく理解して下さっている
イスラム教徒の村長さん。

日本政府は、JICAの草の根支援を通して
この地に小学校を建設しようとしている。
日本国民である皆さんの税金で。
MCLの若き現地スタッフたちは、
喜んでそのお手伝いをしたいと思っている。