ソンディ・テストの全貌

富樫 橋

およそあらゆる心理テストは、「人間の心の状態を測定する道具」であると定義することができる。それならば、測定しようとする「心の状態」は、テスト製作者の意図によって種々異なってくるのは当然である。つまり、テスト製作者が関心を抱き、測定しようと欲する心の状態というものは、彼の考えの基礎にある「心の構造」の内容によって全く異なってくるのである。

それゆえ、現在、いろいろな心理テストが存在し、使用されているが、それらのテストが測定しようとするものの内容の違いは、製作者が個人的に依って立つ「心の構造の概念」、すなわち「心理学」ないし「思想」の違いから生まれてくるのである。しかし、いかなる理由からか、この「依拠心理学」ないし「依拠している思想」を明確に表明したテストは極めて少なく、あっても極めて曖昧である。1)筆者がなぜこの点を強調するかと言うと、思想のないところに構造は生まれず、構造のないところには測定すべき確固とした物差しも生まれないと思うからである。したがって、思想なき心理テスト、心理学に基づかない心理テストは文学に過ぎない。したがって、思想なき心理テスト、心理学に基づかない心理テストは、文学に過ぎない。

また、ほとんど全ての心理テストは、それぞれ独自に考案された「刺激材料」を設定している。そして、その刺激材料を被検者に示して得られた反応「一次情報(言語,数値,記号など)」を、製作者が考えた「心の構造」に合わせて「二次情報(言語など)」に翻訳する。その後でそれを解釈し、製作者が推定しようとする「心の状態」を、説明・診断するための「判定情報」に変換するという構造をもっている。

このような心理テストにおける、テスト結果の解釈・判定体系について、利用者が注意すべき重要な点は、「刺激→反応の因果的直接性」と、得られた結果の「解釈の単純性」である。なぜなら、前者は、間接性の要素が混じる程、後者は、複雑さが増える程、客観性が希薄になるからである。客観的でないものは科学的ではなく、普遍性がない。普遍的でないものは、多くの心理学徒の共通概念・共通言語の一部として利用することができない。

したがって、我々はどんな心理テストでも、この因果的直接性と解釈単純性の水準を、「テストの妥当性」とともに考慮しておく必要があると考える。

さらに、測定の対象である「心」は、瞑想のような特別な状態にある場合を除き、常に絶え間なく流動し、決して固定することはない。それゆえ、全ての1回法テストは、原理的に、「風邪をひいた受験生の失敗」と同じく、普段の精神状態とは異なるテスト結果を示す可能性が強いのである。とくに何らかの緊張状態があるとき、被検者の常ならぬ心の状態を一般化し固定化して理解してしまう危険性がある、ということに留意すべきである。要するに全ての1回法テストは、人間の精神や魂を測定しようとするにはふさわしくないのである。

次は、「意識テスト」と「無意識テスト」の違いの問題である。あるテストが、刺激にたいする被検者の意識領域の反応を予想したものであれば、それは単なる意識テストである。それに対して、特別な無意識の領域の反応を得るために、材料や方法が吟味されたものは、無意識テストと呼ばれる。

ここで、無意識の内容を把握するテストとして知られている、代表的な二つのテストを比較しておこう。

                       代表的な無意識テストの比較
========================================================================
Test       刺激材料   依拠心理学  1次情報  2次情報  3次情報  4次情報
                        方  法
========================================================================
Rorschach  インクの   知覚心理学?  言語     言語の    記号     心理的
 Test      染み        (  ?  )               意味を              解釈?
(1回法)              印象の表現             解釈
------------------------------------------------------------------------
Szondi     衝動病     衝動心理学    記号    衝動病理   −−      −−
Test       患者の顔    ソンディ             学的解釈
(10回法)             好き嫌い選択
------------------------------------------------------------------------

ソンディ・テストは、個人的無意識、集合的無意識、遺伝する家族的無意識の、全ての無意識の領域の反応を、「衝動心理学」という特別な心理学理論に基づいて明確に意識し、意図して作られた。それは、極めて「因果的直接性・解釈単純性」に優れた10回法のテストであることが上表から読みとれるであろう。ソンディ・テストは、言葉による陳述を求めないので、いきなりロールシャッハの4次情報に相当するものが、2段階で得られるのである。ここで、ソンディ自身の言葉に耳を傾けることにしよう。

1946年9月、ソンディは、「実験衝動診断法」の日本語版への序文で、次のように語っている。

ソンディテストの本質

『このテストは、25年の歴史をもつものであるが、この比較的短い期間に、既に6ケ国語、即ちハンガリー語、英語、スペイン話、フランス語、イタリー語およびポルトガル語に翻訳された。

さて今回、このテストのテキストが佐竹隆三博士により、日本語に翻訳されることとなった。これによって、このテスト施行とその心理学とが、アジア大陸において応用されるという、まことに喜ばしい可能性が与えられることになる。

広島の老教授(日本人として最初にL.Szondi博士を訪れた、広島大学教授古賀行義博士)の見解によれば、東洋の民族固有の世界観と我々の「運命心理学」の学説との間には、極めて大きな近似性が認められるということである。

このテストが四分の一世紀の間に何故にかくも広範囲に普及し得たかという理由については、我々はこのテストが出現した当時よりも、今日もっと明瞭に述べることが出来ると思われるので、ここに簡単に言及しておきたいと思う。

1) 我々のテストは言語テストではなくて、声なき選択テストである。そしてその選択の結果は、8つのファクタを伴う衝動体系の中で印をつけられる。このような事情は、正常な衝動生活や自我生活からの偏倚(かたより)を、直接的に可視的なものにすることを可能にするのである。

あらゆる言語テストには、このような直接性が欠けている。というのは、言語テストは、言語表現による応答を----いわば夢の場合とほぼ同じように----まず「解釈」しなければならないからである。そしてこの言語表現を意義づけることによって、始めて人は原発的な精神的経過----例えばサディズム、同性愛、癲癇、ヒステリー、緊張病型分裂病、妄想型分裂病、欝病、躁病等----を推論しようと試みるのである。これに反して、このソンディテストでは、あらゆる前述の如き偏倚が直接的に可視的にされる。

2) このように、我々のテストは一種の選択テストである。だが、選択は常に運命であるから、人々はこのテストを施行することによって、単に現実の臨床診断を確定し得るだけではなく、その個人の遺伝素質の中に起り得べき可能な実存形式として存在する、あらゆる潜在的な運命可能性をも確証することができるのである。かくして、系列的なテスト施行(10回法)の研究によって、被検者の過去、現在及び未来をくまなく照らし出すことができる。

3) このような実存可能性を確証することは、又被検者の予後推定や、どの治療法が最も適しているかを決定することにも役立つのである。それ故に、このテストは、犯罪学、精神医学、職業相談、作業療法及び精神療法等の領域に於いて、特別な応用とその意義を見出したのである。

4) このテストは、個人の現存の、マイナスの運命可能性および隠されたプラスの運命可能性(2を、可視的なものにするものである故に、治療家は、危険性をもたらすような実存形式をもった被検者を、別の他の実存形式に取替えることができ、かくして社会や個人を、このような危険性から守ることができるのである。

このテストの施行に際して、主導原理として、次のような命題が我々を導くに違いない。「どんな人間でも、ただ1つの運命だけしか持たないという人は存在しない」何故ならば、個人の運命は常に多くの実存可能性の総計だからである。

そしてこの多くの実存可能性の中から、その個人や彼の治療家が1つの可能性を選択することが出来るのである。そしてこのテストは、まさにこのような様々な運命可能性を可視的にし得るものであり、ここに他の種々のテストとは異った、このテストのもつ特別な役割が存するのである。』


注1) ロールシャッハもこの点については、知覚実験であると言っていたそうである。(「ロールシャッハ・テスト入門」,岡堂・矢吹著,日本文化科学社、1976, P.2)
注2) マイナス、プラス は著者が補足。


以上のソンディの説明から、ソンディ・テストが、単に現在の臨床診断を確定するだけでなく、遺伝素質の中に潜在する実存可能性の情報が得られるので、被検者の過去、現在、未来の情報、予後推定や、最適な治療法の選択が得られることが理解されたと思われる。しかもその解読法は、2、3のコツをつかめば、誰でも容易に修得できるものであり、決して難解ではない。


テストの手順

ソンディテストの根本原理は、簡単な衝動的選択行為の解釈である。

テスト施行者は、8枚6組の顔写真(3で構成された「テスト図版」と記録用紙を用意する。そして、まず第1組の写真から被検者に示し、8枚の人物の顔の中から、最も好きな(共感できる)人物の顔を2枚選ばせる。次に最も嫌いな(共感できない)顔を2枚選ばせ、更に、残ったものの中から嫌いな顔を2枚選ばせ、記録欄に記入してゆく。


注3) これらの写真は、いづれも重篤な、明瞭な形の衝動疾患に罹患し、その病歴および臨床診断が正確に知られている人物である。これら患者の多くは、遺伝学的にも充分に研究されている。


テスト図版(第1組)

<第1組 テスト図版>

この図版を見て、好きな顔が1枚も無く、嫌いな顔も全く無いという場合があるも知れない−と考える人がいるかも知れない。だが、それは理由がない事が証明された。ある被検者が最も好きと選んだ写真が、別の他の被検者には最も嫌いとして選ばれる事実を、我々は殆んど毎日のように経験している。

<1回法シート>

人物の選択からプロフィル作成まで

<テスト施行法>

以上のテスト手順を追って、プロフィルを作るために判定表を見れば、8種の衝動領域に関して、被検者が抱いている無意識的な興味と関心の状態が、共感できる写真と共感できない写真の選択の量によって規定されていることを理解するであろう。それらの個々の結果は、衝動プロフィルとして、グラフおよび記号の両方で表現される。

この衝動プロフィルは、人によって全く異なり、千差万別である。普通、数千人の衝動プロフィルの中で、二つのプロフィルが同じであることは、極めて希れである。しかし我々は、ほとんど同じであるような二つのプロフィルを、一組の双生児で見出した。このことは、この方法が、遺伝子生物学的反応に深く関係している事実を証明しているのである。(第35図参照)1).2)

また、病人、健康人および性格がひどく異る個人の衝動プロフィルを比較した研究で、プロフィルの「機能分折」を行うことに成功したとき、このように簡単な選択反応が、運命診断学に非常に役立つという、予期しなかった成果を得たのである。

テスト施行に関する注意事項

1。人間はすべて自己の中に、多くの衝動運命可能性と自我運命可能性とをもっているものであるから、我々はこの基本的テスト施行を、種々異った生活状況(家庭,学校,職場など)において何回も……できるだけ10回……繰返さなければならない。

2。また、写真を選ぶとき、被検者をあまり長く考え込ませてはいけない。もし彼が直ちに選ばないような場合には、早く選ぶように、またあまりあれこれ思案しないで選ぶように促すのである。

もし被検者が選択の前に、この写真は全部、嫌いであるという場合には……このようなことはしばしば起るものだが……、説示と記録を次のようにする。
「嫌いな人たちの中でも、最高に嫌いな写真を選んでください。(×)」
「その次に嫌いな写真を選んでください。(ハ)」
「残ったものの中から最高に嫌いな写真を選んでください。(/)」

3。知能の高い被検者の場合にも、共感できない写真の選択から始めると良い。

4。だが、記録はこれだけで済んだのではない。被検者から分析的な治療を依頼されていない場合でも、別の用紙に、できるだけ詳細に臨床所見、確かめられた性格像および被検者の生育歴、既往歴等を記入することが、心理学徒やカウンセラーを目指す人にとって、学習上のプラスになるであろう。勿論、プライバシーに関する充分な配慮が必要である。

もし、テスト施行者が、被検者から、何らかの分析的治療を依頼されている場合、既往歴は被検者の陳述内容を簡単に総括するだけではなく、家族からも、もし被検者が入院したことがあれば、その病院からの情報も得るべきである。その際、とくに家族研究に重点が置かれ、しかも遺伝趨勢的情報が重視される。もし被検者の家族が精神病院で治療を受けたことがあるという場合には、その人の病歴(単に診断名だけではなく)をも手に入れることが必要である。

そして、テストの施行は1〜2日ないしは1週間以内に繰返され、できる限り 10回反覆しなければならない。また同じテスト器具でなされるべきである。

5。周期的(発作的或は循環的)な疾患(例えば癲癇、ヒステリー、欝病、躁病)の場合には、テスト施行を発作の直後、発作の前及び発作のない中間期に実施して、何回も繰返すことは非常に有意義である。

発作的疾患に施行された研究は、発作ないしは循環の生物学的及び心理学的プロセスに於ける、予期しなかった程の深い洞察を与えてくれる。このような場合の系列テスト(10回系列)で行われた衝動プロフィルは、まさに映画のフィルムのように、被検者の中では、いつ、いかなる危機的な衝動欲求が現れ、それが次第に充満するのか、また、その衝動欲求が、いつ、どんなふうに極限の飽和状態に達し、いつ0になるのかという変化の様子を示すのである。

6。前精神病状態にある患者に系列的に行ったテストは、とくに大きな意義がある。個々の一つ一つの衝動プロフィルが、例えば分裂病プロセスの、ほとんどあらゆる位相時期を余す所なく記録し、かつ、次の位相を予測することさえ可能である。それゆえ、このような知見は、この前精神病状態にある患者が、いつ精神病院に収容されねばならないかをも、暗示するのである(第38図参照)。

7。可能な限り、被検者の両親、兄弟姉妹、友人及び敵をも、衝動診断学的研究にゆだねることを逸してはならない。とくに被検者が愛している人、憎んでいる人、或は理想の人とみなしている人、および軽蔑している人などの衝動プロフィルは極めて興味深い。親戚、友人、敵の衝動プロフィルの比較的研究は、愛情選択や友人選択の衝動機制における洞察を与える。これら被検者をとりまく愛情対象、憎悪対象、理想対象、軽蔑対象等の衝動プロフィルはまた、社会的集団や階層の構成、個人から集団への結びつき、つまり「集団帰属」ということに強い影響力があると思われる。この領域はまだよく研究されていない衝動過程であるが、その構造解明について、深い洞察を与えてくれるのである。

テスト解釈の基礎

衝動プロフィルは、前景、理論的背景、実験背景の、3種類で成り立っている。

1。前景プロフィルは、48枚の写真の中から12枚の最も共感できる好きな写真と、12枚の最も共感できない嫌いな写真を選ぶことによって、テスト時における挿話的な現実との関わりや反応、日常的な性格の無意識的な表現、素質的・恒常的な衝動の強さで人格の前景に出現する衝動活動、および自我機能を表現するのである。しかし、この前景の衝動傾向および自我傾向は、人間の全体性の半分だけを 取出しているのである。そして、この半分の人格のプロフィルは、前景プロフィル、VGP(Vordergrundprofil)と呼ばれる。(これは○印と×印の選択結果である)。

               S         P      Sch          C
----------------------------------------------------------------
             h   s     e    hy     k    p     d    m
================================================================
VGP       0   ±     −   −     −    +     ±    −
----------------------------------------------------------------
ThKP     ±   0     +    +     +     −     0    +
----------------------------------------------------------------
EKP       −!  0     −    φ     +     −     +    +
----------------------------------------------------------------

2。では、あと半分の「背景人格」はどこに隠れているであろうか。

背景人格には二つの種類がある。上の表のVGP欄に、先ず前景人格がプロフィルとして得られたとき、その反対の記号として背景に追いやられた半分の人格プロフィルが得られる。これは前景に対して完全に正反対な人格であり、互いに補償しあうものであるから理論的補償背景プロフィル、ThKP(Theoretische Komplement-profil)と呼ぶ。3。次に、二次的な共感・非共感の選択結果(/印と・印)は、理論的なものではなく、被検者が実際に選択したところの、背景人格すなわち実験的に得られた背景人格である。これは、理論的背景と部分的に一致する場合もあり、しない場合もある。こうして得られた第3番目のプロフィルは実験的補償背景プロフィル、EKP(Expe-rimentelle Komplemet-profil)と呼ばれる。

前景人格VGPと背景人格(ThKP・EKP)の力動を合わせて読むという弁証法的解釈法は、他のテストには全くない、ソンディテスト独自の解釈法である。その理論的解説は、別の項で詳述することとして、ここでは最も初歩的な「前景プロフィル解釈の基本」を、堅苦しい解説ではなく、実験衝動診断法を翻訳して我々を導いた、佐竹隆三博士の肉声で提供することにしよう。これは筆者が録音し、テープ起こしをしたもので、当時の大正大学におけるソンディ研究会は、このような雰囲気で行われた。なお、この講義内容の基本的な教授法は、チューリッヒのソンディ研究所におけるセミナー内容と全く変わらないことに留意されたい。

ソンディテスト解釈のエッセンス

本記録は大正大学々生相談室における佐竹教授の講義記録である。

第1回 昭和53年5月13日(月曜)

ソンディ・テストの実際の解釈・分析のエッセンスを、なるべく解り易く、能率的に伝えようと思う。この講義は聞いてすぐ役に立つという内容にしたい、そういう講義がひとつ位あってもいいと思う。僕としては型破りですが…理論面は、深層心理学の講義で、きちんとアカデミックにやります。ここでは、ほんとに実用的な、聞いたらその分だけ皆さんの身につくようにしたい。

さて、皆さんの手元に、配ってあるプリントを見て下さい。

========================================================================
症例16:パラノイド        年齢:44歳 職業:時計工
------------------------------------------------------------------------
1948
           S    P    Sch    C
---------------------------------------------------
1        +  +    ± −  0 −  + ±
2        +!!−    0 −    0 −!  + 0
3    +! +  − −!  0 −  + ±
4        + ±    0 −!   0 −    + −
5        + ±    0 −    0 −    + −
6        + ±    + −    0 −    + −
7        +! ±    0 −    0 −    + −
8        + ±    + −    0 −    + −
9        + ±    0 −    0 −    +! −
10        + −    + −    0 −    +! −
---------------------------------------------------
狽O      0 0    5 0    10  0    0  1
煤}      0 6    1 0    0  0    0  2
TSQ    0  6    6 0    10 0    0  3
LAG      6        6        10        3
---------------------------------------------------
衝動構造式:             0
                       k
                         10
              ----------------------------------
                 ±      0      −
               s   e   m
                 6       6      3
              ----------------------------------
                 +!     −      −!     +!
               h   hy   p   d
                 0       0       0       0

潜在比:
            Schp−      Phy−   Sh+     Cd+
         ーーーーーーーーーーーーー:ーーーーーーーーーー:ーーーーーーーーーー:ーーーーーーーーーーー
       10          6          6         3

衝動範疇:Schp−単一危険性範疇
------------------------------------------------------------------------
                                   *
========================================================================
症例17:欝を伴うパラノイデ・シツォフレニ   年齢:38歳 職業:主婦
------------------------------------------------------------------------
1946
           S    P    Sch    C
---------------------------------------------------
1        0  +    ± 0  − −  +! ±
2        +  −    + 0    − −   + ±
3    +  −  + −   0 −  + +!
4        + −    + −    0 −    + −
5        + −    + −    0 −    +! −
6        0 −    + 0    0 −    +!!±
7        +  −    + 0    − −    +! −
8        + −    + −    0 −    + ±
9        + −    + −    0 −    +! +
10        + −    + −    − −    +! ±
---------------------------------------------------
狽O      2 0    0 4    6  0    0  0
煤}      0 0    1 0    0  0    0  5
TSQ    0  0    1 4    6 0    0  5
LAG      2        3        6        5
---------------------------------------------------
衝動構造式:     0       ±      0
               k      m      hy
                 6      5       4
              ----------------------------------
                 +
               h
                 2
              ----------------------------------
                 −      +!     −      +
               p   d     s    e
                 0       0       0       1

潜在比:
            Schp−     Cd+    Pe+     Ss−
         ーーーーーーーーーーーーー:ーーーーーーーーーー:ーーーーーーーーーー:ーーーーーーーーーーー
        6          5          3         2

衝動範疇:Schp−、Cd+ 2等価範疇
------------------------------------------------------------------------

この2つの症例は、「衝動病理学」の16番のパラノイド症例と、17番のデプレッシベ・パラノイド・シツォフレニ、つまり、妄想型分裂病の患者の所見と、抑鬱が加わった妄想型分裂病の患者の所見です。どちらも前景像だけ取り出したものです。これはソンディのトリパトロギーという教科書の、263頁と264頁のプロフィルをプリントしたものです。

まず、いきなりこういうものを手にして、これをどういう風に分析・解釈するかということですが、まず、パっと見た時に、見当づけというか第一の手続きとして、『!』のついたものに注意することが大事です。

これは、非常に強い欲求緊張を表しているという意味なのです。

これは+!も,−!にしても、こういう感嘆符号(イクスクラメーション・マーク)のついたものは、非常に極端な反応です(量緊張または衝動過圧という)。

こういう極端な反応はどういうことかと言うと、テストでは、6組8枚の写真の中から2枚好きなもの、2枚嫌いなものという風に選んで貰って、8枚の写真つまり8個のファクターのどれか1枚が選ばれるので、前景で選ばれなければ背景で必ず選ばれる仕組みになっています。

今日は、話を簡単にするため、前景だけにしぼって話をします。

要するに或る特定のファクタ、たとえばh、1番先に出て来ますけれども、このhというファクターに関して、いくつ好きかによって、図のようにプロットされます。

ここで、あるファクターが1組から6組まで分かれていますけれども、どの組からもこのhファクターが選ばれるという可能性もあります、これは極端な場合ですが。勿論、選ばれる場合、好きとして選ばれるときは+、嫌いとして選ばれるときは−になります。とに角、プラス6〜マイナス6までの枠を確保しておけば、起こりうべき、あらゆる反応がここに描けるようになっています。

そして、3の所で線を引きます、プラスもマイナスも。

  6------
    +!!!
  5------
    +!!
  4------
    +!
  3------ ←平均
    +
  2------

  1------

  0------

−1------

−2------

−3------ ←平均
    −!
−4------
    −!!
−5------
    −!!!
−6------

0を中心として、1番極端なのが6です。ここで、3までのところは、中等度の弱い反応としてとらえます。プラス反応、マイナス反応の違いの判定の仕方につ いては、いずれ機会を改めて説明しますが、今日は、強い欲求反応についての講義にしぼることにします。さて、6枚の写真のうち、3枚まで選ばれたということは、半分ですから、好きと選ぼうと、嫌いと選ぼうと、まあ、中位の、まず正常な普通の反応ということができます。ところが、半分より1枚多い、4枚の場合は、ワンステップだけ、普通の、平均的な人よりも非常に好きだ、という傾向が強いということになります。だから、3よりも、ワンステップ強いから、+!という感嘆符をひとつつけるのです。このようにして5枚好きだという時は+!!、6枚の場場合は+!!!となり、同様にマイナスの場合も−、−!、−!!、−!!!と表現します。従って、最も極端な反応は『!!!』で、これは最高度〈マキシマール〉に強い反応だということを意味します。だから、+!!!や−!!!が1個でもあれば、非常に強い欲求があるなと、驚く必要があります。

普通は、どこで線を引くかと言うと、正常と異常という分け方からすると、+!!つまり5であって、これを病的(パトロギッシュ)あるいは異常(アプノルム)といいます。 そして+!や−!の場合は、正常の範囲内でも起こり得るということを憶えておいてください。

しかし、異常といったら、すぐに精神病だと考えるのは大きな間違いで、われわれ正常人でも、ある部分に関しては、人並はずれて異常なところがあるので、一向構わない。人の顔がちがうように、皆、特色を持っているというわけです。

ですから、こういう感嘆符(以下ダッシュという)のついたものが、どこにどれだけちらばっているかということをパっと見た瞬間に、例えば16番の所見だと、2番目、3番、7番とhのところで4回出ているのを見る。この4回というのは、『!!』を2つというふうに数えるからです。

それからhyのところが−!!で2つ、dも2つpもマイナスダッシュが2つあります。こういう強い欲求緊張をともなった反応が、この人の場合は、hプラスという方向、eプラスという方向、それからhyマイナスという方向、pマイナスという方向に出ているということがわかるわけです。

それから、まあ、非常に素朴ではあるけれど、こういう所見を見た場合、まず最初に見当づけ−私たちが見知らぬ外国を旅行する場合を考えますと、めくらめっぽうに歩きまわるわけにはいかず、やっぱり何か、道しるべが必要だと同じように、オリエンティールング、最近、オリエンテーリングなんていうスポーツが流行しているので解ると思いますが、こういう方向づけにこの『!』の反応というのが非常に役に立つのです。どこにこの人の特徴があるのかということはダッシュですぐにわかるようになります。これがまず第一のスタートであります。

要するにダッシュ(!)が沢山出ているところに目をつけろということです。

では、応用問題として17番のプロフィルを見て、パっと気がつくのは何でしょうか?

そうです、dファクターです。dに於て、この人は非常に強い欲求緊張をはらんでいるこういう緊張を過緊張(ヒペルトニー)といいます。

例えばhの場合、eはエロス欲求つまりエロスヒペルトニー、つまりエロス欲求の過緊張ということになります。正しくは、量的に緊張が現れるので量緊張、(クヴァンタム・シュパンヌンク)といいます。この略号はQspという風に書きます。また、衝動過圧とも言います。

したがって、今日、まず第一に憶えてもらいたいことは、「ソンディ・テストをまず最初に見た時、Qspに注目しろ!」ということです。これがテスト解釈の基本ですから、いつも基本に忠実にやらないといけません。

皆さんが、これから色々なことを知って、テストになれてくると、ちょっと生意気になってくる、そうなりそうになっても、いつもQspに気をつけろ! ということを忘れなければ解釈を間違うことはありません。これをすっかり忘れてしまった人が、相当テストに慣れた中級クラスの人にも居ます。

今日は他のことは忘れてもいいから、6枚の写真のうち、平均値の半分、3よりも一段階ずれて、ダッシュが多くついた反応は、特別強い反応なんだから、こういう強い欲求をもつのはどこの欲求なのか、それは+の方向なのか−の方向なのか、+の方向というのはその人がその欲求を肯定していることを現し、−の場合はその逆の否定している場合と、もう一つ、抑圧している場合もある、という風に見る、ここのところをしっかりと憶えてもらいたいのです。

次に、量緊張(衝動過圧)ではないのだけれども、これに非常に近い反応があります。これが、ゼロマイナス(0−)とか、(0+)とか、あるいは(+0)、(−0)といった反応です。反応には、どれだけの種類があるかということは、時間を改めて話をしますが、今日はとても時間がないので、この単一方向の反応にポイントをしぼります。

その前に、原理的なことにちょっとふれます。ソンディは、人間というものは、欲望の世界での基本型は、アンビバレント・アンビバレントの状態(±±)であると言っています。たとえばS(性衝動)に於いては、hファクタとsファクタ があり、根源的人間性は下図のような構造をもっていると見るわけです。

            -----------------
                 S 衝 動
            -----------------
              hファクタ  sファクタ
-----------------------------
    全衝動      ±      ±     根源的衝動像(ガンツ・トリープ)
-----------------------------
     顕在       0      −     テスト時に選択している衝動像
-----------------------------
    (潜在)  (  )  (  )   背景に潜在している衝動像
-----------------------------

とくに人間の誕生時においては、こういう±±(アンビ・アンビ)という全ての反応を本来持って生まれる。この基本型を全衝動(ガンツトリーブ)といいます。そして、長ずるにしたがってどちらかに偏っていく。例えば、h(情愛)ファクタにおいて、個人愛(ソ)と人類愛(テ)を合わせた全エロス・エネルギー(ヌ)が背後に隠れsにおいて、サデイズム(ソ)が隠れ、潜在するという形になって現れるのです。つまり、全衝動の内、( )でかこんだ±+という3つの衝動が隠れて、現実のわれわれの目にみえるものは、sにおける−だけで、hは出てこない、つまり0である、こういう反応が S0− である、ということになる(S0−:純粋マゾヒズムの背後にはSヌソ:エロス・サディズムが潜在している訳です)。

潜在していることをラテントといい、それに対してはっきり表面に出ていることを顕在あるいは顕現(マニフェスト)といいます。このように、ソンディ思想の根本には、こういうラテントとマニフェストという考え方が重要な意味を持っているわけです。われわれの、普通言う心理学−意識心理学や思考心理学などの世界では、人間が意識をもって論じたり喋ったり行動したりする面を取り扱う、たとえば行動主義心理学などは、マニフェストの世界だけを問題にするわけですね。

普通われわれが勉強する学問は、殆どマニフェストなものだけです。外に現れた現象としての、人間の行動や、喋った言葉の内容だけで理解し、判断し、だいたいこんな人だろうと理解する。これが、普通のというか、ありふれたやり方ですね。ところが、人間が人間を理解する場合に、そのおもてに現れたものだけで考えるのは片手落ちであって、おもてに現れるのはほんの氷山の一角であり、10%ぐらいは出ているかも知れないが、残りの90%は水面から姿を消している。この、ちょっと出ているところだけでわれわれがつきあって、相手を理解したと言ったって10パーセントにすぎない。

そうはいっても、人間は不完全だし、とても全部は解らない、半分くらい解れば上等な方でしょう。そうすると、百分の5でもって、吾々は物を言っているわけです。5%というと、よく5%の危険率などと言う言葉があるくらいで、5%解らないと言うなら話はわかるが、5%しか解らないということは95%がわかっちゃいない−これでは、全然わからんのと同じことになります。

だからわれわれは、よく、ものがわかったとか、君の言うことはよく理解できたよなんて、調子のいいことを言っているけれど、実はちっとも解っちゃいないんで、ほとんど誤解だけで生きているようなものです。でも解ったつもりでいるんですから妙なものです。こういう風に考えると、人間が人間を理解する、たとえば相手のために何かしてあげるなんていう時は、実は大変なことなんだということです。じっくり話を聞いて、相談相手になってあげればいいんだ、そういう楽観的な人も居るかも知れないけれども、本当のことというのはやっぱり解らない。それから、うまく伝えるということ、つまり表現能力があって、うまく伝えられる人も居る、能力が乏しくて伝えれられない人も居る。

また、言おうと思っても言えないこともある。言いたくないこともある。あるいは、かっこつけてまったく逆なことを言うことがある。いろいろなことがある。だから言語理解にははじめから限界があって、充分でないわけですね。

ちょっと理屈っぽくなって実用的な話から遠ざかりましたが、要するにこういう隠されたものと、目に見えるものとの2つのものをはっきり区別して、大部分の、3つの欲求が背後にひそんでいて、ひとつだけが出ているのだという反応をはっきり認識することが大事です。こういう反応もやっぱり極端な反応で、ダッシュの反応と劣らぬくらいのものだということです。

Sハ−の反応を、我々はマゾヒズムス欲求、S0+反応をサディスムス欲求と呼びます。サドとかマゾとか、何だか異常性欲みたいに考えるでしょうけど、勿論そういう場合もありますが、多くの場合、S0−は献身、犠牲(ヒンガベ)、S0+は攻撃性(アグレッシヴ)という風に見ます。今、Sベクタだけについて、例としてお話しているわけで、こういうことを学ぶのが本来の目的でないのですが、ただ、こういう極端な反応としての実例として引合いに出したわけです。

例えばS±という反応だと、2つの方向に分かれているわけだから、hの欲求とsの欲求で、ひとつの安定というか、バランスが保たれていますから、2つの欲求でもって、あるひとつのことは指示はするけれども、純粋にマイナスs(Sハ−)に比べると、ちょっと複雑であって、バランスはとれているが、意味づけの難しい反応である。ところが、ひとつだけしか出てない、こういう0−、0+、−0、+0といった反応は、まぎれがないのです。こういう形は『!』ほどではないけれど、その次にはっきりとした強い欲求であるということになります。

こういう反応を総称して、単一傾向の反応(ウニテンデンツ)といいます。

ついでですから、簡単に5つの傾向を説明しておきましょう。

まず、人間の根本的な形態である、全衝動(±±)、その内のひとつの欲求だけがでてくるところの
(1)単一傾向(0−、0+、+0、−0)ここまでは先程来説明したわけです、ところが、
(2)2傾向(ビ・テンデンツ)というものがあります。これはいちばん複雑だからあとまわしにして、
(3)3傾向(トリテンデンツ)これは、ちょうど単一傾向の逆で±+、+±、±−、−±という形になります。それから、
(4)4傾向(クワドリテンデンツ)±±
(5)無傾向(ヌリテンデンツ)00は、前景に出てこないで、みんな背後に欲求が退いている状態です。

すなわち、人間のあり方というものは、ソンディの作業概説によれば、本来、アンビバレント・アンビバレントというガンツトリーブでありますけれども、その全衝動が全部表面に出てくるのが4傾向、これが、ひとつの人間としての存在形式−実存形式であります。そして、ひとつだけが出るのが単一傾向、或いは全然出ないという風に5つのあり方があるわけです。

そこで、単一傾向が4種類、2傾向が6種類、3傾向4種類、4傾向1種類、無傾向1種類で、全部足しますと16種類になります。

次に2傾向について、簡単に説明します。全衝動を2つに分ける場合次の図のように通りに分けることができます。

  A          +  +      B        +|+     C     +  +
  ±±  → ---------     ±± →   |       ±± →  ×
              −  −                −|−            −  −

これをベクタとして書くと次のようになります。

(A) −−、++    (B) 0±、±0    (C)  −+、+−

つまり2傾向というのは、
(a) 水平分割(ホリツォンターレ・スパルトゥング)によって2種類
(b) 垂直分割(ベルティカーレ・スパルトゥング)によって2種類
(c) 対角線的分割(ディアゴナーレ・スパルトゥング)によって2種類
合計6個の反応に分かれます。

このように16種類の反応のうち、ひとりの人間が、昨日−+という反応で登場した人が、今日は−0という反応で登場するかも知れず、明日はどういう反応で現れるかは分かりません。

つまり、同じような反応形式を何回も何回も繰り返して登場すれば、ああ、この人は、ふだんはこういう反応をする人で、たまに違った反応をすることがある、そういう人だということになります。これは数学の確率みたいなもので、100回の内95回までがAという反応だとすれば、この反応は非常に確からしいということがいえます。もっとも5%の危険率で、その人を判断しあやまることがあるかも知れない。だけど、われわれの常識の世界では、7割ぐらいのもので、だいたい、あいつはあんな性格だと言うわけです。ひどい人は5割ぐらいで極めつけてしまう人も居ます。こういう人を一知半解というわけです。

要するにソンディの作業仮説によれば、人間の実存形式は17種類である、それは各衝動ベクタの組合せで出てくる、ということになります。

今日は、まず手始めとしまして、最も大事なことをまとめますと、
(1) Qsp=ダッシュ(!)のつく反応(衝動過圧,量緊張)に気をつける。
(2) 単一傾向の反応に気をつける。
(3) それが重なったら大変なこと。
というわけで、ほかのことは忘れてもよいから今日はこの3点だけは憶えて下さい。

さて、そこで、例として16番のプロフィルの表を見て下さい。

(1)番目の!のつく反応は先程やりましたから、(2)番目の単一方向という点に的をしぼりましょう。この16番のテスト結果で、何が目立ちますか?

パっと見てすぐ目につくでしょう。そうです、kゼロpマイナスが、ずらっと並んでいます。ゼロマイナス・ダッシュというのがありますが、あとは皆、kゼロpマイナス(k0p−)です。これはもう、何といっても、他のところは見過ごしても、いやでもパっと目がつく。このところは、ほかの記号と同じ大きさで書かれているけど、僕にはまるでゴシックの字で書いているように、盛り上がって、この所見を発見して下さいと言わんばかりに、僕の目に迫ってきますね。見た瞬間に、ハッと、軽い驚きで、あっ、この人は他の所は別として、Schのところの、k0、p−で、これは極端な反応だ、それに、2回目は0−!で、極端中の極端な反応を示しているな、これはおかしい、只者ではない、これが1番問題だと、ピーンと来ないといけない。こういう感覚というのが実は大変正しいんです。初心者のうぶな感覚と、プロの専門家の感覚とはまったく同じなのです。

実は、ここに、この人間の秘密を解く鍵が吾々の前に提示されているのだということです。ではその次に目につくのはどういう反応でしょうか? 今のSchほど極端ではないけど、その次に単一傾向という観点から気になるものはといいますと、どこの反応でしょう?

Pです。そうですPベクタ、そうですね、Pベクタの e0、hy− というのが2番目、4、5、7、9番目という具合に、10回のうち半分ある。しかも、4番目は0−!です。

    S          P         Sch       C
 h s    e hy     k p    d m
----------------------------------------------
          |                      |
          |  0  0     0 −  |
          |  0  −      0  −! |
          |    偏執病的核心    |
   辺縁   |   Paranoide Mitte   |  辺縁
          |          ↑          |
               ここに注目せよ!
                      ↓
          典型的−分裂病型−分割
         Typishe Shizoforme spaltung

ここで、核心と辺縁ということ、最初に全プロフィルを見るときの見方を説明します。まず、S、Cの項はしばらく不問に付すことにします。ここは、最初はどうだってかまわない。いま、問題になるのはPとSchだ、というわけで、SとCをシャトアウトして、中のPとSchだけにズームレンズを当て、焦点をあわせて浮き彫りにする。この核心つまり人間の性格の中心部に注目することが大事です。この人の場合は、典型的な妄想型分裂病タイプで、ある1つの観念にとり憑かれて、離れることができない。それがどんなに間違っているといわれても、誰が何と言っても固く信じて疑わない。病的に異常なくらいに、内容がいかに非論理的であっても、その観念の発生根拠がいかに客観性が無くても、訂正不可能というふうになっている。そういうのを妄想というんです。

じゃ、宗教の信仰だって妄想じゃないかと言う人があります。妄想に近いような信仰だってあるかも知れません。鰯の頭も信心というわけで、邪教を信ずる場合もあり、それは妄想としか言いようがない場合がある。すべての宗教が妄想というわけじゃなく、そういう宗教もあるということです。

ここでまとめますと、先程も強調しましたが、単一方向で、しかも!がついている。これは極端さにおいて2重です。!だけでも非常に意味があると言いました。量緊張だけでも大事な所見ですと言った、それに次ぐものとして単一傾向という、まぎれもない欲求だけが前景に出ている反応は非常に強い反応ですよと言った。その2つを兼ね備えているのはこれこそ、まさに、最も注目すべき所見です。これがもし、0−!とか0−!!、0−!!!とかになったら、これはもう、最高度に、言葉をいくら重ねても足りないくらい、異状で異状でしようがない、これこそ正に病的である、最大級の異状である。こういう所見がひとつでもいいです、もしあったら、ピカッと、ダイヤモンドの如く光っているわけです。ところがこれを見ない人がいる。そういう人は、どういう反応が統計的に多いが、例えばこの場合、Sの項の+±が多い、10回の内6回もある・・・・これは、サド・マゾヒズム反応ですが、この人は強い奴にはへつらって、弱い奴には圧力をかけて、ヤクザみたいな、いやな性格だと言う。これは、こういう解釈は成り立つし、そういう特質は持っているかも知れません、だけども、そこのところは問題でないことはないけれども、もつと、まん中の自我衝動のところが、10回とも0−で、誰が考えてもおかしいと、小さいところは間違っても、肝心かなめの、グサッとくるところ、ここは絶対離せないという、キーポイントみたいな所が、人間理解にはあるわけなんです。他の抹消的なところは目をつぶっても、ここだけは目をつぶれないというところ、これはまさに死命を制するような、その人の真の姿というか、そういう状態像である、そこを外すと診断なんていうのはできないわけです。

われわれの人間理解は独断とか偏見はいけませんけれども、理由があって、ここに、こんなにはっきりした証拠があるという時には、ここにまっすぐ、パッとつかむ、あっ、この人のポイントはここだとつかむ。

全然、精神病の学問なんかやらない人でも、ああ、これは妄想分裂病ではないかしら、と思います、何故かというと、こんなにひどい所見が出ています、人格の中心の自我衝動がこうだし、Pのところを合わせまして、ミッテがこうなっています、他のとことは解りませんが、この人はパラノイドではないかと思いますよ、という風に初心者でも診断できるのです。今日の講義を聞いただけで。

皆さんは、こんどこの16番のプロフィルとそっくりの所見を見たら、もう間違いなく、判断できるでしょう。

ダッシュに気をつけろ、0−とか+0とか単一傾向に気をつけろ、それが重なったらもっと気をつけろ、こうなるんです。それでダメ押しをするんです。だから、そういう所見がどこに出てくるか、まず自我に出てくれば、本当に自我が病んでいるということになります。


第2回 昭和53年5月20日(月)

先週の復習をやりましょう。

あるファクターについて、カードが6枚あるわけですが、6枚のうち、半数以上の4枚選んだ場合はワンステップオーバーだから、ダッシュが1個、5枚はツーステップだから『!!』、6枚はスリーステップだから『!!!』、こういう反応は異常だから、強い欲求緊張をあらわす、だから注目しなさいということ。

これに近いものとして0−とか0+とかいった単一傾向、ソンディの作業仮説によりますと人間の根源的形態は±±なんです、そこから、或るひとつのものだけが前景に出ているのが単一傾向であるから特に気をつけなさいということを申し上げたわけです。

しかも、この両者が同時に重なる、例えば0+!とか0−!!は、最も異常である。

また、4枚の『!』と5枚の『!!』の間が一応、判断の目安になるところで、『!!』から上が異常、場合によっては病的と言った方がいいのではないか、と、大体こんな話をしたわけです。そして、とくに、16番のケースにおいては、SとCという人格の辺縁は一応おいておいて、まん中のPとSchすなわち核心部のe・hy・k・pという4つのファクタを見ると、0−!0−!となっています。0−0−は典型的なパラノイドミッテであると申しましたが、それがもし0−!0−!となれば、もっとひどい、こういう所見が10回のうち1回でも出れば、この人は妄想型分裂病という風に診断しても、殆ど間違いないと言ってもよい。

この場合妄想型は、被害妄想です。

e・hy・k・pは、夫々、+、−、±、0、という4つの反応をもっているわけですから、0−0−という組合せが起こるということはどういうことかと言うと、4の4乗、即ち256回テストして、唯1回こういう所見が出るということで、この数学的確率、チャンス・エクスペクタンシィ、偶然の機会に期待できる値が1/256なんです。つまり256人の人がこの部屋に居るとして,外からもうひとりが入って来て、自分の目指す人を探したいと言う時、運が悪ければ256番目に発見することになる、それ程まれなことなわけです。

ところが10回テストして最後に1回出たとすれば256人調べなくても、10人調べただけでも、もう見つかった、5回目に出れば、5人よいし、最初から0−が出れば、256人も居るのに、最初に探し当てることができたことになる……1/256とは、そういう確率なのです。

だから,1番最初に0−0−が出たら、1/10の確率ではなくて、1/256の確率なのだ、と考えなくてはならない、ここで、10回のうち3回も出たなんていうのは、3割ではなくて、ものすごい高い値である、ということになります。10回で3回ということは、200回で60回出るという大変なものです。

ただ、10回テストするうち、

0−0+、0+0−、0−0+、0+0−

という風に0−0−が散らばって出ている場合は、どんぴしゃっと0−0−が出ている場合と違って、妄想型分裂病の決め手にはならないのです。ここの所は誤解のないように。

Aさん、貴女の所見はどうですか?
私0−0−が出ています。

ああ、7番目にちょっと問題がありますが気にしないでいいです。日本人は躁鬱型の人が多いんで、分裂型が出たら、ああ、私は選び抜かれた選良であると、イバッてもいい位のものです。僕なんか残念乍ら全然出てこない。非常に平凡で神経質、強いて言えば神経症的な人間です。以上はこの前の復習です。

さて、今日は、以上のことを受けまして第2の目のつけどころに入ります。

ソンディ・テストは、いつも言いますようにSとPとSchとCという4つのベクタからなり、それぞれが2つの相対立するファクタで現されています。そしてSとCを人格のへり、辺縁部、それに対してPとSchをミッテ、中核、核心といいます。つまりソンディ・テストはヘリのラント(Rand)の衝動危険性、ミッテ(Mitte)は防衛機制、ディフェンス・メカニズム・アプヴェル・メカニスムスを現しています。

この、辺縁と核心の2つに分けて、そのコントラストを見ることが大事であります。これを(2)辺縁核心法解釈といいます。

                      ョ----------辺縁----------イ
                      |                        |
                      S   P    Sch   C
                              |        |
                            カ--核心--コ

とくに、どちらかといえば常にミッテ・核心を、ラント・辺縁より重視するということ、ヘリがどうあろうと、核心が健全であるかどうか、そこでもって人間の値打が決まる、人格の中心部が健全であれば、少々ヘリにおかしなところがあろうと、カバーできるのです。ところが、中がダメになっていれば、それは当てにならない。とくにミッテの中でもワですね、これは自我衝動といいまして、これこそ人格の中心中の中心、即ち、オーケストラの指揮者のようなものですね。要するに自我衝動を最優先的に考えるということです。これが第2の目のつけ所です。

この辺縁・核心のカラミ合いを弁証法的に考察するわけで、正しくはディアレクティク・メトーデ、辺縁核心弁証法といいます。即ち、ソンディ・テストは、辺縁の欲求分と、核心の衝動分との弁証法的な展開がどうなっているか、両者のカラミ合い、そういうことで決まるわけです。それで、どっちから先にやってもいいんですけれども、大事なところは後に残しておくというのが一般の心理だと思うのです、美味しいものは後に残しておく……だから辺縁から先にやるのが普通のやり方です。辺縁のSとCを一緒にやるというのは難しいから、先ずSを見てみる、次にCを見る、そしてSとCを組み合わせて、何が言えるかという風にして、一応の辺縁全体としての結論を出すわけです。

次にミッテは、初心者の方は先ずP衝動のe、hyの反応のパターンを見て、Schの組合せの中からミッテ全体の所見をまとめます。そしてラントとミッテの所見をまとめ、始めてその人格全体を把握することができます。

ソンディ・テストの分析や解釈が難しいということはどういうことかというと、どんな場合でも、常に、Als Ganzes Zusammenbauen(アルス・ガンツエス・ツザンメンバウエン)、 全体として集めて(総合的に)建築する、ここの所見を全体としてひとつのまとまりのあるものとしてつくり上げてゆく、解釈してゆく、これはソンディの言葉ですが、こういうことがなかなかできないんですね。

丁度囲碁の、部分的な局面、部分の最善の手が必ずしも全局的に見て必ずしも最良の手とは言えないことがあり、それが碁や将棋の難しいところですが、部分的なところを犠牲にして、より大きな得がえられるならば、場合によっては呉れてやってもよい、将棋の上手な人は、皆、駒を捨てます、そういうことと同じように、要するに全体として対象を掴むということをしないならば、ソンディ・テストを分析し、解釈する資格がその人にないということになります。

人間を全体としてつかもうという意気込みでアプローチしなければ、どんな場合でも、どんなに心理学や精神医学を知っていても、ソンディ・テストに関する限りは、その人には解らないだろうし、充分に活用できません。これは非常に大事なことですから、くどいようですが、繰り返し言っておきます。

で、多くの初心者、中級の人でもそうですが、陥り易い欠点は、何か部分的な所見、アトラクティブな所見を発見することで、鬼の首でもとったように、部分に引きつけられてしまって、振り回されるわけです。

解釈者が全体を見る立場であるのを忘れてしまって、おのれの姿を見失ってしまう、つまらない所見に振り回される。少し解りかけた頃にこういう危険が待ち構えており、3年やったから俺はできるなんてイバっている人はダメで、普通10年はやらなければ、このテストはマスターしたとはいえないだろうと思います。

その人の能力、努力、経験、反復トレーニングによって3年でできる人も居りますけれど、あまり簡単に考えない方がいい。そんなに大変ならとてもがまんできない、なんていう人は始めから近づかない方がいい。

このプリントみたいな、何歳の人だくらいしかわからない所見で、トレーニングするのを盲当て診断、ブラインド・テストといいますが、これを重ねてゆくことによって腕が段々上がり、目が肥えてゆくようになります。

こういう、人格診断テストというのは、学問的な要素と、芸術的な、鍛え抜かれた芸の力みたいなアチーブメントの要素がからみ合っているので、そこの所が大変難しい。芸だけではだめで、学問的な背景も必要、術だけではだめ、学と術が両方必要です。

さて、Sのところですが、ここでどういう所見がありますか? 一番目につく所はそうです、+!や+!!のあるhです、それがあるということ、それはどういうことですか? その次に目につくのはなんですか?

Sのところのプラス・マイナスが多いことです。

え? プラス・マイナスですって? そういう呼び方は止めなさいと言った筈です! アンビバレントって言わなきゃだめです! +はプラス、−はマイナス、±はアンビバレントと言わなければいけません。

+!h、+!!h とは、どういうことかというと、これはエロス欲求が高まっているということで、エロスヒーペルトニー。エロスというと何かセックスのように考える方がいると思いますが、もう少し広い意味で、情愛欲求−人間の最も基本的な、人が人を愛する、身体的にも精神的にも全部含めて人間らしい欲求なんです。

ある特定の個人に対する情愛欲求が非常に高まって、強すぎる位高まっている、この人は、充分高まって、満足できない位になった情愛欲求が前景に出ている。

s±は、サド・マゾヒズム欲求、即ちサディスムスとマゾヒズムスです。

ここで注目したいのは、16番の S+±において、s+を()にいれると、S+−となり、これが馬鹿に多くなって来ます。+±は3傾向、±は2傾向なんですけれども、この前の時にお話したように、右下がりの分裂様式をシゾ型の分裂病型分割と申しましたが、この人の核心が右下がりなので、それを伏線にしてここのSも分裂病の様式を強めているということがわかります。そういう風に読み取れるといいんです。

この±というのは+と−のどちらが優勢かなんて、この人の場合は言えないんです、殆ど同じ比重で出ていますから。ただ、複雑な反応形式がある3傾向が6回でている、だから、マゾヒズムといってもサドに重みがあるかマゾに重みがあるか、まったく相なかばしているというパターンです。

この人は44才の時計職人(ウール・マッヒエル)で、男の人でサド・マゾヒズムなんていう傾向が出るのは、少し男性的ではなくて、女性ではないけれど、中性的というか若干女性的に傾いていると言えます。

Sのところでは、情愛が強くて、充分満足することができない程高まっているということと、サド・マゾヒズム傾向、受動的消極的な母性的な傾向が、シゾフォルメ・シュパルトゥングの1部分を暗示しているというか準備しているというわけです。Sのところでは、この3つ位しか発見できないです。

Cはどうなっていますか? +!dがまず目につき、C+−の反応が次に目につきます。+!dというのは何かと言いますと、これは、エアベルブングス・ドラング、獲得欲求です。或いはエビゲス・ズーヘン、永遠の探求、バルザックの絶対の探求みたいに絶えず捜し求めている、あるものを自分のものにしたいという、対象を追いかけてゆく、捜し求めてゆくという傾向です。このC+−というのは、ジッヒ・アプトレンヌング、自己みずからを周囲から引きちぎる、離反、(別離)で、コンタクトというのは吾々をとりまく現実・環境・周囲・人々ですから、現実からの離反は孤立、孤立化、イソリールングしているということです。ここで、先程学んだアルス・ガンツエス・ツザンメンバウエンを思いだしますと、このCでも右下がりで、この人は全部シツォフォルメ・スパルトウングになっています。

そのほかに、数は多いがC+±があります。

これは、デプレッシベ・フェアシュテイムング抑鬱感情、この人はコンタクト・即ち現実との結びつき、接触、対人関係におきまして、関係を断って孤独な世界に入りこむ、ひとりぽっちで憂鬱である。だけど何かを探し求めている。ひとつの対象で満足せず、次から次へと追っかけているのです。ここで全体としてみることを思い出して、d+ないしd+!と、Sのh+!を対照して眺めると、さてこれは何だろうという疑問が起きたら大したものです。遠く離れているから、なかなかそういう気が起こらないのですけれども、そういう気を起こして欲しいわけです。いやでも+!、+!!という所見が片方にある、こちらにもある、この2つをまとめたらどういう風になるか、これは常識でも本当はわかることなんです。これはですね、愛情の対象を非常に求めているのです。

そうです。満足できない情愛欲求を、エロス欲求の対象を追求しているということです。これが、最も顕著な場合には、エロトマニー、日本語にすると汚らしい言葉になりますが、色情狂ですか、或いはドンファン、もっとはっきりと、h+!!!、d+!!!になれば、典型的です。しかし、もし貴方がたに、この所見があっても俺はドンファンでは決してない、と言うかもしれません、だけど、極く平凡な平均人というのはそんなものなんです。

だって全然セックスなんて感じないなんてカッコイイこと言ったって、それは嘘です。よほど、僕みたいな年齢になれば淡泊になって来ますが、それは決して健康ではないんです。幾つになってもエロス欲求があるというのはいいことです。すべての原動力ですから。すなわち、この人には、そのような異常性欲みたいなところがあるかどうかは、もっと分析しなければわかりませんが、少なくともこの所見から見るところでは、最悪の場合は色情こう進症、普通の状態では先程言ったような情愛の対象を求めているといえます。そして主観的に不幸を感じているのです。

ここでひとつ、大事なことを教えますと、m±は、どんな場合でも、ほかの所見とは関係なしに、「主観的に不幸である」ということ。この人は10回のうち2回ですから少ないとは言えない。憂鬱であったり不幸であったり、ひとりぽっちを感じている人です。

S±のサド・マゾヒズムは、普通の場合、自分より強いものに屈服し、弱いものに強く出る。あまりいい性質とはいえないですね、強きに屈し、弱きをくじく。清水の次郎長の反対です。今のヤクザも権力に弱く、善良な市民に対して強く当たりますね。だからこの人は、そういうサド・マゾヒズム的傾向をもつ、そして情愛に飢えていて、充分に満足できず、対象を絶えず次々と探し求めて見つからない、それで現在は、非常に抑鬱感情に傾き、主観的には不幸だと思っている、現実の対人関係の接触も円滑ではなくてなんとなく孤立化し、現実から浮き上がっている、外側からそういうことがわかるのです。ミッテは典型的な分裂病ですから、外から言ってもますます分裂病的な人です。

(質問)この人の場合、hのエロス欲求というのは、男女の関係だけではなくて、親子や友人への情愛と考えて良いでしょうか?

(答え)そうです、エロス欲求というのは、非常に広い意味がありまして、性的な、生物学的欲求から、精神的に愛する場合も含みます。この場合、−hという形をとるかも知れないけれども、集合的人間愛もあります。エロスというと、すぐセックスに結びつけないで、精神的な愛、もっと崇高な愛も含めています。

ソンディのエロス、Sベクターのhという考えは、文化欲求なのです。s(サディズム欲求)というのは文明欲求なのです。ここでちょっと文化と文明の違いにふれておきます。カルチュアと、シビリゼィションというのはちがう。文明というのは自然を破壊し、その上に物を作るわけです。自然散歩道は文化的な道で、鳥がさえずり谷川のせせらぎが聞こえて爽やかな風があってといった道、ところがハイウェイのような機能的な、百何十キロで飛ばせる、そういう道が文明的な道です。だからエロス欲求は、そういう文化的なものを産み出す、暖かい情が通いあう世界です。この16番の人はそういう意味で、何も極端な色情狂だと極めつけてはならんのです。

(質問)情愛欲求という概念を、こういう風に広く考えるのは、ソンディ以外の心理テスト学でもそうでしょうか?

(答え)全く違いますね、ソンディのエロス欲求というのは、さっき言った意味をもたせています。他の心理学者は、どういう風に、エロス欲求という概念を使っているか、その人それぞれで違うから、全く別です。そこを区別しないと大変です。自我という概念にしても、ソンディは、ソンディの自我概念、ユングはユングで又ちがいます。フロィトもちがう。そこがわからないと、ソンディの思想がわからないで、いい加減な分析と判断−診断に陥る危険があります。

私の講義は、全部、ソンディ心理学に貫かれている概念で言っていますから、他の心理学者の言っていることと違うかも知れない。一向かまわないですな。

(会話)だから言葉の概念で、共通したものがなくて、その流派によって、或いは個性によっていろいろ違ってくるわけですね、言語概念が統一されてないのが現代の文化状況……一般の固定観念にどうしても引きずられてしまう傾向がありますね。

(答え)例えば、愛なんていう言葉は、非常に多義的で、場合によっては、非常に不吉な言葉でもある…非常に安っぽく使われるかと思うと、最高なレベルで使われる…だから愛という言葉だけでは、何もわからないわけですよ、例えばキリストの愛とか、特に隣人愛とか、無償の愛とか、集合的な人間愛とか、そういう限定をしないと、あまりにも多義的でしょう、だから単に愛で片づけると大変な誤解をまねくわけですよ。だから、どういう愛なのか、正しく伝わるように限定して使った方がいいと思います。少なくとも愛と論ずるときには、特定の個人に対する愛と、広く人類全般にかかわる集合的人類愛というか人道主義的な愛という風に、使い分ける必要があるし、それからエロスの中にも性愛レベルと、もっと心理的な精神レベルの愛と、さらに、仏の慈悲みたいな宗教的な聖なる愛……そういう3つ位の段階があるのかも知れない。いずれにしましても、エロス欲求というのは、一番下の根っこの方はセックスにねざしているけれども、天上の慈悲のところまでつながっているわけで、−hというのは、まさに慈悲の方です。集合的な愛ですね。+hというのは、どこまでもきまった対象がいる、この人が好きだという個人性がある。だけども、人類愛といったって、その人が全人類を愛するなんてことができるかどうか疑問です。たった一人の人間すら愛することができないで、どうして全人類を愛するなんて、カッコいいことができるのか?そういう反問も出てくるだろうし、だから+hと−hは連続したものと考える必要がある。

さらに±なんていうのは非常に複雑で、ある時は個人を、ある時は人類を、ヒューマニズムと個人愛が交錯している。そういう、どろどろっとしたものが愛と呼ばれているのです。愛の営みから、当然、創造・クリエィティブな、例えば子供が産まれるのもそうですし、文化欲求というのも、生産ということと関係があるわけです。ソンディは、はっきりと、文化欲求はh、文明欲求はsファクタと分けて考え、文明というのはサディズム的な、ものをこわすもの、1ぺんご破算にして、新しいものをつくる、人工的なものをつくる、必ず破壊を伴うものとしてとらえている。文化は破壊しないで、あるがままに、あるものを認めて、それととけ合うとか、仲よくなるとか、例えば森の文化と城の文化の違いです。だからhファクタの意味するものは、とってもシンボリックなものです。

ソンディ心理学というのは、単なる生物学的レベルのことだけではなくて、人間学的な、場合によっては、文化社会学的な広い領域にまで浸透しており、含蓄のある意味をもっている。そういう意味で捉えないと理解できない。だからソンディの思想というのはかなり深いので、そう簡単にわかったというわけにはゆかない、よく勉強しなければだめです。

今日は、ラントとミッテという第2の目のつけ所と、ラントではどういうことが言えるのかということで、今Sをやり、Cをやりましたが、ラント全体としてはどうか、例えば+!hと+!dと結びついてエロトマニーという所見もあるではないかというところまで行ったわけですね。その他に、依然として、シツォフォルメ・スパルトゥングの部分現象である、S、Cベクタでも、分裂病的な分割様式が非常にはっきりと印象づけられるということ、ラントつまり人格の縁(へり)に至るまであるということ、これはもう大変なことです。ミッテは今からやりますけれども。 ラントとミッテが対立する場合もありますけれども、むしろ補強し、増強するような、そういう所見の例です。この16番は。

ではラント、核心の解釈に入ります。まず第1はPの所見です、eとhyの2つのファクタです。まず1番目につくのは何ですか、−!hyですか、これが1つの所見、その次は0−と、+−です。いずれにしても右下がりです。−!hyというのは2つの異なった意義があります。

第1はイレアレ・ファンタジー、非現実的な空想、第2はプソイドロギー、虚言・欺瞞です。

このうち、どちらであるかは、その時と場合によって決まります。非現実的空想は、ディ・ドリームのような、行動の世界では何もしないのだけれども、ぼーっとして白昼夢を見ている、部屋に閉じこもって空想を楽しんでいる、そういうファンタスト(空想家)ですね。非現実というのはリアルではない、即ち嘘である、ニセの世界、いつわりの世界ということで関連があるのですけど、空想豊かであるということと、嘘を吐くというのは、ちょっと違うので、異なるパーソナリティといして区別します。0−というのは、パラノイデ・アングスト、偏執性不安、とりこし苦労、心配しなくていいのに心配する、現実に何もないのに、非現実的ということと、パラノィドというのが重なってくる、いずれもリアルではない。

それから+−というのは、一般に善人の所見で、ふつう、アベル・アンスプルッフ、アベル欲求、善意の人で、人がいいというだけです。たった1回だけども、0−!という所見がありますね、これが、特に意味があります。

0−が5回あります、+−が4回で、−−!が1回、この頻度なんかどうでもいいんですけれど、パラノィデ・アングストが10回のうち5回、半分もあるというのはかなり多い。つまり心配しなくてもいいのに心配している偏執性不安がある、それから嘘つき、又は非現実的空想界に遊んでいる、或いは空想界に逃避、この2つがオーバーラップして語りかけてくる。そういうことがPのベクターで言えます。

第4プロフィルのSch自我のところでは、まず−!p、これはプロイェクチオーンス・ドラング、投影欲求ないし責任転嫁で、ものごとがうまくいかないのは自分は悪くないが、周囲が悪い、社会が悪いという風に現実の問題を他に投影・転嫁するメカニズムです。0−はトターレ・プロイェクチオーン、完全投影。すべての責任は外にあるというというのは誰でも持っているもので、イソップ物語の狐の話に、ブドウが食べたいが手の届く所にない、そこへ、ほかの動物がやってきて、狐さん、ブドウに手が届かないんでしょうと言うと、いや、あれは酸っぱいから欲しくないんだと言う、そういう風にブドウを悪くして、とれないということをごまかす。

投影欲求というのは、物事がうまくいかないのは、あいつのせいだ、という所から始まって、もっと進んでゆきますと、あいつが邪魔しているという被害妄想までゆきます。そういう風に解釈しなければならない。0−!なんていうのは、まさに典型的被害妄想ですね。この自我像を見ますと、10回とも全部0−で、完全無欠です、ということが、ミッテ全体で言えるのです。

 e hy  k p
--------------------
 +  −  0 −

こういうのを,典型的なパラノイデ・ミッテといいます。もちろんシツォフォルメなんですよ。で、妄想型の、偏執病的核心と一言でスパッと言うことができます。

更に、シツォフォルメ・スパルトゥング(分裂病型分割)のうち、パラノイド(偏執病)を見出す条件は次の図ようになります。

    s     hy      p      m
--------------------------------------------
                −(!)   −(!)    −

   −     −(!)   −(!)

   −           −(!)     −

このように−pを含んで3つの−要素があれば典型的なパラノィド.4つが全部モなら完全です。3つ以上あれば パラノイデ・カム・シン ドローム、偏執病的櫛症状です。(paranoide kamm syndorom)すなわち、自我を含んで、3つの衝動領域にまたがって、分裂病的な分割様式がある場合には、必然的にこの櫛症状が現れます。

これで、殆んどこの16番は言いつくしました。あとつけ足して、いろんなことが言えますけれども。何か質問ありますか?

(質問)この櫛症候群をもつ人が現実に居るとすると、その人は病気の状態ですか?

(答え)必ずしもそうではないんで、これはまあ、純粋な形で出てますが、この次に、もう少し敷衍して説明します。分裂病者の分割様式というのは、実際に現れてくるのは0−とか+−とかいうだけではなくて、もっと複雑なんです。複雑な形の分割様式は、病院の患者なんかに実例がありますし、正常な人でも、そういう所見をもつ人もかなり居ます、その場合は、読み取れるということで、10回の内3回とか、5回、半分越えたらもう相当なものですね。それで、分裂気質というか、分裂性格というか、病人でなく性格異常というか、型破りという場合は何とも言えないのですが、単一傾向が頻繁に出ることはまずないでしょうが、こんなに典型的でなく、もっと複雑に普通は出ます。でも、あまり1ぺんに沢山だしますと、混乱しますので、今は最初に典型的な純粋なものをよく見て、よく頭に入れておくわけです。こういう典型的なものを10例か20例くらいを頭に入れておくと、物差しができて、初めての所見でもだんだんわかるようになります。


第3回 昭和53年5月27日(月)

今日はシツォフォルメ・スパルトゥングについて、まとまったお話をします。 分裂病型分割、これを図であらわすとこういうことになります。右下がりの分割 ですね。

    S      P     Sch     C
  h  s    e  hy    k  p    d  m
-----------------------------------------
  +\±  0\−   0\−   +\−

  +\−  0\−   0\−   +\±

前回はすべてが0−の単一傾向について話しましたが、この16番の人は、Sが、+±(プラス、アンビバレント)で、sの−の方向に注目しますと+\±いうシツォフォルメ・スパルトゥングをしているわけですね。

C(コンタクト:接触衝動)の所見も、圧倒的に+−で、希に+±でも、アンビバレントのマイナスの方向をとりますと、+\±になるわけです。だから全部\\\\になっているわけです。ですからこのケースは典型的(ティピッシュ)英語ではティピカルと言いますが、典型的なシツォフォルメ・スパルトゥングということです。

まあ、自我像だけが0−という単一傾向で、辺縁が+−でも一向かまわない、それが0−だったらもっとより一層強いわけです。皆様方は現実に、こういう典型的所見に、そう簡単にぶつかることはないでしょうが、教科書ですから、こういう典型的なものをガッチリ見ておくわけです。だいたい0−0−なんてのは、偶然のチャンスから言うと1/256で、256のプロフィルを見て,やっと1回お目にかかるかどうか、という程度なんですね。それがこの人の場合、10回のうち5回ですか、相当出ているのですね、だから、非常に、物凄いもんですね。プロ野球だって、打率3割っていのはそう居ないでしょう。これは3割どころか、5割ですね。このケースを見ますと、第1回のところは++、±−、0−、+±となってます。そうしますとSは++ということでシツォフォルメ・スパルトゥングではなくて、これはアマルガミール、合金といって、同じ方向の++、つまり水平分割の結果起こってくる反応で、これは非常に安定した反応なんですけれども、あとは全部シツォフォルメですね。P±−とC+±から、+−をとりますと、自我を含んで3つが\になっていますね、だから、これはシツォフォルメ・スパルトゥングです。

それから、ついでですけれどもhyが−、pが−、mが−を含んでますから、パラノイデ・カム・シンドローム、偏執病型の櫛症状ですね。この前言いましたね、忘れましたかな? さて、2回目のプロフィルは、Sが+!!−、それからPが0−、Schが0−!、Cが+0、このC+0は、シツォフォルメじゃないんだけれども、Sのところが+−という風にシゾフォルメになっていますね、そうすると、SPSchと、自我のSchを含みまして、3つのベクタにまたがってシツォフォルメ・スパルトゥングが見られますから、このプロフィルもシツォフォルメ・スパルトゥングとして数えられますね。1回目も2回目も。3回目は、同様にして、Sだけはそうではないが、あとは全部シツォフォルメ・スパルトゥング。4番目のプロフィルは,これは全部のベクタがシツォフォルメであります。5番目も同様。6、7、8、9、10番も同様という風になりましてですね、初めの3つは、SとかCとか、どこかにシツォフォルメでないところがありますけれども,自我ベクターを含んで3つにありますからシツォフォルメ・スパルトゥングですね。典型的な、4つの全ベクタに通してあるというのは、第4番から10番目まで全部そうなっていますね、そうするとシツォフォルメでないという所が,3ヶ所しか無いということですよ。 Sの1番と3番、Cの2番というところだけで、あと全部シツォフォルメなんですね、これ程完璧なシツォフォルメ・スパルトゥングというのは、他には見られないですな。その中でとくに皆さんに注意を喚起しておきたいと思いますことは、2番目の所見が、0−0−!となっていることです。だから、ここをワクで囲んで戴きます。これは全く典型的なパラノィドです。

その次が−−!です。あっ、これはちょっとシツォフォルメ・スパルトゥングとは言えないですな。先程の3回目のプロフィルの説明は修正して下さい。SchとCだけですから。

うっかりしてました。3番だけはシツォフォルメ・スパルトゥングとは言えないです。ただし、hy−!,p−,m− という風に、パラノイデ・カム・シンドロームは存在します。

                   S      P     Sch     C
                 h  s    e  hy    k  p    d  m
         -------------------------------------------------
      No.3  +! +  − −!   0 −   + ±

      No.4  + ±  0 −!   0 −    + −

さて、元に戻りまして、4番目の0−!0−と、これもワクを囲んでみましょう。5番目が0−0−、これもワクで囲んでみる、以下同様に7、9番を囲んでみる。こうすると5個が典型的な単一傾向、しかもその内の2回は、!がついている。だから最も典型的なシツォフォルメ・スパルトゥングというのは、K、Pの所見が0−或いは0−!もっとひどい時は0−!!とか0−!!!という形で、場合によっては、辺縁は+−でも一向かまわない、ということなんですね。

次にどの範囲までが、シツォフォルメ・スパルトゥングといえるかということについて、検討しておきましょう。今までのものは典型的なシツォフォルメ・スパルトゥングを見て来たわけですが、場合によっては、こういう典型的な所見が出るとは限らないわけですね。で、どういうものまで入れていいかということを、ひとつまとめておきます。

シツォフォルメ・スパルトゥング(分裂病型分割)の全て

        S      P     Sch     C
      h  s    e  hy    k  p    d  m
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1。  0 −  0 −   0 −   0 −

2。  + −  + −   + −   + −

3。 + ±  + −  + ±  + ±

4。 ± −  ± −  ± −  ± −

5。 0 ±  0 ±  0 ±  0 ±

6。 0 +  ハ +   ハ +  ハ +
         (−)      (−)      (−)      (−)

1のようにすべて0−になっているのは、完璧というかこれ以上に分裂病であるという所見はない筈です。しかしこういうのはウン・レアリスティッシェ・スコレ、非現実的なスコアでありまして、4つの−は、3枚づつ嫌いであれば、各3枚で合計12枚になります。

ところが0反応っていうのは、高々1枚好きで1枚嫌い、1枚好きで嫌いなし、好きがなくて嫌いが1枚、或いは全然好きも嫌いもない、という反応ですから、0反応というのは+の方に1つ位しかとれないわけですね。だからすべてのベクタを合わせても4枚しかない、ところが、好きというのが12枚選ばれている筈だから、8枚足りないわけですね、だから、こういう1のような完璧なケースは、理論的には考えられるけれども、現実には、こういう所見は出てこない。

そして、次に典型的な分裂病のパターンは2列目のオール+−という反応で、純粋な、まじり気のない、右下がりの反応です。その次に、2に準ずるものとして+±という反応が考えられます。また、その逆に±−です。どちらも+\±、±\−のようにシツォフォルメ・スパルトゥングが読みとれるのです。それではこれで全部かというと、そうでもない。0±というものがある。これも0±の−の方を取れば\です。

更にもうひとつ、0+というのは、背景の状態を考えると、強さは半減されていますが±−です。その−の方を読み取る、つまり、0+の+の中に−というものを読みとることができる。しかも、それを、非常に重視して読み取らねばならぬ場合がある。

さて、この表の各要素が、どんな風に順列組み合せになってもかまわないわけです。No。6まで組合わせると、4ベクタの6通りですから255024通りのバラエティがある。これだけシツォフォルメ・スパルトゥングの種類がある、ということは、結局、分裂傾向の(衝動分割を持つ)人々は、かなり多く存在する可能性がある、ということが予想されるわけです。


(註)n個のものからr個とる順列は、
      nPr=n(n−1)(n−2)・・・(n−r+1)
                    、                                、
                    カ「「「「「r個の積「「「「「「「コ
  No.5まで・・・20P4=20×19×18×17=116、280
    No.6まで・・・24P4=24×23×22×21=255、024


しかし、だからといって、シツォフォルメ・スパルトゥングをもった人の、全てが分裂病であるわけではなく、決め手は当然、核心:ミッテにあります。すなわち、

         レベル    決め手としての核心
         ====================================
           1          0  −    0  −
           2          +  −    0  −
           3          0  −
         ----------------------  +  −
           4     + −
         ------------------------------------

上の表のレベル1、2に示した核心を含むものだけを分裂病として読みとるわけです。もう一度注意を喚起しておきたいのは、自我のところで、われわれが、分裂病という風にはっきり病気と診断できるのは、せいぜいレベル2までです。ミッテが少なくともこうでなければ典型的と言い難い。自我のところが単一傾向であって欲しいのです。ですから一歩ゆずっても、レベル3までです。

以上が分裂病かどうかの決め手になります。あと、ラントの方は、単一傾向であれば申し分ないのですが、ラントの純度が落ちても、許容度が核心よりもあるから構わない。核心が決め手の表のようになっていることがポイントです。こういう所見をまず頭に入れておくことが基本です。

そして、たった1回でも、核心に 0−0−!!、+−0−!!!、こういう反応があった場合、2回だったらますます、あ、これは被害妄想を主とする分裂病じゃないか、とピーンとくるように考えても、まず大きなまちがいはない。例外も、極端な場合は全く相反することも勿論ありますが。実際に、3までの、決め手以外のシツォフォルメ・スパルトゥングを指して分裂病と診断なさる方があって困るんですが、この表以外のシツォフォルメ・スパルトゥングと、決め手とでは、かなりの差があるわけなんです。

例えば金でも、純金、つまり18金以上のやつと、金が入っているといっても、ほんの少ししか入ってないものや、金メッキのものと比較すると同じように、値打ちが相当異なると思います。分裂病というマニフェストな疾患と、分裂病質とか分裂病様傾向ということとは、違うんです。素質や傾向も、いろいろなニュアンスがあって、例えばかなり分裂病的な色彩をもっているような反応として神経症のような場合もある。たとえば強迫神経症のあるものは、あまり強迫観念が強くて、妄想ともはや区別ができないような場合があり、治りも悪くて、よくわからない境界領域の場合がしばしばあります。それから、かなり性格が片寄っていて、分裂気質というか、類分裂気質というか、そういうケースもあります。それから正常範囲内なんだけれども、性格異常という程ではないが、ちょっと人づきあいが悪くて、ちょっと分裂がかっているが、正常範囲内でとおるというような、微妙な差に至るまであります。今日は、分裂病型分割というのは、これだけのバラエティがあるのだけれども、純度の高いものは、決め手の3までのところである。しかも、ミッテの所で純度が保たれていないと、そう簡単に分裂病と言ってはいけませんよということ、またさらに、分裂病型分割だけで診断できるのではなく、まだほかに、診断の根拠になることが沢山あるのです。

では投影的偏執型分裂病の症候群の総まとめに入りましょう。まず最初には、前からずっと話したことですから、今さら申し上げるまでもないことですが、衝動の分割様式が下図のようになっている。そして自我が最も重要で0−になっている。あとは大体こういう所見になっている。もちろん、Pが0−!になっていたらもっと典型的ですね。要するに下のようなのがシツォフォルメ・スパルトゥング、核心のところがパラノイデ・ミッテ(偏執病的核心)で、当然これはシツォフォルメ・ミッテということです。人格の中心部に於て典型的な偏執病的核心である、または、典型的な偏執病であればシツォフォルメであるということですね。

投影的偏執型分裂病の決め手

    S      P     Sch     C
  h  s    e  hy    k  p    d  m
----------------------------------------
  +\−  +\−   0\−   +\−  シツォフォルメ・スパルトゥング

            0  −!   0 −!          パラノイデ・ミッテ

また、例えばミッテが、±−0±、こうであってもですね、こういう不完全なものであってもシツォフォルメですね。要するにパラノイド・ミッテである、或いはシツォフォルメ・ミッテである、或いはもっと拡大して自我を含んで、他のベクタにまたがって、3つ以上がシツォフォルメ・スパルトゥングであればシツォ(つまり分裂)である。こういう特徴があるかどうかということを最初に見ます。その中でSchが0−であること、まあこれは0±でもいいんだけれども、自我は絶対0−の形であることが一番はっきりするんです。これがワのベクター像。

自我像が典型的には0−だということ。もっと典型的には0−!と、『!』がつくわけです。それから当然なことですけれども,s・hy・p・m が皆−になっていますね。これがパラノィデ・カム・シンドロム(偏執病的櫛症状)ですね。シツォフォルメ・スパルトゥングがあれば、偏執病的櫛症状が必ずあります。これが、分裂病であるかどうかの第1の決め手、1番最初の着眼点です。

次に重要な決め手は「衝動構造式」ですが、これは次回にします。

(この講義の続きは、「衝動構造式による精神診断」の項に記載される)。