ミンダナオ子ども図書館日記は、松居友(文芸家協会会員)が日記風にしるす、
ミンダナオMindanao、ミンダナオ紛争と平和構築
ピキットPikit、コタバトCotabato地域のミンダナオ紛争、
ムスリムMuslim、先住民族Manoboの考察など

ミンダナオ子ども図書館:日記
ミンダナオ執筆日記:2009
(3)


制作中

10月9日(金)
 今回の日本滞在は、講演を控えめにしているが、ミンダナオ子ども図書館にとっては、さらなる一歩を踏み出す転機となるだろう。日本では政権が交代した。アジアに関しては、新たにアジア重視の構想が出てきているが、これは良い方向だと思う。とりわけ、インドネシア、マレーシア、フィリピンと言った諸島とつながった地域の政治的、経済的な安定に日本が寄与することは、同じ東アジアの一諸島である、日本のプレゼンス(役割)を将来も隣人たちと考えていく上で重要だろう。

 日本がどのような方向で動くかは、これから注視していく必要があるが、そろそろ独りよがりな引きこもりはやめて、親(ボス)からも自立して、独自に考え判断して、独力で世界に出てきて欲しいと思う。その視点から考えても、不安定なアジアに置いて、イスラムとキリスト教、先住民族の精霊崇拝や仏教や道教(ミンダナオは中国の影響も大きい)の交差点、フィリピンのとりわけミンダナオにおける和平構築が、日本の主導によって成功するか否かは実力を試すための試金石つまり自立の第一歩ともなるし、非常に重要なポイントであると思える。

 ミンダナオに関しては、EUも積極的な動きを見せている。現地でのEUの支援を見ていると、明らかにUSAIDのアメリカとも、日本とも視点や対象を異にしている。具体的には、ARMMイスラム自治区のMILFエリアに深く浸透するルートをすでに構築しつつあり、また、思いもかけないNPAの山岳エリアに、太陽光発電などを設置して、私も仰天した経験がいくつかある。

 EUのこうした浸透のルートは、最近では良くわかるが、イスラム地域ではOMIオブレード会、NPAでは、ミラノミッション会といったカトリック宣教会が大きな力になっている。裏では、プロテスタント教会も非常に積極的に動いているが、カトリックはフィリピンでの歴史も深く、植民地主義時代の否定的な残滓もあるが、南米からアフリカ、中国にまで広範囲に広がり深く浸透した結果、NGOのように活動実績を公表したりこそしないものの、貧困層にも深く浸透している。例えば、フィリピンでは、反政府勢力の多くはプロテスタントであるが、カトリック信徒でもあったりもする。つまり大げさに言い方をすると、極右から極左まで、実に幅広い人々が存在して活動している。

 他宗教に関しても、例えばOMIなども大戦中の抗日戦線でイスラムと協力関係を持ったり、現在でもMILFなどの反政府勢力とも友好関係を築いて活動している。紆余曲折があるものの、こうした教会の強みは、命を顧みない宣教師やシスターの活動と、現地の貧困層も含めた庶民である信徒の幅広い情報網が基盤になっていて、底辺からあがってくる。
 EUは、こうした関係の情報も得ながら、独自に支援をしていると思われる。

 ミンダナオでは、プロテスタント教会も勧告も含めて積極的だ。USAIDやGEMと言ったアメリカ支援は、フィリピン政府や現地の地方行政、軍が主体で、地方行政の有力な地域に学校などを建設している。最近は、フィリピン国内でも、ミンダナオ紛争におけるアメリカ軍の関与が公になりつつあり、批判も受けているが、ぼく自身は、否政治的な立場ではあるが、現地で黒塗りの車から突然米兵が降りてきてビックリしたり、アメリカ製無人偵察機が戦闘地の上空をフワフワと飛来して軍の兵士から教えてもらった経験を持っている。強みは、強力な資本力と軍事力、そして衛星や無人偵察機などの高度な科学機器による情報収集と経済力だろう。

 日本は、こうした観点から見ていくと、現地とのつながりは、MILFの上層部やバンサモロ(現在、ミンダナオ子ども図書館のボードメンバーの一人は、BDAバンサモロ ディベロップメント エイジェンシーの設計技師でピキットのマカブアル小学校を建設した方にお願いしているが、この方は日本政府の草の根との関係の中でも活動している)、つまりとりあえず表面に位置する方が多いように見受けられる。
 しかし、現地で見ていると、多少表層的で脆弱な部分があるように見えてならない。つまり現地の情報の収集が希薄で、底辺の人々の状況が把握しきれておらず、逆に言えば、コタバト市内の(組織の上層部の)人々から得られる情報に偏っているように思えてならない。

 しかし、現地のバランガイキャプテンや人々からの評判は悪くない。何よりも支援が偏らない、人道的な面が強く戦略的な思惑が薄い・・・と言う印象を与えている。手前味噌ではあるけれども、とりわけミンダナオ子ども図書館で進めたマカブアルの小学校建設の話は、ピキットでは画期的な支援として驚きを持って見られている。

 現在は、UN(国連)やIOMそして赤十字などのワールドワイドつまり一国単位ではなく、国連を中心とした動きが現地では活発であるように見える。高いアンテナを立てた車をよく見かけるようになった。現地の情報を収集しているのだと思うが、これが大きな戦闘につながるのか、平和構築につながるのかを慎重に見極めていかなければならないが、フィリピン政府や軍と密接な連携を持っているUSAIDの米国や、現地カトリック教会、宣教会と深く関係し情報提供を受けているEUと、現地で互角に、または独自色を出す形で日本が動くとしたならば・・・

 国連を主体とした平和構築活動に主体的に参加して役割を持ち、同時に、直接イスラム教徒とりわけ貧困層の置かれている状況を良く理解し、底辺の人々が恩恵を受けるような偏らない事業や人道支援を展開することだろう。
 つまり、クリスチャンの立場でもなく、政府や軍の立場でもない。「宗教や、国家の利益に偏らない人道支援」に、国連のような一国家を超えた組織と連携して、イスラム諸国やEU、中国や韓国、可能であれば中南米諸国とも協調しながら、訴えていくような方向が重要ではないかと思う。
 そうした観点から考えると、教育、医療、農業と文化支援などは重要な方向であると思われるが、とりわけ「子ども」はキーワードであろう。子どもと若者こそ、次世代を担う未来だから。


10月5日(月)

 日本に着いた。
 毎年日本に着くと、最初の一週間ほどは猛烈に落ち込む。底知れぬ孤独の中に放り込まれるような感覚で、これは私だけではなく、フィリピンに居住し、現地の人々と一体になって活動している日本人が総じて体験する気持ちだ。フィリピンでの人々のコミュニケーションが密であるほど、日本のそれの希薄さが身に応える。

 今回は、マニラに二日ほど滞在した。毎日新聞の矢野純一支局長から連絡があり、初めてお会いした。北海道出身でまだ若く、記事で拝見しているとおり、今時珍しい?ジャーナリスト魂のある記者で、人間味豊かな方だった。「ミンダナオは、本当に面白い。ここを取材していると、世界全体が見えてくる」その通りだ。

 イスラムとキリスト教、先進国と農業鉱物資源の搾取の問題、先住民族と土地所有の問題、シャマニズムのコスモロジーに至るまで世界の諸問題が凝縮している。ここで、和平を実現できれば、その技法は世界に通用する。何と面白いところだろう。「フィリピンに住みたいと思ったことは無い。セブにもルソンにも住む気はない。ミンダナオが面白い。ここだったら住んでも良いと思った」とぼくは言った。

 「わたしも、ミンダナオに住めるんだったら、そのまま住んでしまいますよ・・・」と矢野さん。ぞっこんミンダナオに惚れ込み、MILF、アブサヤフなど、相当の取材をこなしている。「例の教授が、フィリピンのテレビ局の女性とアブサヤフに面会して、誘拐された事件、ありましたよね。あのとき、ぼくも、同行する予定だったんですよ。直前に別の仕事で行けなくなりましたけど・・・」

 彼が、最近連載で記事を書いたので、ここで紹介したい。この記事が出た時、すでに読んで知っていたのだが、あえて紹介することをためらっていた。これを地元のジャーナリストが取材したとしたならば、殺されていたのではないだろうか?良くここまで取材するなあ・・・と思った。 まあ、しかし、マニラでお目にかかったし。その縁で、コロサレテモヨイカ????身近にいる、ジャーナリストのいく人かは、殺害されている。キダパワンのカトリックのオブレード会のラジオ解説者も。

矢野さんの記事を読みたい方は、以下をクリック

http://mainichi.jp/select/world/news/
20090915ddm007030085000c.html

http://mainichi.jp/select/world/news/
20090916ddm007030081000c.html

http://mainichi.jp/select/world/news/
20090918ddm007030094000c.html



9月30日(水)
 現代社会を築いてきた根本思想の1つに「自由・平等・博愛」という概念がある。仮にその理想の上で現代社会、世界を見渡すと、「自由」という概念のみが一人歩きをしてしまい、「平等・博愛」という概念が忘れられたか、あえて「自由」という概念の拡大解釈、つまり下手をすると経済発展と利益確保のためなら「何をしても良い」といったなりふり構わぬグローバル経済自由主義が横行し負け組は置き去られるか、見下され、その結果、平等や、まして博愛などという概念は、空虚な絵空事になったように思えてならない。
 特にミンダナオから世界を眺めてみると・・・

 「自由・平等・博愛」という概念と平行して思い浮かぶのが、ぼくには「信仰・希望・愛」という概念だ。これは、聖書に書かれている概念(教え?)なのだが、この概念を土台にして、ヨーロッパで「自由・平等・博愛」という考えが派生したように思えるからだ。フランス革命などの当時は、この三つの概念の中で先頭に掲げられている。「自由」とは、元来は信仰の自由、権力や圧政からの自由といった理想ではなかったか。

 平等な社会とは、誰しもが希望を持てる社会だろう。
 まずは人並みに食べて生活していけること。教育の機会が均等で、医療を受けられる社会。それこそが平等な社会であり、全ての人々が生存を保証され、未来に希望を持てる社会のことを言うのではないだろうか。平等のない自由は、単なる格差社会の助長に他ならない。貧しいものは、ますます貧しく、富めるものはさらに富む。

 博愛は、こうした社会を実現する基盤だと思うが、今は、死語のような気がする時がある。世界を見渡すと、平等も博愛も感じられない戦闘や飢餓。博愛または友愛のない世界に、自由や平等は存在するのだろうか。格差の激しい社会のなかで、自分たちの持てるものを死守することで精一杯な先進国や金持ち、権力者たち。貧しい人々や貧困を横目に、自分は(自分たちの国は)ああでなくて良かった、程度の気持ちしか持てない人々。
 博愛の無い自由は、単なる利己主義の好き勝手。他人の事などお構いなしに、自分のやりたいことだけやる。

 聖書の「信仰・希望・愛」の概念の後には、「その中で最も大いなるものは愛である」と記述されている。「愛が無ければ全ては無に等しい」つまり、愛のない社会では、希望も信仰もない、最後に言及されている、愛こそが全ての土台であると・・・この順序に従うと、博愛のない社会では、平等も自由も存在しない。自由よりも平等といった概念よりも、偉大なのは愛であると解釈できる。
 愛こそが全ての根元であると・・・

 愛という概念は、誤解されやすい。
 聖書に従えば、神は愛であり、神が天地の創造主だとすると、愛というのは途方もない創造の力で人知を超えている。生も死も超えて輝く強大な力。途方もない無限の宇宙も、愛によって創造された事になる。死後の事はわからないが、魂も霊も精霊も聖霊も天使も、あらゆるスピリットも愛の力で創造された。これは、ぼくのような小さな者では想像もつかない概念だ。人間では想像しがたいが故に矮小化され誤解されやすい。特に日本では?

 しかし、ミンダナオ子ども図書館で、イスラム教徒も先住民族もクリスチャンも仲良く暮らしている状況を見つめていると、愛が有れば、信仰の違いは気にならない。希望を持てるし、平等な社会を築きたいと思う心が生まれてくる。愛が有れば、年頃になり、ここから出て自由に生きたい人がいれば、心から祝福し送り出したいと思うし、帰ってくるなら、いつでも迎えたいとも思う。
 ミンダナオは特に貧しい庶民の中に、宗教や部族の違いを超えて愛が生きている世界だ。ミンダナオ子ども図書館に住んでいる若者たちは、イスラムもクリスチャンも先住民族の子たちも言う。「宗教や部族、言葉が違っていても、私たちは兄弟姉妹、一つの家族だもん!」
 この姿には、本当に感動するし、偏見を持って閉鎖的に物事を考える傾向の日本人にお見せしたいし、とりわけ若者たちがその体験をすると感動して泣き出す!

 対立が起こるのは、愛よりも、平等よりも、利害関係が優先されるからだろう。経済的な利益、資源や土地の所有権利、派閥としての国家や宗派が優先され、経済力、政治力、軍事力をもって、他人を脅し支配しようとし始める時だ。しかし、戦争避難民救済にイスラム戦闘地域にくり返し行っても驚くべき事は、現地ではイスラム、クリスチャンの庶民たちが対立しているどころか、お互いに命がけで助けあって避難生活をしていることだ。カトリック教会の神父や信者たちが、命がけで爆弾の落ちる中を、避難民キャンプにもいれてもらえない反政府地域の子どもたちを救済に走りまわっているのだから。
 その中の有名な一人がMCLの役員で市の社会副支局長補佐のグレースさん。カトリック教会のソーシャルワーカも勤めていて、イスラムの婦人たちとも密接に連携して活動している。もうひとりイスラム自治区出身のイスラムの役員もいて親しく、そうした人々の支持により、MCLは、人々から信頼されて安全に活動を展開してきた。友情と愛こそが身を守る力。


 信仰の自由、希望の平等、そして人々どうしの博愛や友愛と、その根底に生きる神の愛。自由のみが先行するのではなく、三つの概念が重なりその根底に、自由でもなく、平等でもなく、まずは愛が置かれること。愛が置かれるが故に、平等も、自由も実現できるという事を、ミンダナオ子ども図書館では、イスラム教徒の子たち先住民族の子たちキリスト教徒の子たちから教わった。全ての被贓物は、唯一の神=愛によって創造されているからだ。


9月25日(金)

世界的な経済危機が貧困層を襲った。山の辺境に追われたマノボ族、現金収入がほとんど無い彼等にとってちょっとした米や塩の値上がりがそのまま、家庭の悲劇に直結する。
 サトウキビ農場の日雇いの仕事も経済危機ゆえに削られて給与も安く抑えられ、子どもを学校に行かせるどころか日々の食事にも困るありさまだ。背に腹は代えられず、バナナ農園に盗みに入り捕らえられて拘置所に入れられて、父親がいなくなってしまった子もいる。金持ちは、経済サバイバルゲームに必死になり貧しい者たちは、ますます貧しくなる。
今年、ミンダナオ子ども図書館に住みこむ子は八〇名近くに達した。ほとんどが、三食食べられない山から来たマノボ族と戦闘地で難民生活をくり返しているイスラム教徒の子たちだ。


9月17日(木)

 マリセールが痙攣を起こした。
 一度目は家で、MCLでは初めてだ。おとなしくて素直なよい子だ。マノボ族でウオーターフォール集落の出身。看護担当のフェさんに呼ばれて部屋に行くと、体が硬直してガタガタふるえている。目は横を向いたまま固定している。ぼくにとっては、アイリーン、マリベール、エルエルについで3度目の経験だ。
 例のごとく、膝に頭を乗せて、落ち着かせるように抱く。マリベールの場合のように激しくはないが、痙攣はかなり長く続き、ぼく自身汗びっしょりになってくる。最後に、彼女は、手を叩き始めた。「あっ、マリセールはお祈りしている。いつも夜、ああやってお祈りするの・・・」付き添っていた子の一人が言った。ここまでくると、顔にかすかに表情が生まれ、緊張がゆるんでくるのがわかる。
 マリセールは、数回手を叩いてお祈りすると、手を振った。明らかに誰かにさよならをしている。そして、体の緊張がほどけ、深い眠りに入っていった。

 後で聞くと、大きな男の人がいたという。
 翌日も、少し落ち込んでいるので、早速聞くと、とりあえず母親に会いたいという。この様な時は、経験から、すぐに願いを聞いてあげることが大切なので、翌日の早朝ミィーティングで、ソーシャルワーカーを交えて話し合った。次の点を確認してもらうように話した。
 1,学校に問題はないか。 2,MLCで寂しくないか。 3,友だち関係は良好か。 4,スピリットに関して問題はないか。
 ソーシャルワーカーの話だと、1,2,3は問題なく、本人も楽しく学校に行き友だち関係も良好だという。

 ただ4の「スピリットに関して問題はないか」に関しては、同じような痙攣が、帰宅した時に起こり、マナナンバル(祈祷師)の話だと、スピリットは岩の方に帰っていったから、岩にいるようだ、と言う話だった。MCLに来てから起こるようになったのも特徴だという。
 じじつ、MCLの敷地には、大きな岩があって、以前から村人は、ここに妖精が住んでいると言っていた。亡くなったボードメンバーで、もとの土地所有者のインカルさんは、妖精は男のようだが、悪い妖精でもなく、MCLが出来てにぎやかになって喜んでいる、と言っていた。MCLの子たちも、いろいろと見た話をしていることもある。

 まあとにかく、たびたびこの様な事があっても困るし、マノボの他の子たちも村の祈祷師による払いを望んでいるし、近々実行することに会議で決定した。白いニワトリを生け贄に捧げることになるだろう。同時に、カトリックの神父にも来てもらい、増築した家の祝別式もしてもらおう。
医療サイトにgo!

9月15日(火)

 ピキットのブロル、ブロッドという集落で戦闘が発生。難民が出た。400家族が避難。 至急、状況把握に向かった。
 http://www.gmanews.tv/story/172186/
maguindanao-clan-war-kills-3-400-families-flee

 今回の戦闘は、いわゆる地域の同族どうしの争いだ。明確に言うと、その土地の有力者の親戚同士が争ったりするのがこのタイプの戦闘で、とりわけ選挙が近く利権が絡んでくると起こる。2年前に、イスラム自治区ARMMのパガルガンで、市長の座をめぐって起こった現市長と副市長の戦闘もこの種のもので、その時もどっと難民が出た。
 日本では考えられないことなのだが、こちらの有力者は、一家族で一つの行政区域全体の土地を持っていて、そこの住民全員が小作だったりする。こうした家族は、私兵も有していて、権力の座とりわけ公職の座や土地をめぐって親戚でありながらも戦闘を起こすことがある。

 現地に近づくと、近隣から激しい銃撃の音が聞こえてきて、とても近づくことが出来ない。後で聞いた話だが、この様な種類の戦闘は、政府軍とMILFなどの(公式な?)戦闘よりも危険だという。無差別に攻撃されるからだ。ブロルやブロッドは良く知っているし、ブロッドにはMCLの保育所も建設されている。難民たちは、これらの地域から逃れてきていた。まだ現地に深く近寄るのは難しいが恐らく今回の銃撃戦は、近づく選挙と絡んでいると思われる。
 難民は、まだハウスベースであり、野外で夜を過ごすような状況にはなっていないので、緊急の救済はこの時点では必要ないか、まだ出来ない状況だ。

 それとは別に、面白い話を聞いた。
 マスコミの報道だと、MILFとMNLFでは、MILFの方が危険視されているが、現地の人々のある話だと、彼等にとってはMNLFの方がアグレッシブで怖いという。MNLFは市行政とつながっている部分が多いし、ピキット市のDSWDの職員はほぼ、MNLF地域から来ているのだが。
 なるほど、だから、海外からの支援もそうした区域の方に重点的に行くのだな・・・・しかし、今回のブロルやブロッドは、MILFの地域だ。この地域は結構貧しい地域でもあり、はやく戦闘が収まればよいのだが・・・


9月9日(水)

 とにかく時間がたつのがはやい。あっという間に9月で、日本行きの準備に追われる時期となった。今年度のスライドと映像を組み合わせたドキュメンタリー映像の制作を始めた。来年度のスカラシップ計画も準備し始めた。9月になると、来年度のスカラシップ希望者たちが次々に訪れる。
 ぼく自身は、来年度のとりわけ小学校スカラシップ採用のターゲット地域を、MILFの強いARMMとピキットの山岳地に近い反政府地域。また、マノボの山岳地域で、NPAの強い地域にしぼっている。和平を必要としている貧困地域だからだ。と言っても、具体的には、すでに「ミンダナオ子ども図書館だより」でも紹介している場所で、現在、保育所建設を進めている地域だ。

 ARMMでは、舟でしか行けないサパカン集落。日本政府の草の根支援に応募だけはしているが、小学校建設が実現するかどうかはわからない。とりあえず、保育所はMCLで建設したし、関係は持った。現地は、陸路が無く、背後が広大なリグアサン湿原で、そこから子どもたちが400名以上来ている。そこから、少し川を下ると、ダトゥピアンと呼ばれる、難民がたくさん今もで出ている地域に達する。ARMMの裏庭だ。

 次にMCLでプライマリースクールの建設を進めている、ピキット山岳地域。ここは、とりわけ反政府感情が強くモロ独立解放軍の通り道になっている。去年小学校を建設したマカブアルと同様だ。貧困度も高くここをターゲットにまずは小学校の奨学生をとり、ゆくゆくは高校大学に支援を継続していきたいと思っている。そのさらに上に位置している、ブグアク集落もかつて同様だったが、多くの奨学生をとることによってマカブアル同様に人々が心を開いてきた。

 一方NPAの強い地域は、現在保育所を建設しているボアイボアイとその隣接地域。馬でしか入れない某集落名を校長先生からうかがっているが、そことたびたびサイトで登場する、アラカンのキアタウ集落の山岳地域だ。今年に入って、これらの地域には、軍が入り、散発的な戦闘が起こっている。
 すでにこの8年間で、関係を有してきた基盤の上に、さらに平和構築活動?を展開していきたい。それらの地域からすでに来ている、MCLの奨学生たちの協力を得て・・・


9月7日(月)

 一週間弱、インターネットがつながらなかった。
 こうしたことは、たまに起こるが、大概重要な事件や戦闘が起こる。日本からの重要なメールに、すぐに返事が書けずに、皆さんたいそうイライラなさったようだ。全てが事無く動くように見える、日本では考えられない現地事情だから。
 インターネットは、突然のように昨日遅く開通した。早速、コタバトのニュースを開いてみたが、4日、MILFの「悪党の司令官」が軍に捕らえられたようだ。平和構築会議が昨年の8月に決裂していらい、都市への強奪をくり返していたとニュースには書かれている・・・。
http://www.abs-cbnnews.com/nation/regions/
09/05/09/milf-arsonist-nabbed-n-cotabato


 ラマダン明けは、確か22日ぐらいだ。ラマダン明けに向かって、戦闘が準備されているのかもしれない。一方で、平和構築への動きは、日本政府も交えて進んでいるようなのだが・・・以下毎日新聞
 http://mainichi.jp/select/world/news/
20090903ddm007030043000c.html



8月31日(月)

 昨日は、全体総会で200名近い奨学生たちが集まった。
 来月の総会でビサヤ・イロンゴデーが行われるが、そのうちあわせがあり、それ以外は学校での諸問題などが話しあわれ、ミィーティングは早めに終わり、その後、みんなで持ち寄ったバナナやカサバ芋の苗を植えた。食糧の補給のために、外部の奨学生(ミンダナオ子ども図書館の家に住みこんでいない奨学生たち)も協力するプロジェクトだ。

 ミンダナオ子ども図書館の家(通称ミンダナオの家)には、スタッフも含めると80人ほどが住んでいる。食べ盛りの子たちだから、50キロの米袋が一日で消費される。副食のおかずも大変だから、せめて野菜と副食は何とかしようと言うのが理由だ。スカラシップの年間6万円という金額は、8年前にMCL出発時の授業料や食費が基準で、スタッフの給与もここから出ている。しかし、その後毎年のように物価が値上がりし、授業料も食費も倍近くなった。米など、800ペソが1500ペソに値上がりしている。
 大学生一人を下宿も含めて6万円では、面倒を見られなくなり、高校と小学校の奨学金で大学をカバーしながら、田んぼや畑で食費を削減し、手こぎの井戸で水道代を節約している。こうでもしないと、医療費などは出てこない。みなさん、おかずを支援してくださるなら、ふりかけを送ってください。おかずが少なくても、ご飯がいっぱい食べられます。


 その夜、泊まっていく子たちも含めて、映画「蛍の墓」を見た。
 ご存じのように戦争の狭間で死んでいく子たちがテーマのアニメだ。野坂昭如原作でスタジオジブリが制作している。8月は、戦争を考えるためにもこうした映画を見る。こちらの若者たちの反応も興味深い。どのような反応を起こすかというと、あまりにも悲しくなって、3分の2ほどが脱落する。最後まで見ることが出来ずに、部屋に閉じこもってしまう。
 彼等が、胸を打たれるのは、戦争の悲惨さもさることながら、孤児になり、叔母の家を出て、兄と妹が防空壕で住み始める状況だ。おそらく、子どもだけで放り出されて厳しい生活を余儀なくされる、という自分自身も体験したような現実が身に迫ってくるのだろう。加えて、圧倒的に突き動かされるのが、空腹だ。食べ物がない、体が弱っていく、さらに妹が病気になり、医者に見せてもお金がないので治療してもらえず、盗みを働かざるを得なくなり、警察に捕まり・・・やがて妹が死んでいく。この経過は、貧しい彼等にとっては、尋常ならない現実として、身に迫ってくる。

 彼等の家でも、貧困で食べ物が無く、孤児の悲しさでどうにもならず、病気になっても治療するお金が無く、死を待つしかない、と言った事は、日常で起こる、起こっている、ことなのだ。
 ミンダナオ子ども図書館にいると、ある時期それを忘れ、食べて、寝て、安全で、学校にも行けるのだが、こうした映像を見ると、突然自分たちの、また村の現状が目に浮かび、彼等の友人や親戚の現実が、映像と共に回り灯籠のように浮かび上がる。戦闘で難民化せざるを得なく、食糧もなく、知人や親戚の間でもてあまされてもいるだろうイスラムの子たちにとっても、戦争の破壊と同時に切実な問題だから、とても見ることが出来ないのだろう。あまりに悲しくなって、泣き出しそうになるから、そっと場を去って部屋にもどる。一人、また一人と・・・・。翌日の朝食で彼等が話していたこと。「ねえねえ、あれからあの映画、どうなったの・・・」


8月27日(木)

 イスラムの子たちは、ラマダンに入っている。ラマダンは断食月とも呼ばれていて、この期間は神に心を集中させ断食をする。もちろん、ミンダナオ子ども図書館のイスラム教徒の子たちも断食をしている。
 「こうした信仰や風習の違いがありながら、集団生活をするのは難しくないのか?」「よくまあ、イスラム教徒とキリスト教徒、さらに先住民がいっしょに生活していられますね、信じられない」と、よく言われる。しかも、食前やミィーティングの前には、必ず祈りも捧げるのだから・・・・
 ミンダナオ子ども図書館では、イスラム教徒たちがラマダンに入っても、生活はほとんど変わらない。朝昼晩のテーブルの人数が少ないのでそれとわかる程度で、たいがい部屋にこもっているか、外で洗濯や水浴をしている。そうした時に、あっ今はラマダンなんだ、と思い出す。

 彼等の表情も、ラマダンになったからと言ってとりわけ深刻そうでも、厳めしいわけでもなく、ごく普通の笑顔だ。激しい運動は控え気味にして、女の子たちはいつもより正装をして学校に行っているかなあ・・・と言った程度。正装とは、つまり普段よりもちゃんとベールを被っているかなあ、とっいた程度だ。
 激しい運動や労働を控えるのもラマダンの特徴で、ラマダン月の前のハウスミィーティングで「僕らはラマダンに入るので、少し激しい運動を控えたいのでよろしくお願いします」と言った挨拶があった。激しい運動を控える理由は、ラマダンでは、食事だけではない、水もいっさい飲まないからだ。と言っても、激しい労働を仕事とする労働者には、この規定はゆるめられていて、今建設中のピキットの保育所などの労働者は、昼食したり水を飲むことを認められていた。

 興味深いのは、前に「ミンダナオ子ども図書館だより」の方で紹介した、奨学生の通称「牧師」と呼ばれるロネール君だ。そこでぼくは、こう書いた。
『ロネール君は、MCLでは唯一のビラーン族の若者だ。彼は、牧師の資格も持っているから、てっきりプロテスタントだと思っていたが日曜日に、私たちとカテドラルに行き、聖体拝領も受けたのでびっくすると、何とカトリックでもあった。カトリックの洗礼を受けたプロテスタントの牧師が居ても良いの(かもしれないの)だった。』 その彼が、今回、真剣にラマダンに参加している。イスラムの子たちといっしょにモスクにも参拝しつつ。
 「ぼく、ラマダンに参加したいので、イスラムの子たちといっしょにピキットに行っても良いですか?」事前にそうたずねてきた彼に、「もちろん、色々な異なった宗派や宗教の体験は重要だからね」と答えたものの、元来まじめな顔がもっとまじめになっている。

 後で聞くところによると、何と彼のおばあさんはイスラム教徒で、小さい時にラマダンを少し体験したことがあるという。懐かしさも加わって今回の考えが出てきたのだ。それに、ミンダナオ子ども図書館には、イスラム教徒の仲間たちもたくさん出来たし・・・
 週末のラマダン開始からもどってきて、彼は生き生きとして、現在もラマダンを続けている。イスラムのラマダンに真剣に参加してアッラーに祈りを捧げている、カトリックの洗礼を受けた、プロテスタントの牧師がいても良いのかもしれなかった!!!???ここでは、誰もそれに文句を言わないし、違和感もないし、この様な時に「ああ、ミンダナオだなあ、ああ、MCLだなあ」と感じる。

 ラマダンの一ヶ月、断食をすると言っても、日没後と夜明け前までに、彼等は食事を許されている。夜中の2時頃、外の台所で賑やかなさざめき声が聞こえてくる。若者たちが楽しそうに話しているのだ。
 ピキットのDSWDで面白い話を聞いた。公園の中にあるDSWD事務所の脇に「ここで、逢い引きをすることを禁止します」という張り紙が出ている。不思議に思って聞くと、 「ラマダンの期間中、若者たちが、夜食事をした後に、夜の公園でデートして、妊娠する子が多いんですよ」
 「エッ!!!」
 イスラム教徒もキリスト教徒も、ミンダナオの現代っ子たちは、ヤレヤレいっしょだなあ、と思った。

 話は変わるが、最近UN(国連)や赤十字の車をよく見かけるようになった。イスラム地域のピキットだけではなく、とんでもない地域で見かけたりもする。情報を収集しているのだろうが・・・MCLスカラシップで看護学を勉強して卒業したフェさん、ダバオの病院で先生に会った。看護士をしながら、赤十字のボランティアもしている。この先生いわく、「赤十字が活発に動いているのは、かなり大きな戦闘を意識してるからですよ・・・」ラマダン明けが、筋書きにあるのか?
 ラマダンの期間中、特にラマダン明けのうれしい日に、ミンダナオ子ども図書館では、みんながイスラムの子たちに言う。
 「ハッピー ラマダン!!!」


8月20日(木)

 イスラムの子たちは、ラマダンに入った。ラマダン開始の時には、特別な祝いがあって一次帰宅。スタッフたちは、保育所建設に追われている。ぼくは保育所建設のために、先日はボアイボアイと呼ばれる、山のマノボの集落に向かった。マグペット市のダンプカーに資材を積み込み、ぼくらは、MCLの軽トラに乗って・・・と言っても、運転はぼくだが。四駆が効かずに現地到達を断念した。本当に貧しい村の子たちを対象にしているだけに、大変だ。
 この地域に最近軍が入っている。活発化するNPAへの対応だというが、新たに小さな戦闘が起こるかもしれない。
 
 話はそれるが、軽トラが激しい山道で酷使するために、車軸がゆがみ4WDが効かなくなってしまった。MCLの支援や救済の仕事は、何時間もかかる本当に大変な場所に行くので、車の故障が絶えない。軽トラでこの仕事を続けていくのは無理かもしれない。チェロキーもベアリングが崩れて動かなくなってしまった。クライスラーの事務所がダバオにも無く、巨大エンジン5000ccはガソリンを喰うし無用の長物と化している。
 どなたか、日本製のハイラックス4WDを寄贈してくださるような方、いらっしゃらないだろうか。やはり日本車でないと、ここでは通用しない。日本のホンダのバイクを買って、とりあえずどのような山奥までも行けるようにしたのだが、ぼくは怖くて運転できない・・・・ダンプも現地までは到達できず、村のかなり手前で資材を積みおろし、村人たちが、馬や水牛、肩に担いで運ぶことになった。
 トラックがあれば、村の近くまで運ぶことが出来るだが。


8月10日(月)

 今日は、ピキットに行き、DSWD(市福祉局)でグレイスさんを中心に、保育所建設を予定しているパマリアンとカラカカンの村長と具体的な建設計画の話をした。その後、ボロボロの小学校、セニヨールマラウ集落の校長先生と、学校建設の話を詰めた。皆さん、本当に喜んでくださった。
 ピキットは、洪水の被害はあっても、地味が豊かで漁獲もある、低地の村は良いのだが(と言っても貧しいことには変わりがない)、しかし、経済状態に関しては高地がひどい。高地に住んでいる、イスラム地域のマノボ族などの状況はもっとひどいという。今後の課題として調査する必要がありそうだ。

 選挙が近づいてくると、どうも動きに慎重さが必要になる。といっても、来年の事なのだが・・・僕たちは、選挙に利用されないように、選挙前の2ヶ月間は、活動をいっさい停止する。何と、読み語りまでも利用されて、現地に着いたら市長の演説があり、市長と共にステージに座らせられて閉口した経験もある。市長とも懇意なだけに、嫌とは言えない!
 NGOは、非常に都合の良い選挙運動の道具なのだ。大規模戦闘が2003年に終わった後の選挙など、USAID等、相当の規模の国際支援やNGOが入り、学校補修や建設、農業支援などをしていったが、支援の対象は偏っていた。相当のお金が選挙資金に流れたという噂も聞く。おそらく、外国勢にとっても、選挙は自国の利権を維持したり伸ばしたりするための重要な政治手段なのだろう。
 今回の洪水支援でも、ピキットでは、パイドプランギ、プノル、マカシンディクというお膝元と、カバサラン、ブロルという息のかかったところに支援が集中した。これは、こちらでは当然の事なのであって、別におかしな事ではない。

 大きなNGOは、行政と関わりながら、国際的な意図のもとで動いていてもおかしくはないのだ、と言うか、それが役割なのかもしれないと思うようになった。自国の国益が優先するのは、国家としては当然だから・・・だからこそMCLのような、現地を良く知っている蟻のようなNGOは、かえって大きな流れから抜け出て、小さな見捨てられた場所に行って、見捨てられた人々や子どもたちを救済支援出来る。そうした頑固なNGOもあっても良いのかもしれない。
 巨人のパワーに比べれば、波及力は、蟻の筋肉ていどだが・・


8月9日(日)

 いよいよ選挙が近づいていると言う雰囲気がミンダナオにもある。
 何しろ、ダバオからコタバトへの道路が、至る所で工事が始まっている。これがまた、工事をする必要が本当にあるのかな、と思われるような場所を、あえてほじくり返していく、その後コンクリートで固めていくと言った工事なのだ。当然、これらは、特定の地域の利権と関わっているわけで、公共工事=選挙、と言う構造は、こちらでも当然の事なのだ。それにしても、もっと本当に必要としている所に工事が行けばいいのだが、といつも思う。
 同じ所を穿りかえし、不必要が工事をくり返しているように思えてならない。とにかく、ダバオに車で出ると、至る所が片車線で交通が不便でならない。

 選挙のためのばらまきは公共工事だけではない。国際的なNGOの支援をいかに呼び込んで、自分の息のかかったところに、米や学校建設や道路工事などを行い、利益を与えるかは、非常に重要な選挙運動だという事がここにいるとわかる。 なぜか・・・こうした国際NGOの支援は、市長や副市長、有力議員といった人々の所に落ちるのだから。かなりのお金が選挙資金として懐に入るという話も耳にする。
 加えて、例えば洪水対策の米支給といっても、地盤の人々に送ればそれなりの票買いにもつながる。こちらでは、票は金で買うもので、一票が200から500ペソが相場。

 NGO関係者は、そのような生臭い現場をどれだけ知って活動しているのだろうか???選挙が近くなると、公共事業とともにNGOの呼び込みが激しくなる。NGOを呼び込むために、あえて戦闘を作っているわけでもあるまいが・・・
 選挙のたびの工場工事を見ていると、戦闘も同様の原理で、不必要な所に穴を開けてほじくり返し、国際NGOの支援を受けながらコンクリートで固めていく、同様の事業に見えてくる。選挙のたびに起こる戦闘と公共事業。


8月2日(日) star

 ミンダナオ子ども図書館の季刊誌「ミンダナオの風」には、同封したが、今年始めて「願い星」の企画をした。クリスマスを前に、ミンダナオ子ども図書館から、若者たちが手作りした、「願い星」をお送りする企画。  『クリスマスが近づくと、街には、市販のクリスマス星が飾られる。しかし、貧しい山の家では買うことが出来ない。MCLの若者たちは、貧しい家庭から来ているので、椰子の木の皮や竹、新聞紙や雑誌の端切れで、工夫して、楽しみながら星をつくって、貧しくとも暖かいクリスマスを竹小屋で祝っていた。』
 そんな若者たちが工夫して、手作りでつくった願い星。
 何しろ、市販するものでもなく、若者たちの手作りですから、出来不出来も出てくると思いますが、微笑みながら受け取っていただければ幸いです。定価はありません。お届けするさいに、振替用紙を同封しますので、自由寄付をしていただければ幸いです。
 
  クリスマスの願い星
                  松居友
ミンダナオでは、9月からクリスマスが始まる。
街や国道沿いの比較的裕福な家では誰しもが見えるようにイルミネーションが飾られる、そして、玄関の扉の前、門を開けると明かりがこぼれ出す居間、いたるところに、大きな星が飾られる。イエスの誕生を前に、天に星が現れ、三人の博士は、星に導かれて馬小屋についた。人々を神の子のもとに導いたのは、大きな大きな願い星。
これこそがミンダナオのクリスマスの象徴!
始めて見た時には、その大きさにもビックリしたけど市販で、色鮮やかなセロハン紙などにくるまれている、あでやかさにも驚いた。

クリスマスが近づくと、若者たちは、「星を飾ろうよ」と言いだした。「自分たちで作るから心配ないよ・・・」椰子の幹の皮、竹の皮、骨組みもみな森から切ってきて、グラビアや写真付きの雑誌、新聞紙まで活用して自分たちで削って作った。
「そうか、彼等の家は貧しくて、街頭で売っているような、きらびやかな星が買えず、こうして手作りで作ってきたのだな・・・」それらの星は、どんな市販の星よりも美しかった。


7月31日(金)

 マノボデーが終わった。今回のマノボデーは、祈祷がテーマだった。写真入りで、「ミンダナオ子ども図書館だより」にも掲載したのでご覧頂きたい。
 収穫祭の祈祷、喧嘩や憎しみを無くすための祈祷、病気を癒す祈祷、本当は結婚式の準備のための祈祷もあるのだが、これは来年に持ち越された。来年は久しぶりに結婚式をテーマに文化祭をしようと考えているから。
 結婚式がテーマの文化祭は、初回、2006年に、ムスリム、マノボ、ビサヤデーとして行ったが、さすがに盛り上がりがすごい。四年に一回、テーマを戻しても良いと思っている。参加されたい方は、どうぞ。過去の文化祭では、日本からの訪問者が、日本の踊りなどを披露して喝采をはくしたり、去年は、平和の祈りに、福岡の行橋カトリック教会のメンバーと山元眞しんぷが、今年の3月には、仏教の立正佼成会の子どもたちと親が参加。国境を越えて、文化や平和を分かち合う試みは今後も続けていきたい。。

 マノボデーは、盛況に終わった。
 しかし、文化祭当日も重要なのだが、こうした文化祭を行う上での最大の意義は、準備にある。ミンダナオ子ども図書館の文化祭は、学校の学園祭やフェスティバルのように、人に見せるためのものではない。前にも書いたが、ショーではなく、生活の中に生きている文化の伝承。つまり、ミンダナオの若者たちが、自分の文化を誇りに思い、その価値と美しさに目覚め、伝統を滅びさせることなく次世代に伝えていくこと。そして、他文化、他宗教の仲間たちと、楽しむことによって、互いを理解し尊敬しあう心をはぐくむことにある。

 こうして書くと、堅苦しいが、重荷になっては文化は伝わらない。特に、自分の育ってきた環境や伝統や文化を、否定されたり(学校教育の現場では、英語とタガログ語以外の言葉は使ってはいけないし、先住民族であるというだけで差別されたり、虐めの対象になったりして学業が続かないケースもある。教会でも、先祖伝来の風習は遺棄すべき悪習とされたりする)このように周囲に否定される経験が、強い自己嫌悪や自己否定につながる。
 それゆえに、いかに「いやいやではなく」こうした文化祭を実行するかは大きな課題で、もちろん、度あるごとに、彼等の持っている文化や言語の素晴らしさを強調するが、良い方法の一つは、両親や首領を呼んで参加してもらって、家族的に和気あいあいと練習をしていくことだ。もともと、伝統や文化は、家庭のなかで親から、または地域の中で伝わっていくのが基本なのだから。

 映像化も効果的だ。自分の文化のすばらしさ、素朴な生活の美しさを伝えるために、独自に映像ドキュメントを制作して映画としてみせる。こんかいも、僕が過去に作った、文化祭のドキュメンタリーを新たな奨学生たちに見せた。芋掘りの様子から、徹夜での食事の準備。家族の様子。また、踊りや楽器を伝えるための練習風景など・・・そして、文化祭当日の様子まで・・・。
 彼等にとっては日常であるこうした生活や文化を、第三者が映像にまとめ、美しく、さらに感動的なバックミュージックとともに表現された時の彼等の驚き。そして、その中に自分たちが映っていることの喜びは大変なものだ。文化祭の前は盛り上げるためにも、夜、過去の映像をスクリーンに映す。すると大きな歓声があがる。こうした場面で、子どもたちは、自分たちの日常を、特にその美しさを客観的に見て体験する。今のところ、映像制作は僕のやくわりだが、今年からスタッフに教えていこうと思っている。

 本番への練習は、時にはめんどくさいものだが、こうした努力によって、当日に近づくにしたがって次第に盛り上がり。首領や親の参加もくわわり、文化祭前日は、マノボ料理の準備もあって最高潮にたっする。こうして当日がくるのだが、ぜひ皆さんも、準備段階から参加されると良いだろう。
 ミンダナオ子ども図書館には、ご存じのように、イスラム教徒と先住民族、クリスチャンなど、異なった部族や宗教の子たちが共同生活している。それぞれ、言語も異なっていて、独自の言語で話すと意味がわからない。現実に、紛争や差別もあり、非常にデリケートな場所、それがミンダナオだ。
 「よく、その様な状況の中で、子どもたちが仲良く共同生活してられますねえ・・」と、よく言われる。不思議に思われるのもあたりまえで、僕も最初の頃は、神経質にもなったり、困惑もした。
 実は、その解決方法の一つとして、始めたのが文化祭だった。

 2006年の模擬結婚式の文化祭。そこで、笑ったり、歓声を上げたりするなかで、若者たちの心の内部で抑圧されていたものが、いっぺんに発散された。その後、宗教や部族を超えて兄弟姉妹として、一つになる気持ち、なろうとする気持ちが生まれてきた。つまり、自分はマノボであり、イスラム教徒であるという気持ち、または比較的豊かな移民系クリスチャンの中での先住民を卑下したり、敵対する気持ち、そうした押さえられた負の気持ちが一気に共感へと昇華され、精神的に解放されたのだ。
 また、移民系のなかにある、よそ者意識と優越意識も、熱狂的な文化表現のなかで中和されていく。なぜか・・・風習や表現が多少違っていても、やっていること、感じていることは、人間としてほとんど同じなのだから。

 友情と愛という根っこが同じだから異なっていても良いのだと言う意識から、さらに発展して、異なっているからこそ豊かで面白い社会が生まれるのだと言う体験に昇華されていく過程で、文化祭は大きく寄与している。その後はそこから、宗教や部族を超えて、難民になった隣人を助けに救済に向かったり、山に追われた先住民族の人々の状況を心から理解したりすることが出来るようになる。
 マノボデーの最後に、僕は彼等に言った。「こうした文化祭は、ある事よりもずっと大切で意義があると思うよ。ある事とは、大きな声じゃ言えないけどね、学校教育のことだよ。ミンダナオ子ども図書館の文化祭は、学校教育よりも重要だと僕は思っている。だから、ミンダナオ子ども図書館の主旨は、文化プロジェクトで、スカラシップは二次目的にして、登録してあるのさ・・・」


7月24日(金)

 アロヨ大統領が、MILFとの即時停戦を発表した、と言うニュースが入った。
【毎日新聞:矢野純一】フィリピン政府は23日、南部ミンダナオ島で続くイスラム反政府組織「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」に対する戦闘を、即時停戦すると発表した。
http://mainichi.jp/select/world/news/
20090724ddm007030089000c.html

【世界日報:福島純一】フィリピンのアロヨ大統領は23日、フィリピン南部で戦闘が続いている過激組織モロ・イスラム解放戦線(MILF)と停戦するよう国軍に命じた。
http://www.worldtimes.co.jp/news/
world/kiji/090724-013235.html


 最近、IOM国際移住機関の車を繁く見るようになった。先日も、キダパワンのレストランで偶然夕食を学校の先生としていると、IOMのメンバーがいた。
 IOMは、国連に発言権を持つ国際機関だし、紛争地域の人道支援、復興、平和構築を本格的に行っている機関だから、何らかの本格的な動きがあるのかなと思っていたが・・・IOMに関しては以下をクリック
http://www.iomjapan.org/
 今回の唐突な、停戦発表と関連しているのかもしれない。

 ちょうど、ピキットとアレオサンの境界で、MILFと軍の戦闘が勃発した直後だが、来年の総選挙を意識したアロヨ大統領の人気取りだといううわさもある。しかし、今時この様な唐突な形で戦闘を収められるのだろうか?ミンダナオの他の地域では、NPAの動きも活発になっており、タゴム市の南の方でも、軍とNPAの戦闘で死者が出ている。
 僕らは、ピキットからの避難民の情報を待っているところだ。IOMがどのような動きをするのか注目されるが・・・政権末期のアロヨ大統領が、どこまで平和構築出来るかは全くの未知数だが、IOMの動きから見て、何か新たな展開があるのかもしれない。

 現地では、国際的なNGOが動き始めると、大規模な戦闘が起こると言われている。「戦闘が起こることをあらかじめ知っていて動いているのだろうか」と思うほどだ。このところ赤十字の車も頻繁に見るし、コタバトではNGOが借家をした話を聞く。もしも、大規模な戦闘が起こると仮定するなら、アロヨ大統領の平和宣言は、「政府は平和を望んでいるのに、MILF側は応じないで攻勢を強めている」と言ったスタンスをとって、戦争宣言をするための口実作りなのかもしれない・・・と疑ったりするようになったのは、ここに住んで色々な現実を見てきているからかもしれない。

 ミンダナオ子ども図書館は、旅客機にたたえると、離陸時にはセスナ機だったのが、YS11(ちょっと古いかな?)になり、次第に旅客を増やしながら(離陸をしながら旅客がふえればの話だが)、現在はスカラーの総勢が380名ほどになり、様々な乱気流を乗りこえながら、ようやく目的地に向かっての水平飛行に入ったという感じだろう。貨客船に例えれば、内海から外洋航路に出て、目的地に向かって進み始めたと言う状態か。
 水平飛行に入っても、乱気流は絶えず、世界的な経済クライシスや物価高、食糧問題、相次ぐ紛争と言った積乱雲が散見される。

  ミンダナオ子ども図書館:日記でも、コタバトのカテドラルの爆弾事件で取り上げた、コタバトのオーランド大司教の記事がミンダニュースに、出ていたので紹介しよう。こちらはOMIでオブレード会というカトリック宣教会。
 とにかく馬鹿げた戦闘を止めて欲しい、避難民が帰り、子どもたちが学校に行けるようにしてあげて欲しい、もうたくさんだ!と沈痛な叫びをあげているが、これがこの地域の人々の本音だろう。
 http://www.mindanews.com/index.php?option=com_
content&task=view&id=6720&Itemid=120



7月21日(火)夜

 ナラパアンNarapaanで、先ほどから戦闘があったという連絡が入った。コタバトへ向かう国道沿いのバランガイで、ブアランとつながっている地域だ。現在は停電で、明日にならないと事情は良くわからない。コタバトを中心にNGOもだいぶ動いているので、あまり良くない兆候。ピキットの地図を掲載しておこう。ピキット地図


7月21日(火)

 週末は、来週のマノボデーの練習をした。7月末の日曜日の奨学生総会は、マノボデーだ。2006年から、4回目を数える。初回は結婚式、次に洗礼式(成人式)、踊り、そして今回は祓い。マノボの祓いは、生きたニワトリを生け贄に捧げる。それ自体は日曜日が楽しみだが、重要なのは、練習だ。今回は、パンダノン集落のダトゥ(首領)を呼んで指導していただいた。
 現在の若者たちは、自分たちの文化や伝統の価値を意識していない事が多い。学校では、英語かタガログ語以外をしゃべってはいけないし、町ではほとんど移民系のビサヤやイロンゴ語がメインで、マノボの子たちは、公共で自分たちの言葉を話すことを恥じている。文化とは、英語かタガログ語を話す生活をし、家電製品や車があることだと勘違いしている。

 日本でも、戦後一時その様な時期があったが、さすがに日本文化の伝統の力は、経済力を背景に壊滅することはなかった。(ホントかな?と最近は疑問に感じることもあるが・・・)まあとにかく、日本語も、日本文化や伝統も滅び去ることは無かった。しかし、マノボの場合は、背景となる経済力が無いので、文化を保護したり、独自言語の絵本や本をだしたりして、伝統を復活させるだけの力はない。外部から押し寄せるテレビや学校教育の影響で、独自の文化を卑下し、このままでは消えていく可能性もあると感じる。
 その夜、マノボの首領に泊まっていただき、若者たちにいろいろと話していただいた。マノボの民話や伝説も語られた。マノボの子はもとりより、イスラム教徒も、ビサヤイロンゴの子たちも、目を輝かせて聞いている。

 語りが終わってから僕は言った。
 「みな、絵本の読み語りなどに行ったりするけれども、英語の絵本を現地語に訳して語っても、やはりオリジナルのミンダナオの文化ではないんだよ。今、首領が語った民話や伝説こそがオリジナルのミンダナオの文化で、ミンダナオの心、ミンダナオの魂なんだ。もし、君たち若い世代が、それを受け継ぐことがなかったら、それは消えてしまう。どんなに顔はマノボでも、心は次第に伝統を失って別のものになってしまう。
 本当のマノボ文化とは、首領の語りのように、君たちの父さんや母さん、おじいさんやおばあさん、お年寄りなどが、大昔から受け継いで語ってきたもの、風俗や習慣、それが文化なんだ。文化とは、舞台の上で人に見せたり踊ったりするものだけじゃない。日常の中に生きている事こそが文化なんだ。
 もしも、君たちの世代が、それを保存し、受け継がなければ、それは永遠に消えてしまうかもしれない。読み語りに行って、子どもたちの前で、英語やタガログの絵本を語って、英語の歌を歌って踊って、文化を伝えていると思っているかもしれないけれど、それよりも、自分たちの伝統的なものを中心にして語っていく方が、将来のミンダナオの文化を絶やさないためにも大事なことだと思う。
 海外の文化を否定しているのではない。まずは、自分たちのオリジナルの文化を大事にして、それに海外の文化を楽しみに添えるぐらいで良いと思うよ。」

 この言葉は、強く若者たちの心を打ったようだ。自分たちの文化が消えていくことの寂しさを、マノボ族だけでない、イスラムのマギンダナオ族も、ビサヤ族も感じたようだ。自分たちで、ミンダナオの文化を残し、伝えていきたい。翌日から、マノボの子たちは、自分たちの歌をみんなで練習し始めた。
 ミンダナオ子ども図書館をはじめて、すぐに気がついたことは、本を収集閲覧する場としても大事なのかもしれないが、それ以上に独自の文化を保存収集し、それらを復活させていく研究所としても機能させなければいけないと言うことだ。今までの7年間は、ファンデーションとしてのベースを作ることだけで精一杯だったが、いよいよこうした活動にも目を向ける時期が来たと感じる。


7月19日(日)

 日本の社会がますます悪くなっているという話が聞こえてくる。個人は孤立し孤独が蔓延、自殺も増える。働く意欲もなくなって。社会を良くするにはどうしたらよいか・・・・ミンダナオと日本の狭間で見えてくる解決方。
    出来ること
    1,子どもの個室をなくす。一部屋には必ず兄弟でも良いので数人住む
      困っている子が居たら、引き取って家族の一員として一緒に住む。
    2,持ち家を開放する
      一家族が一軒という考えを捨て、
      数家族または気のあった友人やお年寄りなど、
      血のつながりが無くてもいっしょに生活する。
    3,料理の支度に子どもたちが参加する。あるいは、まかせる。
    4,洗濯をみんなで外でする。
    5,盆踊りや地域の祭りを活発にする。 
    6,食卓はみんなで囲み、どんな祈りでも、
     「いただきます」だけでも、みんなで言う。
    7,夏は縁台を外に出して浴衣で涼む。
    8.屋台を許可し充実させ、ちょっとしたものを屋台で食べる。
      家族でも、おでんや焼き鳥。
    9,柿の実、イチジクなどを、
      子どもたちが外から採れる(盗れる)ようにする。
   10,小川や川で、子どもたちが魚やザリガニを捕れるようにする
   11,こままわしやメンコなど、伝統的な遊びを屋外で復活させる。
      石けりや缶蹴り、横町の道路がよい。車を止める。
   12,孤児や離婚家族が居たら、地域でみんなで育てる。
   13,隣のお風呂に入りに行ったり、
      お湯が沸いたら近所に声をかける。特に子どもたちに。

   昔は日本でもこうだったけれども無くなったもの、そして、ミンダナオでは当たり前の事を書いてみました。


7月18日(土)

 1999年に、突然電話口で離婚の印籠をわたされて、土地も家も売り払い全ての財産を妻子に送り旅に出た。一銭も無かったから、とりあえず入っていた講演をこなして、20万ほどためてミンダナオへ・・・その時の事は、拙著「サンパギータの白い花」(女子パウロ会)に書いた。歩行も困難に感じるほど落ち込んでいたから、あの状態で良くまあ講演をこなしたと思う。唯一のささえは、ミンダナオの子どもたちの事だった。
 まったく無一文の体験は、ある意味では爽快だった。家も、土地も、貯金も、一銭もない・・・これで、仕事が入っていなかったら、どうしたろう?文字通り、ゼロからの出発を支えてくれたのは、20年以上も、各地で講演を通して関わり続けてくださった、多くの人々との出会いだった。自分の利益や名誉のために働いたことはなかったし、今もないが、引きこもりの子たちの相談をはじめとして、子育ての現場で出会った親たち。拙著「昔話と心の自立」や「わたしの絵本体験」(洋泉社)を通して、真の自立をめざす子育てを共に考え、エールを送ってきた人々が、僕自身が厳しい状況になった時にささえてくれた。
 
 この世に財産を貯めようとしないこと。どんなに小さな人でも、一人一人を大事にしていくこと。名誉や名声や評価を求めて行動しないこと。愚直なまでに、迷い徘徊すること、上を目指して歩まないこと・・・言葉もわからないミンダナオにたった一人で来て、避難民や山岳民族の貧困を見て、数名の若者たちとNGOを立ち上げた。日本人たった一人で・・・。一歩離れて見ると、良くまあやったと思うけれども、その様な実感はない。
 もともとボランティア活動などうさんくさい、と考えていた僕自身、NGOを立ち上げるとは思いもしなかったが、避難民キャンプの子どもを救済するためには、政府の認定を受けなければ行けないと言われてMindanao Children's Library. Foudation, Inc.を正式に立ち上げた。いまでも、ボランティア活動に関心があるわけではない。NGOの事も知らない。知識もない。ただ、子どもたちが可愛いだけだ。

 あれから約9年、MCLをはじめて7年に入るが、まさか数年でここまで来るとは想像もしていなかった。大きくしようとしたわけではない。寄付が個人寄付だけで、二千万に達するとも想像しなかったし、子どもたちが可愛いく、何とかしたかっただけだ。今もそうだが・・・手をさしのべたい子、未来を託したい子、民族や宗教を超えて、貧困や環境の問題を解決し、まあ、そこまでかっこよく行かなくても、せめて逆境を乗り切って幸せな家庭を築いて欲しい子たちはいくらでもいる。突然我が子が消えた体験が尾を引いていると今も感じる。思春期は二度ともどっては来ない。
 仕事で心がけたのは、誠心誠意行動すること。行動の結果を、正確に正直に、寄付を下さっている方々にお伝えすること。あとは、神のみぞ知る。先が見えない事ばかりなので、祈ることを覚えた?「自分には何もわかりません・・・アーメン」

 NGOまたはNPOを始めて、すぐに会社と異なることに気がついた。お金の性格がまったく違う。会社は利益を目的としているから、利益は会社または自己判断で使える。NPOは、寄付を主体としていて、寄付は、寄付者の想いがこもったもので、それをいかに現地に届けるかが重要なのだ。つまり、これは教会と同じで、教会の金を組織や個人のみの目的で使うことは許されることではない!かつて福武書店(現ベネッセ)に出版部があった時に、編集長として児童図書部門を立ち上げた経験が役に立ったが、企業とNGOは、根本的な性格がまったく違うとすぐに感じて、怖くもなった。寄付は怖い金だ。いらい、寄付から自己の給与はいっさいとらず、自分の生活は個人で稼いだ。
 数年前までは、寄付だけではとても若者たちを養えず、若者たちと住んでいた事務所?の費用、光熱費から、日本に仕事に行く旅費から共同生活している若者たちの食費まで自己負担した。寄付を子どもたちの救済支援に使うために。ミンダナオ子ども図書館の家も、土地も、基本的な財産に寄付は使用していない。特別寄付以外は・・・それも一部だ。いまでも最大の寄付者は、僕だろう。年収?120万ぐらいかな・・・10,11月に講演会で帰る時、個人的に渡される謝礼と印税。

 この7年間、寄付を下さった方々の想いを、現地の子どもたちに届けることのみを考えて、誠心誠意働いてきた。例え相当に身の危険がある地域での活動でも、それが喜びでもあり、支えだった。その姿勢を、スタッフも若者たちも感じてくれている。
 ミンダナオ子ども図書館は、他のNGOのように、日本人スタッフがいるわけでもないので、要するに細やかな寄付者への対応に経費を使っていないので、がさつかもしれないが、皆さんの寄付は100%、現地の人々の支援に届いている。日本人スタッフ一人雇えば、こちらの20人分の給与になるし、毎月保育所を一軒建てられる。年間200名の子を病院に連れて行けるだろう。

 「誠意を持って寄付を100%役立てて下さるなら、多少のがさつはがまんしますよ。経済危機もあって、他のNGOはストップしたけど、ミンダナオ子ども図書館だけは、続けます」そんなお手紙をときどきいただく。
 ほとんどの経費は、事務処理やスタッフの給与に消えていくNGOを現地でいくつも見ている。現地では、NGOは、楽して高給が取れる仕事。ただ、安定していない事だけが難点だと言われている。NGOもビジネスなのだ。お金の背後にある、一人一人の心や想いが見えない世界?血の臭いをかいで、喜んで集まってくる、禿タカにだけはなりたくないな・・・NGOの運営は、本当に恐ろしい。

 困難な場所にこそ、わくわくするような仕事があるのも事実だが。仕事は探すものではなく、創るものだ、と若者たちによく話す。成功したなどとは思わない。戦闘、貧困、平和への脅威、常に新たな問題に直面し、解決を試みているにすぎない。そろそろ、殺されるかなと、よく考える。それでも、喜々として黙々と歩み続けている。面白くなかったら、こんな危険な仕事はしないだろう。 


7月17日(金)

 明日土曜日には、ピキットのカラカカン地区、山沿いのブグアット集落に読み語りに行く予定だった。ここは、ピキットでも本当に貧しい丘陵地帯で、小学校をはじめ、多くの奨学生がここから来ている。高校になると、彼等のほとんどはミンダナオ子ども図書館に住む。集落から町の高校までは、歩いて通える距離ではないし。極貧で、下宿するようなお金があるわけではない。下宿どころか、親が米を買うお金も無いのだから。
 ピキットは、低地と丘陵地域に分かれている。低地は湿原で、洪水被害は絶えないが、実質的に地味は肥えていて、水害さえ無ければ豊かな地域だ。しかし、丘陵地帯は、裸に近く、土地も痩せていて、なかなか作物が育たない。トウモロコシがせいぜいで、イピルイピルと呼ばれる灌木が茂り、束ねた葉を売ったりしている。大きな束でも、10円ぐらいか・・・。燃やして除虫剤にする草で、食べられるものではない。

 ここ数年、ブグアット集落には、行っていなかった。山道が崩壊して、行けなかったのだ。しかし、去年の暮れ、米軍の支援で砂利がひかれ、ブアラン集落同様に車が通れるようになった。これで、また読み語りにも行けると喜んでいた矢先。先々週に、政府軍が入った。奨学生の親たちは、麓の村に一時避難した。その後、再び家に帰ったと聞いていた。ただし、荷物は山麓に置いたまま。またいつ戦闘が起こるかわからないと、感じたからだ。そんな状況だったけれど、否、そんな状況だからこそ、現地の人々の置かれている事情に心を痛め、僕らは、視察調査もかねて読み語りを明日、実行しようと決めたのだった。

 カラカカン出身の奨学生は、歓声を上げて喜んだ!昨日の夜は、興奮気味だったぐらいだ。そして、今朝、早朝のスタッフミィーティングでの報告・・・・
 「再び軍が入り、タキパンとカラカカンで戦闘が起きている。明日の読み語りは無理だ!」カラカカン出身の奨学生たちは、今、高校に行っている。帰ってきて、読み語りが中止になった事を知ったら、とてもガッカリするだろう。
 それ以上に、家族の事が心配だ。再び、避難民救済支援に切り替えて活動する時が近いような気がする。ピキットの医師と、スケジュールを調整しつつ、避難民救済の診察医療、メディカルアウトリッチの計画も立てているところだ。
 隣町の、アレオサンでも戦闘があり、難民が出ている。


7月13日(月)

 週末は、若者たちが集まって、今月末の日曜日26日に開かれる、マノボデーの練習をした。ムスリムデー、マノボデー、ビサヤデーの三つの文化祭に加えて、平和の祈り、シンポジウムは、奨学生の全員集まる全体総会で最も重要なプロジェクトだ。
 ミンダナオ子ども図書館は、スカラシップが中心だと思っている子も多い。そこで、スカラシップは二次目的で、カルチャープロジェクトが主目的であることを説明する。この豊かな文化の地、ミンダナオで、異なった種族が、文化や宗教の違いを超えて交流し、平和な世界を築いていく。医療も、避難民救済も、そうした流れの上に開始される活動なのだ。

 カルチャープロジェクトというと、こちらの子たちは、なにやらステージの上で踊りを踊って見せたりすることをイメージする。確かに、先住民族フェスティバルのようなものが開かれていて、ダバオの町で、コンテストのようなものがあったりする。これはテレビの悪い影響だとも言える。文化とは、日常の生活をベースにして、その土地で生きている風俗習慣。食も文化だし、狩猟も農業も文化。冠婚葬祭はもちろんだが、収穫祭の踊りも文化で、これらはステージで他人に見せるために演じるのではない。
 ステージで演じられるのは、ショウであり、ショウはビジネスと金儲けにつながる。もちろん、完全にそれを否定しているわけではなく、ムスリムダンスで日本公演をしたときにはステージで踊った。しかし、良いところはプロフェッショナルではなく、生活をそのまま演じて人々との交流を図った点だろう。プロではないと言うところに、僕は真の素朴な美しさと価値を見いだす。生活民芸品のような・・・

 とりわけここで行う、ミンダナオ子ども図書館の文化祭の目的は見た目に面白いものを大勢の前で演出することではなく、両親や祖父母から受け継いできた文化や伝統を素朴なまま絶やさずに受け継いでいくことなのだ、と話す。
 今年は、「病気の祓い」をテーマにしている。先日は、パンダノンのマノボの首長が来て、その指導で、若者たちが学び、練習をした。
 文化プロジェクトは、ミンダナオ子ども図書館の最重要プロジェクトなのだが、こちらの子たちやスタッフたちには理解しにくい活動だ。医療、避難民救済や読み語りは、理解しやすいのだが・・・彼等が理解しにくい理由は、文化や伝統が、あまりにも日々の生活と密着しているからだ。例えば、結婚や収穫祭のプロセスは、彼等にとっては日常だし、興味深い病気の治癒の際の祈祷や訃術も、彼等の意識のなかでは、「文化」というレベルにはない日常なのだ。ちょうど、民話が毎晩語られるような環境で、その民話が、貴重な文化だと言ってもピンとこないのと同じで、ここの文化の豊かさを理解できるのは、僕がそれなりの研究もしてきた外国人だからだ。

 夜蛙を採りに行って料理したり、ニシキヘビを捕獲して解体し、蒲焼きにすると言った、食生活も、貴重な文化なのだが、彼等にしてみれば、低俗で恥じるべき事だったりする。テレビから出てくる、英語の歌や踊りが文化で、英語を交えたタガログ語の生活が彼等にとっては文化生活なのだから。そんなわけで、読み語りに行っても、英語の絵本や踊りや歌を歌って見せたりするようになる・・・繰り返し独自の文化を主体にするように言う。
 外国の文化を否定しているのではなく、交えても良いのだが、あくまで脇役であることを認識する必要もある。そうしないと、オリジナルの文化が破壊され駆逐されてしまうからだ。父、松居直が福音館書店で絵本を編集し、僕も幼い頃に読んでもらったが、海外の絵本に交えて、当時一流の画家を起用した、日本の伝統美術にのった美しい作品を編集したのも、オリジナルの文化の駆逐から日本人の心を救い復活させた過程だと理解している。

 その晩、僕が以前撮って制作した、マノボデーのドキュメンタリーフィルムを見せた。見ている若者たちにとって身近にいる先輩やスタッフや友だちが、生き生きと出てくるフィルムに歓声が起こる。日常で、何の意味も持っていないと思っていた芋掘りなどが、生き生きと美しく描き出される。それに見入る若者たちの目は、外国映画を見る以上に輝いている。
 こうした機会をくり返しつくり、客観的に自分たちの生活や文化の良さや美しさを発見していく体験が必要なのだろう。そろそろ、卒業してスタッフとなった新たな若者たちに、昔話の収集やドキュメンタリーの制作を教える段階に来たと感じる。



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7月9日(木)
 
 再びミンダナオ紛争の兆しが感じられるこのごろです。「ミンダナオの風」最新号を添付しました。

  前号の『スカラシップQ&A』で、6月にスカラーのプロフィールと季刊誌『ミンダナオの風』をお送りする予定でしたが、一ヶ月遅れてしまいお詫び申し上げます。ピキットで戦闘が始まり、難民が出て救済したこと、その後、去年からの疲れが出たのか、松居友本人が高熱を出し、一週間近く入院療養しなければならず、その結果遅れてしまいました。

 今後は余裕を持って、6月のスケジュールを7月に変更して、プロフィールと季刊誌『ミンダナオの風』は、7月発送8月上旬にお届けできる形に変更したいと思います。
 さらに、今までは、自由寄付やスカラシップを振込頂いた方々、物資支援を頂いた方には、奨学生たちの手書きの絵はがきをお礼と確認のために郵送していましたが、郵便経費を無駄遣いしないために、今後は、 
【手書きの絵はがきを、年四回の季刊誌に同封する形】で切手代を節約したいと思います。

 確認のお返事が、年四回だけになってしまいますが、お許しいただければ幸いです。

 「ミンダナオの風」2009年7月号・季刊24号が校了しました。
 最新のミンダナオ紛争に関する見解、避難民救済と読み語りなど、今後のミンダナオ紛争の状況把握など・・・
 郵送到着は、8月初旬にずれ込むかもしれませんが、大至急発送いたします。子どもの手書きのお礼の葉書、サンキューレター、成績表、新しい写真の入ったプロフィールを同封してお届けします。


7月7日(月)

 新たにミンダナオ紛争が起こるのだろうか。
 コタバト市のカトリック教会前の豚丸焼きレストランでの爆弾事件は、はっきりした意図は、あえてこの事件をカトリック教会の近くで起こすことにより、人々の目をイスラム対キリスト教という対立の構図に向けさせる事だろう。
 現地を知らない人々が見ると、それ以外の想像は不可能なほどのインパクトはある。豚の丸焼き店をターゲットにしたのも、イスラム教徒は豚が嫌いだからそこを攻撃するのは当たり前だという、イスラム教徒=MILFの仕組んだ事件に仕立て上げるのに好都合だからだろう。

 当然ながら、記事は、政府の下にある「軍」または「警察」の発表という形で先行して書かれている。興味深いのは、ミンダニュースで
Reports from the Cotabato City police said the explosion took place at a time people were leaving the Church after the second mass.   The mass ended at around 8:45 a.m.

But Fr. Jonathan Domingo, OMI district superior and executive publisher of the Mindanao Cross, told MindaNews the mass had not ended and that Arcbhishop Orlando Quevedo had just finished his homily when the homemade bomb exploded across the street from the cathedral.

 と述べられている点だろう。ここでは、コタバト市警のレポートでは、「信者がミサが終わり外に出ようとしているところを襲った」と書かれている次の行で、OMIが「爆発があった時に、ミサは終わっていず、オーランド大司教の説教が終わった時点だった」と書いてい点である。その差異の理由については何も解説されていないが、行を改行し、スペースを空けた上で、「But]と言う文言をトップに入れているところに意味合いがありそうだ。これは読者が推測するしかないが、ミンダナオに住んでいる者ならその発表の違いに込めた何かをピンと感じるだろう。皆さんはどうですか?

 日本の新聞でも、ネット上に11社が掲載している。
 http://www.google.co.jp/news/story?ned=jp&cf=
all&ncl=dRkkdlxihtpH1bM3-xJKZLaxDnApM


 その中でMILF側の主張「国軍はイスラム反政府勢力『モロ・イスラム解放戦線(MILF)』の関与を指摘しているが、MILF側は否定している」件、つまり反政府側の発言をわずかなりとも取り上げているのは、日経、毎日、産経、クリスチャントゥデイであり、CNNは「同組織はウェブサイトで調査中とだけ述べた」としている。
 他の紙は、MILF側の反応にまったく言及無く、国軍または警察の発表のみに報告が偏っている。朝日、読売、世界日報がこれであり、どの紙を読むかによって多少ではあるが受け取り方は違ってくるだろう。

 これらの中で、興味深い指摘が二つある。
 一つは、毎日の記事で、爆弾の仕組みに触れられており、「爆弾は軍の砲弾が使われ、携帯電話で起爆させる仕組みだったという。」という記事が掲載されている。軍が仕掛けたとは書いていないが・・・可能性が示唆されており、これは、一般的なミンダナオに住んでいる人々が、心の奥にしまい込んでいる気持ちを代弁しているとも言える。
http://mainichi.jp/select/world/news/
20090706ddm007030129000c.html


 携帯電話で起爆させる仕組みだったと言うのは、クリスチャントゥデイも言及している。「目撃証言などによれば、爆弾は路上に並んでいた屋台付近に置かれ、遠隔操作で爆発したと見られている。警察は、爆発の崔に携帯電話を使用していたことが目撃された男を逮捕。男は偽名のパスポートを3つ所持していた」
 警察の発表だとすると、パスポートの件で、国際テロ組織(たぶんアブサヤフ)の関与を指摘したいのだろが、それが真実か、あえてこの男が犯人だとしても真実が出てくるかは異論のあるところだ。
http://www.christiantoday.co.jp/main/
international-news-2314.html


 クリスチャントゥデイは、オーランド大司教の発言にも触れている。
 「コタバト大司教区のオーランド・ケベード大司教は地元メディアに対して、『攻撃があった教会は、(爆発を起こした)犯人に対してでさえ、避難所である場所だ』『爆発が起こったとき、人々は礼拝していた。これは単なる罪ではない、神への冒涜だ』と強く批難した。」
 
 一見、オーランド大司教は、反政府組織を強く批難したと解釈されそうな文言だが、これは『(爆発を起こした)犯人』に対しての批難であることを見誤ってはならないだろう。
 オーランド大司教は、僕も会ったし良く知っている。OMI(カトリック宣教会の一つオブレード会)の大司教で、鳴門カトリック教会の乾神父のワシントン留学時代の盟友。OMIオブレード会は、最も困難とされる地域に宣教に向かう会派で、ミンダナオでは、イスラム教徒を最も多く救済している会派で、戦前からの活動履歴も長い。
 去年の戦闘の時には、国際支援が欠乏している困窮した地域の避難民を独自に救済しているし、当然ながらMILFとも深く繋がりを持ちながら活動している。(そのこともあるので、フィリピン国内での政府側またはマスコミの発表では、MILFとせずに、批判の対象は「MILF分派」と記述される)

 しかし、2000年、ピキット空爆で、避難民キャンプからも外されて困窮しているマカブアルの子どもたちを、爆撃の中に飛び込んでいって救ったピキットのライソン神父もOMIである。その時にミンダナオ子ども図書館のボードメンバーグレイスさんが同行している。ライソン神父は、僕も避難民救済現場でたびたび会っているが、昨年バチカンに呼ばれた。(この前後に、ライソン神父は、戦闘におけるイスラム教徒弁護の提言をフィリピン政府にしているのと、その後の教皇のイスラム諸国訪問と発言が始まったことで、恐らく参考人として招へいされたのではないかと関係者は推測している)
 その後、ライソン神父は帰国し、現在は最も複雑なイスラム自治区のダトゥピアンの教会に派遣されている。

 OMIは、ミンダナオのイスラム教徒地区に最も奥深く入り、イスラム教徒からも信頼されているカトリック宣教会である。とりわけ、第二次世界大戦中、日本軍に対する抗日戦線を盟友として共に協力して助け合った話は、今も語りぐさになっている。
 オーランド司教も、その立場上、発言はつねにイスラムの人々の気持ちを考えて行う人であるから、そうした経緯や背景を知っていれば『攻撃があった教会は、(爆発を起こした)犯人に対してでさえ、避難所である場所だ』『爆発が起こったとき、人々は礼拝していた。これは単なる罪ではない、神への冒涜だ』という発言の真意は、単なるMILF批難ではないのは、現地の人々にはすぐに理解できる。

 こうした比較的急進的に見える活動をしている(当たり前の活動だが)カトリック宣教会は、ミラノ宣教会などいくつかあり、先住民族やイスラム教徒と深い繋がりを築いて活動しており、その点から逆に、保守的なカトリック会派や、時には軍や警察に目をつけられている事も現地でも良く知られている。

 ミンダナオ、特にコタバト周辺の人々の識者の見方の一つに、「爆弾テロというのは、必ずしも反政府勢力の仕業とは言えないようだ」という、身近な経験から生まれた嗅覚がある。クリスチャントゥデイの引用は前後が端折られていて短く行間が読めないが、そうしたOMIとイスラム教徒との長年の経緯を知っていれば、オーランド司教が「犯人に対してでさえ、避難所である」と言う言葉の意味。それが、MILFを直接指し示すのではなく、「意図的に教会を憎しみを煽るための道具として利用した犯行の卑劣さ」そのものに対する批判であることが感じられる。
 その後僕は、コタバトのMILFに近い友人にカトリック教会の爆破の感想を聞いたが、彼は「(クリスチャンの教会もイスラム教徒のモスクと同様に)神に対する人々の神聖な祈りの場であり、その近くで爆弾を炸裂させる行為は許されるものではない」と、オーランド司教と同様の意見を述べていた。
 オーランド司教の犯人像には、キリスト教徒も入っているとも言えそうだが、現地の人々なら、大司教の発言を恐らくそう解釈するだろう。

 OMIは、独自のラジオなどのメディアを持っており、キダパワンのラジオ局もそうであるが、体制に批判的な発言をした解説者が殺されている。フィリピンのジャーナリスト殺害はアムネスティも抗議している。ぼくも危ないかもしれないが、その筋の人から、外国人だから殺しにくいだろうと言われている。ただ、事故に見せかけることは可能だ。
 最後に、ミンダニュースで掲載されている、MILFピースパネルが記者会見で発表した発言を参考のために引用しておこう、

MILF peace panel chair Mohagher Iqbal told the journalists in a forum morning of July 1 that they  “do not have the motive to do that (bomb Moro areas).”“ As for bombings in Christian areas, as a revolutionary organization, anong mapaapala namin? (what can we achieve by that?) Can we get sympathy from international community? From the people? Will those bombings contribute to the  popularity and  legitimacy of the MILF?” Iqbal asked.
http://www.mindanews.com/index.php?option=

com_content&task=view&id=6618&Itemid=50

 
今日は、激しい、豪雨があった。
 ピキットの難民キャンプを洪水が襲っていなければ良いのだが。



7月6日(日)

 土曜に若者たちは、新たに野菜畑を切り開き、総菜用の野菜の種を植えた。そして日曜日、今月最終日曜日に行われるマノボデーの準備が始まった。「マノボ族の祈祷」がテーマだ。面白くなりそう。

 最近、あちらこちらで爆弾事件が起きている。今日も、コタバト市のカトリック教会近くの豚丸焼きレストランで爆弾事件があり、数名が死亡した。
 そのたびにマスコミで流される常套文句がある、「爆弾はMILF(または分派)の仕業と思われる」
 最初は、僕もその気だった。だが、戦闘の経緯をくり返し体験し、状況を見極めたり、側から聞こえてくる事実や動き(たとえば、キダパワンで爆弾事件が起こる前に、ある種の人々には警告が携帯でながされる「外出はこの日は控えた方がよさそうだぞ・・・」。アレッと思う、何故この人がその様な情報を得ることが出来るの???そして市長の携帯宛に、犯行声明が届きそのままマスコミに流される。

 今回の爆弾事件もかなりの関連記事が出ている。件数が300を超えているから、一斉に報道されたと言って良い。
BBCも報道している。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8134820.stm
フィリピンの大手紙インクワイアー
http://newsinfo.inquirer.net/breakingnews/regions/view/
20090705-213926/Blast-near-cathedral-kills-5-wounds-35

ミンダナオのミンダニュース
http://www.mindanews.com/index.php?option
=com_content&task=view&id=6618&Itemid=50


 3紙を読み比べてみると面白いだろう。ミンダニュースが一番ミンダナオの人々の感性を代弁していると感じる。MILF側の意見と警察側の意見、その取り上げ方の比重などを客観的にご覧になると興味深いのではないだろうか。
 大概、大きな戦闘が起こる(起こされる)前の数ヶ月から週間前に、爆弾事件が起こる。その爆弾事件の頻度と範囲で、次の戦闘が広範囲の大きなものか、地域的なものかの予測もつく。今回は、イスラム自治区のダトゥピアンを始め、南ミンダナオなど、かなりの範囲で起きているので、戦闘の規模も大きくなるかな?などと予想したりしている。

 911の爆破事件、マスコミのテロリスト報道、そしてミンダナオで戦闘が起こり、半年後にはアフガンへ、次にイラクへ。一連の経過とまったく同じ筋書きが、小規模でも絶えずミンダナオで描かれている。その真意は何か?石油かガスか。希少金属か土地保有のプランテーションか?????
 マスコミは、戦闘を起こす準備をするための有力なツールであることを忘れてはならない。
 これはこちらでは常識だが、戦闘は2者の対立から起こるのではない。対立を起こす計画を立て、準備し、実行する隠れた第三者がいる。その目的は、宗教でもなく、民族でもなく、表面上の理由の背後に隠れた、非常に現実的で実利的な何か?

 外から見下ろすと、若者たちの歓声が聞こえてくる。今、一番彼等が夢中になっているのが、自転車の練習だ。


7月3日(木)

 あいかわらずの病院滞在。5日目になる。体の痛みからはかなり解放されてきた。

 フィリピンの医療は、悪くない。ミンダナオの小都市キダパワンにも、小さいながらも総合病院が二つもあり、病院はそれ以外に4つほど、クリニックもある。医師はダバオから派遣されてくる医師で専門家。ウルトラサウンドからCTスキャンまで完備している。キダパワンが交通の要所で、学園都市という意味合いもあると思うが。
 フィリピンは、看護師の有名な輸出国だから、この町にも看護養成学校はあり、ステータスを競っている。もちろん中流の上以上の子女しか行けないが、希望はほとんどが海外出稼ぎだ。

 そんなに医療が充実していて、何故医療プロジェクトが必要なのか?と疑問に思う方もいらっしゃるようだ。
 薬も全てそろっていて、町にはたくさんの薬局もある。国際医師団の方々がこられても、現地にはちゃんと医者がいるのだ。つまりフィリピンでは、医療の問題は、医師と設備に関してはないのであって、金さえあればかなり高度な医療まで受けられる。長女もマニラのハートセンターで、かなり高度な心臓バイパス手術をした。今も元気だ。医療費も、入院費も日本に比べれば格段に安いし、金さえあれば問題ない、金さえあれば・・・。

 問題は医療にあるのではなく、貧富の格差にある。つまり、医者もクリニックも病院も全てそろっていながら、70から80%が貧困層とも言われているミンダナオでは、ほとんどの人がその恩恵にあずかれない。薬を買うお金もない。数日病院に子どもを入院させるために、水牛を始めとして家畜を売り、土地を手放し、借金をする話はそこら中にある。
 (水牛があり土地があり、借金できる親戚があるのは、移民系のクリスチャン入植者だろう。セブから来たビサヤ系とネグロスから来たイロンゴ系が多いが、金持ちと言われているのはルソンから来たイロカノ系)
 売る土地も無く、3食たべられないミンダナオ子ども図書館が関係を持っているような子たちは、どうしたらよいのか?極貧は、山に追われたマノボ族などの先住民と土地のないイスラム教徒が多い。比較的に・・・。

 MCLと関係を持てた子たちは、医療費から付き添いの食費までMCLが面倒を見て救済するから良いものの、(付き添いの食費まで面倒を見るの???ハイ、お金がないと病院で食事も出来ずに付き添えないので・・・)
 貧困層は医療を受けられないから、まずはマナナンバルと呼ばれる祈祷師を頼る。それなりに薬草の知識もあるのだが、黒いニワトリを生け贄に捧げても、救済できる子は限られている。こちらでは、重い病は死を意味しており、あきらめて死に身をゆだねる。
 救える命もたくさんあるのだが、手遅れで救えないケースも多々あって心が痛む。
 
 最近は、アメリカでも日本でも、同様の貧富の格差と医療の問題が広がっているという。フィリピンは、アメリカや日本が貧富の格差の問題に目覚める前から、極端な貧富の格差の問題を抱えて現在に至った国?否、先進国が豊かであるためには、貧しい人々の存在が必要で、それがただ外国であったがゆえに、先進国の人々は自国が関与している問題として、格差問題の構造が見えていなかった?


7月1日(火)
 
 精神的な緊張からくるストレスと、軽度の熱を薬で抑えてきたが、避難民が出て、その救済に走った後に、どっと疲れが出たのか、39度近い熱をだし、入院した。精神的にも肉体的にも、限界を超えていると常々感じていた。 
 去年の8月から、絶え間なく続いた避難民の救済活動も一段落して、学校も再開されるだろうから、この辺で少し休息をとりたい、可能であれば、平和な日本の温泉にでもつかって体力を回復するために数週間山を彷徨したいものだ、と思っていた矢先に再び避難民が出て、情勢が怪しくなった。その追い打ちとストレスで、肉体の方が赤信号をだしたと言えよう。

 (それにしても、日本の自然はすばらしい。この美しい自然に密着した伝統的な農業と文化を持つ生活スタイルを維持すれば、日本は世界でも有数の平和で美しい国になるはずなのだが。北海道時代は本当に良かった、平和な生活を営むためには北海道で暮らすのが一番良いと思ったのだが・・・結局は、仕事を選ぶ羽目になった、いつか来るぞと思っていたことが実際に起こったと言うところか・・・。
 40代は、先住民族の文化とシャマニズムと現代文明の対峙の問題、50代以降はイスラムを含んだ宗教対立、戦争と平和の問題に取り組むのではないかと言う予感がいつもしていた。嫌な予感が多かったので、鬱になったが、その直後に911が起こって、今に続いている。どこかでのんびり平和に暮らしたいと想うのだが、次の世代のことを想うと、困難な問題から目を背け続けることが出来ない性格?
 ミンダナオには偶然降り立ったが、キダパワン、ピキット、アラカンという、イスラム、クリスチャン、先住民族のドンピシャリの場に投げ込まれた時は・・・・覚悟した。)

 ブアランの丘陵地帯は、戦闘のターゲットの一つであることはわかっていたし、そこの小学校は、2000年2003年の戦闘の砲弾痕すらあって、見捨てられたような場所であるが故に、ミンダナオ子ども図書館では重点地域として対応してきた場所の一つだ。
 マカブアルの小学校の建設計画を日本政府に申請し、調査に日本大使館のビネダ氏が来られた時に、マカブアルを見た後にブアランの小学校をお見せした。その時、そのあまりの現状を見て、「松居さん、来年は、そちらの考えておられる場所に加えて、ここを提案してください。2カ所になってもかまいませんから・・・」とおっしゃった。

 日本大使館から派遣されてきた人々は、(危険地域なので日本人はいず、フィリピン人のビネダ氏数名しかいなかったが)すでに、ピキット市の教育委員会の要請で調査を終えていて、私が同じA学校を紹介すると思われていた様子だった。(そのA学校は、後日私たちも地域教育委員会の長から推薦するように言われたが、その必要性は感じられずにお断りした。)

 ビネダ氏は、そのA学校に向かう方向からはずれ、私たちが、突然細道に入り、車で上りきれるのかという状態の悪い丘陵をよこぎりながら走り始めた時に、少し驚いた様子だった。その奥に、さらにブアラン小学校を目の前にして、弾痕の残った外壁などを見たときは、胸を打たれた様子だった。
 「何故ここを市では提案しないのだろう」という素朴な疑問に対する答えはいくつかあるだろうが、明瞭だろう。行政に力を及ぼす大土地所有者がいない、教育委員会に有力者がいない、要するに貧しい地域で反政府勢力が強い地域・・・?

 ビネダ氏が、学校の内部もすべて見た後、「松居さん、来年は、そちらの考えておられる場所に加えて、ここを提案してください。2カ所になってもかまいませんから・・・」とおっしゃったのは、驚きだった。
 私たちは、「日本政府もなかなかやるな」と信頼感を強めたものだ。行政は、あくまでも行政なのだが、志を持った人も・・・。私たちは、この言葉をうれしく受け入れ、ブアランの小学校をMCLの今年のODA支援の対象と考えていた。例え実現しなくとも・・・ARMM地域のサパカンと共に。

 しかし、直前に見合わせたのは、この地域の戦闘情勢が良くない点だ。この様な情勢では、無理に提案を出して建設が始まっても行き詰まる可能性がある。今年は無理ではないかと判断した。提出を延期しよう。
 去年の8月から、この地域の人々は、半年に渡って難民生活を強いられていたし、学校が再開される目処もたっていなかった。ようやく3月に、子どもたちはブアランに帰り、私たちも畑を作るためのトウモロコシ支援を考えている矢先だったが、6月再び戦闘が起こり、2ヶ月足らずで難民化する状態となった。学校が再開される目処はたっていない。
 来年は、状況が良くなって、この学校の建設を提案したい。平和になることを祈って!

 そんなことを、病室で考えている。写真は、現在のブアランの難民とスカラー


6月28日(日)

 毎月、最終の日曜日は、高校大学のスカラー達が全員集まりジェネラルミィーティングを行う。
 先月は、今年度の役員選挙が行われたので、新役員の議事により進められた。来月はマノボデーなので、今月は一般的な話し合いがなされた。
 学校での諸問題、下宿の問題、今年度多少改正したポリシーが承認された。

 学校の問題は、最初の制服がまだ支給されていない事などが議題にあがった。
 下宿は、最低350ペソをMCLで支給しているが、毎年下宿代が高騰しており、平均で400から500ペソになっていて、差額は個人負担なので厳しい状況だと報告された。今後は、家を一軒借り切って、集団生活をすることで奨学生が下宿代を出さなくてもやっていける体制を作っていく。

 ミンダナオ子ども図書館では、独自のポリシーを決めており、保護者にもサインをしてもらっている。
 そのポリシーの一部をご紹介しよう。

 1,高校生は下宿が出来ない。
   (ミンダナオでは、中学が無く、高校一年生は中学一年生であり、まだ子どもなので下宿はさせない。学校が遠い子は、MCLに住んで近くの学校に通うことが出来る)

 2,大学生で下宿している子は、保護者の責任のもとにある。妊娠した、妊娠させた場合は、スカラシップを停止して育児に専念する。その場合は、MCLが支払ったもののなかで、授業料のみ返却を求める。(実質的には、貧しさ故にすぐに変換できないし、それほど真剣に変換を要求している訳ではないが、妊娠のケースは毎年多少あり、それを未然に防止する対策として盛り込まれている)。
 学業に関心が無くなってしまった子の場合は、スタッフで検討して対応を決定する。

 3,ファタニティーと呼ばれる秘密グループに属さないこと。

 4,文化祭やシンポジウム、平和の祈りといったアクティビティに必ず参加すること。総会に出席すること。

 5,落第成績などで追試や補講を受ける場合は、独自に経費を持つこと。


 これ以外に、MCLに住んでいる子たちの場合は、帰宅時間など独自のルールがある。

 恋愛に関しては、高校生は禁止で、兄弟姉妹、家族として互いに愛し合うこと。
 大学生はOKだが、高校生に対する影響を考えて外でつきあうこと。
 毎週土曜日は、畑仕事を手伝うこと。等・・・ 


 支援者から送られてきた手紙、カード、贈り物なども、このときに渡され、彼らは返事を書く。

 今回から、経費を削減するために、寄付の確認のためのお礼の葉書も、年四回の支援者への季刊誌に同封する形で一括して送ることに変更しました。


6月26日(金)
 子どもの頃は、まだ東京杉並は、トトロの世界だったから、自然のなかでのびのびと毎日遊んだ。
 小学校が良かった。受験制度に蹂躙されるまえの明星学園。担任の無着成恭の授業は楽しかったし、数学の松井幹夫、理科の遠藤豊は、その後、明星学園を離れて自由の森学園を始めた。
 何が良かったか・・・知識を詰め込むことよりも、考えて自分で答えを見いだそうとすることを学んだ。
 しかし、学校がひけてからが本番だった。校門を飛び出し、当時武蔵野で、湿地だった井の頭公園で、ザリガニやドジョウをとり、葦の原を探検した。好奇心と冒険好きの性格が、後に北海道で、アイヌの人々と出会い、カヌーで川を下り、厳冬の山を彷徨したり、道のない日高の沢筋をザイルを持って登ることに発展した?これが今、ミンダナオで役に立っている。
 宇宙に関心を持ち始めたのもこのころで、天体を望遠鏡でながめたりもしたが、アインシュタインの「物理学はいかに作られたか」(岩波新書)が心に残っている。後に、大学でゲーテの自然科学に関心を持ち、錬金術の宇宙像を探求するが、それを縄文の基層であるアイヌと沖縄にも見いだし、その後執筆することになる、シャマニズムの宇宙像「沖縄の宇宙像」(洋泉社)「火の神の懐にて」(洋泉社)などへつながる興味は、ここから出発してるような気がする。

 小学校の高学年から中学は、最も楽しい時だったが、東京オリンピックをさかいに、自然と共に庶民の生活が消えていくのに強い不安と寂しさを覚えた。つまり、駄菓子屋や屋台、銭湯や縁台、公共と個人との中間に位置する端境の空間こそが、人々の心を通わせるぬくもりのある生活環境であったはずだが、個人ばかりが尊重され、住宅は見かけがきれいになっても、コンクリートの壁ばかりが建ち(昔は生け垣が主流で、生け垣の下をかいくぐって、子どもたちは他の家の庭にはいることも出来た。柿の実やイチジクを採りに「盗りに」)。
 外部は道も舗装されて電灯も裸電球ではなくなり、瀟洒な外灯になったのだが、立ち話やちょっとした食事が出来たりする、縁台、屋台といったものがなくなり、街頭紙芝居もなくなっていった。どこでも遊んでいた子どもたちは、公園に隔離され、やがて学童センターに閉じこめられることになる。老人は、老人ホームに。ちまたのコミュニケーションは、コミュニティーセンターに。

 現代文化の発展に疑問を持ち始めたのもこのころだ。戦後の経済を背負って、生き生きと働いていた人々の姿は、牛詰めの地下鉄のなかで深海魚のようなうつろな目をしたサラリーマンに代わっていった。
 「俺もあんな人生を送るのか・・・」と思うとぞっとしたが、一方で、小学校の頃から聞き始めたビートルズやグループサウンズ、後には新宿西口広場にたむろしたフォークソング、岡林や高石にかすかな希望を見いだすのだが、それも後に学生運動の衰退と共に消えていった。
 ムスタキ、ジョーンバエズ、フレディー アギラ・・・

 感受性豊かな高校時代は、友人たちが高校の職員室を封鎖したりして、学生運動のさなかだったが、現代文明に置ける疎外についてなど、当然ながら、マルクス、ニーチェ、キルケゴール、サルトル、ハイデガー、ボーボワール、小説ではサガン、ウイルソンなど、いやはや、片っ端から読みふけり、他方でモーツアルトを聴き、アルフレート アインシュタインのモーツアルト論を読みながら、マーラーを好み、絶えず死の考察を続けていった。そのあげく、死にそうになった。
 「神は死んだ」世界であるから、虚無にのめり込んでいったのだが・・・虚無を超える意志を人間は持てるのだろうか?という疑問に答えをだすために、鬼門から虚無の世界に入っていったその・・・結論は;・・・「持てない!」。
 人間の意志など、絹糸のごとくで、張りつめれば容易にプツンと切れる!

 それにもかかわらず奇跡的に生きながらえたのは、不思議な体験のおかげであった。死か発狂の瞬間に、見えないけれども見える母なる存在があらわれて「あなたは、もう充分やった(戦った)のだから、今は休みなさい」と言われて、救われたのだ。
 その後から、この世を超えた愛の存在を確信するようなった。愛以外に物事を真に解決する力は無いと悟った。ヘルメットをかぶっても、ゲバ棒をM16ライフルに代えて、ミサイルやロケット砲、エスカレートのあまり核弾頭を保有しても、権力への意志を持てば持つほど、物事は解決しない・・・どころかますます悪くなる?

 多量の本に興味が無くなり、読むに値したのは聖書(これは本ではないのではないかと思っている。とりわけ福音書には、人間業ではない、神の言葉がちりばめられている)、そしてゲーテは面白かった。メメントモーリではなく、ゲデンケツーレーベン、「死を想う」のではなく、「生きることを考えよ」。
 再び神が創った世界が、強烈な光を帯びて見え始めた。美しかった。今もこの世は本質的に美しいと思う。人間がけがさない限りは。
 その後、読んで多少面白いと思ったのは、ドストエフスキー、志賀直哉、森敦、そんなところかな? 


 ミンダナオが面白いのは、強烈な現代文明の暴力にさらされながらも、愛が生きている世界だからだ。


6月24日(水)

 ピキットで戦闘が勃発した連絡を受け、翌日の火曜日、さっそく現地に向かった。
 難民が発生している地域は、まだ限られており、ブアランとパニコパンの難民の状態が良くないと言うので、困窮している地域を優先した。
 正直な気持ち、せっかく去年からの戦闘の疲れというか、トラウマ状態から抜けだし始めたかな、と思っていた時だけに、イタチが巣穴の土手から頭を出して、そろそろ青空の良い天気かな、と思って天を見上げたとたん、重くトゲトゲしたドリアンが首筋に落ちてきたような感じで、「いい加減にしてくれよー」と頭を抱えたくなる。このトゲトゲした重い情感は、本当につらい、ドリアンならそれなりに僕には良い臭いで美味しいのだが・・・
 
 しかし、奮起して活動を開始。
 2000年、2003年、2006年、2008年、そして2009年と、もう5回の戦闘が起こっている。そのたびに難民救済を開始するのだが、こんな事をいつまでも続けていたら、うんざりして、逃げ出したくなるだろう。重い鬱病を抱えたまま・・・と思うのだが、確かにその通り。
 それにもかかわらず、性懲り無く起こる(人間が起こす馬鹿げた)戦闘に、性懲り無く救済活動をする原動力はどこにあるのかと自問すると、答えは一つしかないことに気がついた。
 その戦闘の中に、子どもたちがいるからだ。
 そこに、子どもたちがいて困窮している、と想像しただけで、科学物質で汚染された汚泥の中に、野の花を見るような気がして、恐れを忘れてその場に行きたいと思い始める。この気持ちがなかったら、こんな馬鹿げた活動を誰がするモノカ!と思う。

 現場に行くと、案の定、他の救済支援は全くないから、難民たちは困窮して途方に暮れていた。
 先日は、子どもたちも、地面の上で寝たという。

 今回の戦闘は、一ヶ月ぐらいで終わるのか?とある人が軍の関係者に聞いたところ、「3ヶ月分の弁当を持ってきているよ」と答えたという。3ヶ月分の食糧をあらかじめ準備しているという意味だ。
 それにしても、戦闘を起こす理由が未だに良くわからない。
 DSWDの某氏に、今回戦闘が起こった理由を聞くと曰く「選挙が近いからでしょう」「エッ?」
 確かに来年は、大統領から集落の役員に至るまでの総選挙で、すでに至るところで道路の補修工事がなされている。政治家による選挙前の資金のばらまきだ。さらに加えて某氏曰く
 「政府から、その筋に、軍資金が落ちるようにするために、戦闘を起こすのでしょう」
 唖然としたが、「なるほど、軍資金というのは、軍に資金を落とすことか」と変に納得した。政治家にとって、軍は重要な票田なのだ。


6月22日(月)夕刻
 ピキットで戦闘が勃発したという。
 午後一時にブアランとアレオサンで戦闘が勃発、大量の難民が出ているという連絡が入った。
 雨の多いシーズンで、難民たちは困窮している。ビニールシートの支援を開始できないかという連絡。

 緊急にスタッフ会議を開く。
 明日は、病人の搬送のためダバオに行く予定だったが、スタッフの一部にまかせて、緊急にピキットへ支援活動をしに行く必要がありそうだ。ここ数日、頭痛が起こり、嫌な予感が絶えず心を襲ってきていた。世界的に見ても、6月7月は不穏な動きがある時期のような気がする。
 ブアランからアレオサンでの戦闘勃発は、去年の8月の戦闘開始のケースとまったく同じだ。今後、拡大しなければ良いのだが。


6月22日(月)
 昨日と一昨日は、子どもたちによる読み語りがあった。
 新しく来た子たちも、読み語りが大好きで、小学校1年生の子でさえも、初めてなのに堂々と絵本の読み語りをする。字がまだ十分に読めないから、絵を見ながらで周囲の爆笑をかいながら・・・

 ミンダナオに来た後に、あのころはまだアメリカに渡る希望を持っていたので、一時ニュージーランドに行った。英語を磨くためだった。その後、アメリカに渡る希望も失せて、世界の、特にアジアの現状を知りたいと思った。
 これは、昔から暖めてきた思いだった。最初は、ジャーナリストのように、あちらこちらの貧困地域や紛争地域をめぐって現状を見て、それを書こうかと考えた。しかし、旅人のように、あちらこちらをめぐっても、外から来た訪問者として旅行記のような物は書けても、その地域の人々の中に宿る真実は見えてこないと思った。
 一カ所に留まって、何らかの活動を現地でしながら、そこに住む人々と深くつながり、そこから見えてくる物こそ本物であるように思ったし、今もその通りだと思う。定点に滞在すると、広範囲の報告は出来ないし、一つの仕事を軌道に乗せるまでに10年はかかることは知っていたから、効率は良くない。深く掘り下げたなかから真実を追究するより、単に物を書くことが目的なら、あちこちめぐって書く方が多彩で量も多くて良い。

 しかし、書くために生きるのではなく、生きている中から人々に伝える必要があると感じた時に書くのが、自分のやり方だと思った。確かに一点に滞在して深く掘り下げる仕事は、効率は良くないが、そこから世界につながる普遍的な真実を見いだすことは可能だ。書くことが先に立つのではなく、生きることが先に立つ方が面白い。
 ミンダナオ子ども図書館を始めてから7年がたつが、ほとんど本を書いていない。書け書けとは言われるのだが。なかなかその気にならない。現実があまりにも面白いからだろう。

 子どもの頃から、本に囲まれて育ってきた。父親をはじめ、周囲の親戚が福音館書店に属し、父は今もそこを拠点に活動している。妹も弟も本を書いている。高校、大学と一時数千の本を読みあさった。小説から哲学まで。そのあげく死にそうになった。
 本だけで育ってきていたら、僕は今頃、死んでいたのではないかと思う。絵本の関係者で、息子や娘が自殺した人も多いし、弟と妹もふくめ、精神的な危機を多々経験している。興味深いのは、全員が離婚していることだが、時代の流れか、絵本で育つと離婚するのか?絵本の編集者や画家や作家も離婚が多い。

 離婚する(僕自身は離婚など考えたこともなかったし、今もないが)思いがけぬ出来事をきっかけに現在の仕事に入れたのは事実で、家族がいては、この様な命がけの仕事は作れなかっただろう。今は、仕事を支えてくれた現地の妻といっしょだが、これは僕に与えられた運命だと思っているし、自由にしてくれた妻には、有る意味で感謝している。今僕は、最高に面白い仕事をしていると思う。
 
 本のなかで育ちながら言うのもおかしいが、本というのは、本当に面白くないのが多い。世界こそが面白い、人間こそが面白いのであって、その魅力に取り憑かれると、本や音楽や都市などといった、人間の作ったものは、酒の絞りかすのように見える。それはそれなりに旨いのだが、目前にしている、真実の世界の魅力にかかってはひとたまりもない。人間が作ったものと、神が創ったものの違いがそこにはある。
 言葉を作り出すことを目的にして作られた言葉は、創造の世界が語りかける言葉と、本質的に異なっている部分が有るのではないかと時々思う。
 ここにぼくが書いている言葉も、この言葉が目的になるのではなく、きっかけになって行動が起こり、言葉の向こう側の言葉が、聞こえ、見えてきたらよいのだと思う。

 子ども時代、本を読む時も確かにあったが、外で思う存分友人たちと自然の中で、徒党を組んで遊んだ体験が僕を救った。本はないが、ここにはその様な自然と、そこで遊ぶ子どもたちの姿がある。生活している人々がいる。
 この地で、読み語りの良いところは、本が面白いのではなく、面白くない本でも、大勢で笑いながら、冗談を言いながら、適当に創作しながら(書いたものはここではそのまま読まない!)みんなで愉快な時を過ごせるところだ。
 本が目的ではなく、人が目的で、つまらない物でも楽しむことが出来る、そんなときが大切なのだろう。
 昨日から、日曜日の夜は、ミンダナオ子ども図書館の子たちの読み語りの時間にした。2冊の絵本を語って、一つ昔話を語る。小さな子でも昔話が語れる。祖父母から聞いているから。本物の言葉が生きている。


6月21日(日)

 朝起きてポーチに立つ。夜明けの光が、正面のアポ山とその前山の山並みの向こうから、黄金の水がこぼれ出したように、正面に高くたつ椰子の木立におちる。こぼれだした光は、渦を巻きながら、果樹園を染めていく。
 ランブータン、ランソネス、マンゴー、ドリアンといった果物の木が、輝く虹色の光を浴びていく。
 早朝のミンダナオ子ども図書館。家の裏では、子どもたちが井戸端で、朝の水浴びや洗濯をしている。キッチンでは、4時半の暗い頃から、朝食の準備がはじまっている。子どもたちが自分たちの手で・・・
 気持ちの良い朝の一時。コーヒーをいれる。目の前にコーヒーの木が植わっているのが見えるのだから、地場そのものの味わいだ。

 日々の活動で、悲惨な戦闘をピキットで体験しても。難民の困窮している様子を見ても。
 この自然の美しさだけは変わらない。
 「こんな美しい世界で、なぜ戦車が走ったり、迫撃砲やM16ライフルが炸裂したり、ヘリコプターから砲撃を加えたりするのだろうか。」それは、その部分だけとれば地獄絵のような光景なのだが、その地獄絵は、人間が人工的に描いているカリカチュアに過ぎないことは、その地獄絵図の周囲に、まったくかわらない美しい自然の風景が広がっている事で良くわかる。
 小鳥たちもさえずっている。

 人間の愚かさ。それは、戦闘に極まっている。

 人間さえいなければここは平和なのに。否、昔は人間達も、宗教や種族を超えてミンダナオで平和に暮らしていた。先進国の経済文明が、この地に、関心を持つまでは。
 ピキットの石油や天然ガスの眠る、リグアサン湿原は、ことのほか美しいパラダイスだ。INFO


6月19日〔金)

 50を過ぎた頃から、そして離婚を経験して、何もかも崩壊したような気がしてから、物に執着しなくなったような気がする。
 ここミンダナオで、しかもピキットを中心とした危険地域で、日本人はおろか、外国人であちこち入り込んで活動しているのは、私一人だ。それでも怖くないのは、自分の命に対する執着が薄れてしまったからのようだ。しかし、興味深いのは、自分の命に対する執着が薄れれば薄れるほど、次の世代、子どもたちや若者たちの命が美しく見えてきて、「この子達のためだったら、何でもしたい、自分の命が失われても」と言った気持ちが強く起こってきた。

 それでも、アーリーンのケースもそうだが、どんなに救いたいと思っても、救えない時の気持ち。どんなに寄り添っていてあげたいと思っても、寄り添えない時の気持ちは、愛する人から無理矢理、引き離されて、どっと血が流れながら手術でも修復できない裂け目に似ている。

 激しい頭痛が続いて、一度はスピリットが憑いたようになって、振り乱した髪の毛の間から、真っ赤に血走って中空を見据え。どう見ても狂気の化け物のような顔になっていた、それもで必死に抱きかかえて落ち着かせたマリベール。普段はおとなしく本当によい子なのだけれど・・・
 その後も相変わらず、頭痛が戻ってくる。
 本人はわたしに、「このまま、わたしは、気が狂って行くような気がする。最後には気が狂って死んでしまうような気がする。死んだ妹が私を向こうに連れて行こうとしている・・・それが怖い」と言って泣いた。
 私は、繰り返し、死者は天使になって、神と共に、イエスと共に見守っているから、落ち着いて安心するようにと話したのだが・・・

 ある時、他のスカラー達もいる時に、わたしは、
 「マリベールが、必死に頭痛と戦っている時に、ああ、どうかこの頭痛が彼女から去って僕にのりうつるように、そして、死ぬのだったら、まだ未来がある彼女ではなく、僕が死ねたら良いのに・・・と思う」と語った。
  50を過ぎていくと、そして自分の人生に対する執着が無くなっていくと、次の世代を生かしたいと言う強い気持ちが生まれてくる。今やっている活動も、そうした気持ちの延長線上に有るように思う。
 しかし、言うに安しであって、痛みはなかなか当人から自分に乗り移る物ではない。それが悲しい。
 それでも、私の言葉を聞いて、本当におだやかに微笑んだ、マリベールの笑顔が忘れられない。

 彼女は今、実家に近いところから学校に通っている。両親に近い方が良いと思ってそちらに移したのだが、相変わらず頭痛に襲われて、ときどき意識が遠くなる。


6月18日(木)

 今日は、キダパワン市の貧困地域へ、今年度最後のスカラーを探しに行った。
 スタッフの一部は、先日予告なしに母親の元に行ったエミリーを捜しに・・・

 今年は、小学校と高校で数名が親元に行ったきり、学業を停止した。その多くはマノボ族で、山の貧困集落から家族で低地のサトウキビ刈りに出稼ぎに出て、そのまま現地に留まった。つまり、日雇い労働に駆り出されたまま学校に行くことよりも(親に言われて?あるいは自分の意志で)労働で稼ぐことになったのだ。
 山地で仕事の無い家族は、三食たべるのにも事欠き、サトウキビ農場の差し出すダンプトラックに乗せられて、サトウキビ刈りに向かう。特に3月下旬から5月は、学校が夏休みに入るので、サトウキビ刈りに子どもの動労力を駆り出すのに適当な時期なのだ。

 サトウキビ刈りの労働は、ウオーターフォールから来ている子たちに多いが、スカラーの一人、アロナが言うように炎天下の厳しい労働なのだ。
 「わたしも時々したけれども、暑い日差しのしたで、サトウキビを刈る仕事は本当に本当につらい仕事なの。刈り取って、女では肩に担ぐことが出来ないほどの束にして、それで2ペソ(4円)稼げるの。女では、一日に30ペソ(60円)を稼ぐのがやっとかしら。男の人なら100ペソ(200円)ぐらい稼ぐけれども、その日の三食の食事をするだけで、ほとんど手元には残らない。
 家族みんなで出稼ぎに行って、もちろん子どもたちも手伝うわ。そう、小学校の子どもたちもね。わたしもしたわ。そうして、家族みんなで働いて、なけなしの賃金を家に持って帰るのだけれども、米を食べられるのは2週間ぐらい。その後は、また一日2食の芋とバナナ。学用品の鉛筆やノートも買えない。」

 今は、世界的な経済危機が、ミンダナオも襲っていて、サトウキビ労働の賃金も、仕事もカットが続いている。一方で、ここ数年の諸物価の値上がりが、家計を直撃している。2年前まで、50キロの米袋が850から900ペソで買えたのが、今は倍近い1500ペソもする。極貧家庭では、ちょっとした値上げが死活問題になるのだ。
 ミンダナオ子ども図書館では、7.5ヘクタールの水田を持ち、籾米の値段で米を供給しているから良いようなものの・・・今年の5月から9月の収穫まで米が底をつき、市販の米を買わざるを得なくなり、急きょ、みんなで芋やバナナを食べて米の消費を押さえることにしたことは、すでに書いた。
 それでも、MCLの毎日の食卓には、米が三度出てくるだけでも、彼らには贅沢なのだ。

 そう考えれば、学業を続けたくとも、例えスカラシップを出してもらっていても、学校を泣く泣く停止して、一家がたべていくための手伝いをする方を選ばざるを得ない子どもたちの状況は理解できる。例えそれが、小学校の女の子であったとしても、両親が働いている間に、小さな兄弟や赤ちゃんの面倒を見ることも、労働の一部なのだ。しかも、大概の家族は多産で、平均して7人の子どもが居る。
 こうして、数名の子たちが、スカラシップからこぼれていった。支援者には、申し訳ないのだが、本当の極貧の子たちを学校に行かせてあげるためには、授業料だけではとうていだめで、ミンダナオ子ども図書館では、高校生には月に500ペソのお小遣いをだして、学用品を買えるようにしているが、それでも無理なことが多々ある。

 エミリーは、それを知っているものだから、こっそりとMCLを抜けだして、働いている両親の事を案じて帰ったのだ。
 それがわかった時、即翌日、わたしたちは朝のミィーティングでこの件を話し合い、とりあえず現場にスタッフが向かった。エミリーは成績も良いし、口数は少ないけれども素直なよい子だ。そして、スタッフが迎えに行くことで、親も納得し(親だって子が学校に行くことを望んでいるのだから)夕刻MCLに戻ってきた。 わたし自身は、キダパワン市内の貧困地域のスカラー探しに出ていたので同行できなかったが・・・
 今日、高熱を出して学校を休んだ、同じ地域のジュビリーやメリーアンなど子どもたちが、2ヶ月の夏休みの間に、なぜ見る影もなく痩せて帰ってきたのかが、今ようやくわかった。十分な食物が無かっただけではなかった。出稼ぎのサトウキビ刈りや、山の薪拾い(業者に売って日銭を稼ぐための・・・)毎日激しい労働をしていたからだ!

 夕刻、帰ってきたエミリーは、わたしの姿を見ると、少し恥ずかしそうに、そして本当にうれしそうに微笑んだ。
 やはり、本当は、学校に行きたかったのだ。


6月17日(水)
 筋ジストロフィーのアーリーンが40度を超える熱を出した。
 他にも、メリーアンとジュビリーが、38度の熱で昼から学校を休んだ。
 
 ご存じのように、筋ジストロフィーは、年齢と共に筋肉が犯されていき、最後は内臓の筋肉まで機能しなくなり死ぬ病気だ。治療の方法はない。MCLには、アーリーンの兄弟、アリエルとベンジーが同じ病気で、ベンジーのみはかろうじて松葉杖で歩行しているが、他の二人は車いすだ。
 この家族は、マノボ族で、本当に山奥の小さな集落で見つかった。川を渡り、谷を越えて、かろうじて4WDが行き着く谷間。その様な村の竹の家で、歩行も困難な三人がどのような惨めな生活をしていたか・・・想像がつくだろう。見つかった時、アーリーンは、体を引きずるようにして、陰へ陰へと隠れようとした。光を恐れる小動物のように。

 彼らが不治の病である筋ジストロフィーであることがわかったのは、ダバオの医者に診せた時だ。ショックだった。何よりもこの病が不治の病で、年齢と共に進行し、やがて死を待つしかない事を知った時は、どうしようかと思いあぐねた。ミンダナオ子ども図書館で引き取ることを躊躇したくなる理由はいくつもあった。
 スカラシップをあたえても、それがどのように役に立つのか?それ以前に、歩けない子をどのように面倒を見たらよいのか。車いすに乗せるとしても、誰が学校まで引いていくのか?大きくなったらどのように面倒を見たら良いのか?などなど、もともと身障者の施設や介護の知識もなく(今も無いが)、その様な施設をやることも、興味すら持ったことが無い私が、責任を持って引き受かられるのか・・・ しかし、山の小屋のあの惨めな生活の中に、知らぬ顔して放っておく事は出来なかった。見てしまった以上。治療を通して関係してしまった以上は・・・・
 とにかく、MCLに引き取るためには、車いすが無くてはならない。幸い、ノノイ君というポリオの若者がいたので、多少の経験はあったし、彼のために階段の無いスロープの家を建てていたので、先のことはその時になったら考えることにして、思い切って引き受けることにした。

 あれから2年。車いすは、他のスカラー達が毎朝引きながら、手も足も萎えている、そのわずかな力ですがるようにして、それでもアーリーンは小学校を卒業し、ベンジーもアリエルも高校を続けている。
 驚くべきは、彼らの顔の変化で、想像できないほど明るくなった。
 みんなで協力して生活していけば、専門的な介護の知識など無くても、かなりの事は出来るのだ!

 しかし、40度の熱を出しているアーリーンを見ていて、胸が痛んだ。
 どうにもならない肉体がそこにはあった。
 人間は、何故生まれてくるのかと考えた。私だって、あと20年もすれば、年老いてどうにもならない肉体を引きずり、歩くことも困難になるかもしれない。この様な重荷となる「肉体」を、何故帯びて生まれてくるのか?そして、人々は、赤子の誕生を何故喜びとするのか?それは、肉を牽きづりながら歩かなければならない、重荷を背負った運命の始まりに過ぎないのではないだろうか。
 アーリーンのように、進行性の病の場合は、長くて30代だろう。次第に動かなくなっていく肉体、結婚も出来ないだろう人生。今は、ミンダナオ子ども図書館で私たちが面倒を見ているが、将来はどのように生きていくのだろうか?
 
 そうした事を考えた時、肉体の不条理の中に心が深く沈み込み、狭い病室の片隅で鉛のように重い午睡のなかに埋もれていった。酸素吸入バルブの横で。
 かすかな救いとして浮かんだのは、ミンダナオ子ども図書館にいるときの、アーリーンのうれしそうな微笑みだった。僕はそのほほえみが大好きで、良く彼女の横に座りながら、下の芝生で遊んでいる子どもや若者たちの姿を見るのだった。
 彼女は、そのほほえみで、周囲を幸せにしている。それだけでも大きな存在意義を持って生まれてきたのではないだろうか・・・と、ふっと思った。


2009年6月16日(火)

時々、激しい疲れが午後になって、重い石車の軋みのように、頭と体を轢いていく。
去年の8月からのピキットでの戦闘。その後の激しい緊張が、血の凝りのように脳髄と背骨とに留まり、気がつかなかったものの、氷雪のように肩から頭にかけて溜まっていた。
 戦闘は、2月あたりで多少収束に向かい、3月から5月まで、ミンダナオ子ども図書館にやってきた新たな若者たちの対応に追われていたが、6月の新学年が始まると同時に、少しずつ南に押し流された北極の氷山となって溶け出し始めた?のかもしれない。
 偏頭痛と、極端な脱力感と、夢を交えた重い午睡が、突然襲い、車の中であろうと、山に訪ねた家の竹の床であろうと眠りが襲う。
 トラウマ状態は、確かにあった。少しの物音でも、戦闘を思いだす物があると緊張する。強風のあえぎや、ヘリコプターの爆音。今でも国道で会う軍用車。しかし、その重いトラウマが、ある時次第に氷解するとき。確かに久々に虫の音が耳に聞こえてくる。普段もいつでも、虫は鳴いているのだが、ついぞその様な平和な光景を忘れていたのか、シャットダウンしていたのか・・・・
 まだ本当の回復までは、数ヶ月はかかるだろう。

 毎朝のスタッフとのミィーティングで、若者たちへの米の供給がテーマにあがった。
 一日で50キロの米袋が消費される。
 水田からの籾が全部消費され、9月の収穫まで待たなければならない。こうなると、市場で米を買うことになるが、とにかく高い。9月までのりきるために、若者たちに、農地にカサバ芋やサツマイモ、食用バナナを植えてもらい、それをおやつに食べることでお腹を満たし、そのあとで、夕食を食べることに決めた。米の消費を極力抑えるためだ。
 まるで、戦中の配給制度のようだ。確かに、戦闘はあるし、世界経済も良くないので、その影響がミンダナオにも及んでいる。
 私たちは、まだ米が食べられるだけましだが、山のマノボ族や貧しい多くの家族は、米どころか、三食まともに食べられていない。
 4月5月の夏休み(こちらではこの時期が夏休み)に、里帰りしていた子たちも、次々と戻ってきたが、あれだけふっくらとしていた子たちが、見る影もなく痩せて戻ってきた。やはり聞くと、2ヶ月の間、家ではほとんど食事らしい食事をしていない。これが現実だ。

 体力が弱っていたせいだろう。次々と高熱の子たちが出て、18名以上が熱と頭痛と腹痛で治療を受け、6名が入院した。
 これを書いているのは、夜で、気まぐれな地蛍の漫遊の向こうから、熱帯の空気を押しつぶしたような、嗄れた虫の音が聞こえてくるが、それに混じって部屋から、ときどき咳をしている子たちの乾いた音がする。
 他にも入院患者が立て続けに出て、すでに8月までの医療予算を消費してしまった。
 治療を受けられるだけ、マシなのだが・・・