3.人間の衝動構造=こころの構造

富樫 橋

実際に無意識はどのような形で活動しているのか,そしてどういう姿でわれわれの目に見えるのであろうか.人間の身体のなかで無意識は「遺伝子」の形で活動しており,「衝動」の姿で目に見えるのである.それは,図1のような,4種の衝動行為を生成する8個の遺伝子の働きで成り立っている.この構造全体は,そのまま人間の心の全体像を示している.つまり性と接触は,心の辺縁部で活動する動物的な衝動欲求(辺縁衝動)であり,感情とSch自我は,心の中心部にあって,人間的な自我機能と超自我機能(すなわち核心)の役割を受け持っているのである.衝動は人間の行動の根本的なものであり,人間の実存のすべてを決定し維持する.

衝動は「最も不完全な形の本能」(ソンディ)ではあるが,本能を制御できる段階にまで到達した構造体である.それは人間の一切の行動,態度,あらゆる欲求や要求,憧憬や欲望などを決定し,我々人間存在の最も深い暗い層にまで達すると同時に高度な人間形成の,輝くばかりの高みにまで作用するのである.それは,衝動の全体,つまり衝動構造の働きが「心」そのものだからである.

図1.人間の衝動構造

S 性衝動 C 接触衝動
h遺伝子 s遺伝子 d遺伝子 m遺伝子
エロス
タナトス
鬱・アナル
躁・オラル
h+
個人愛
欲求
s+
攻撃積極
サディズム
欲求
d+
探求好奇
変化欲求
m+
執着依存
口唇愛
欲求
h−
集合愛
欲求
s−
受動奉仕
マゾヒズム
欲求
d−
粘着留置
肛門愛
欲求
m−
離反自立
放浪欲求

P 感情発作衝動 Sch 自我衝動
e遺伝子 hy遺伝子 k遺伝子 p遺伝子
エピレプシー
ヒステリー
収縮緊張
拡大偏執
e+
良心善意
アベル欲求
(倫理性)
hy+
自己顕示
露出欲求
k+
投入同化
欲求
p+
膨張憑依
欲求
(意識化)
e−
憤怒殺意
カイン欲求
hy−
自己隠蔽
羞恥欲求
(道徳性)
k−
否定抑圧
欲求
無意識化
p−
関与投影
欲求

しかし,本当にこのような,無意識の内容を規定する物質的な遺伝子というものが,実際に存在するのであろうか.勿論,衝動遺伝子というのは作業仮説として設定されたものであるから,と名付けられ,ピンセットでつまめるような個々の遺伝子というものがある筈は無い.しかし,分析や治療にとっては,トータルとして,例えばh遺伝子と命名できるようなDNA配列,または配列の組み合わせと理解できるような単位活動現象が存在すればそれでよいわけである.

しかもそれどころか,現代の急激な遺伝子研究の成果は,ソンディが予言した通り,次々と特定の精神疾患を惹起するDNAの組み合わせや配列を発見している模様である.このような精神的現象の物質的基礎の存在は,実際に遺伝学の始まりから予想されていた.だがわれわれは将来,サディズムや分裂病,躁や欝を惹起するDNAを,単純にレーザーで焼いたりメスで取り除くような時代が来ないことを望むのである.

さて,衝動が最も高度な人間形成の高みにまで作用する場合を,衝動の昇華および衝動の人間化と呼ぶ.そして,そのよにうまくゆかない場合,衝動はこころのなかで調和を乱し,運命を歪ませる.まさにその点に注意を集中するのがソンディ心理学の実用的な目標なのである.衝動診断は,この8個の衝動生成遺伝因子のふるまいとそれを生み出した祖先からの遺伝圏を調査し,それらと運命形成の状況を診断する.その結果に基づいて,運命分析療法は,とくにマイナス方向への運命可能性がある人のために,衝動疾患治療の面で分析治療をするのである.また,運命変換法は,いまのところ社会適応範囲内にある人が,よりよいプラス運命の可能性を追求する場合に,趨性対象再選択の面で,分析指導しようとするのである.それらの関係の基本構成は次のように要約される.

表3.遺伝圏とそれぞれに属する個人の運命可能性

遺伝圏遺伝子型プラス運命可能性マイナス運命可能性
性衝動
遺伝圏
半陰陽/同性愛文化/文学的人間愛情的失敗者
サディズム文明/技術的人間性的疾患者
感情衝動
遺伝圏
エピレプシー倫理/宗教的人間道徳的失敗者
hyヒステリー演劇/芸術的人間発作的疾患者
Sch自我衝動
遺伝圏
緊張型分裂思考/学芸的人間自我統合失敗者
妄想型分裂創造/精神的人間分裂型疾患者
接触衝動
遺伝圏
鬱状態経済/国家的人間対人関係失敗者
躁状態言語/芸術的人間循環性疾患者


4.衝動遺伝子が要求する欲求充足目標は何か?

性衝動は,情愛の遺伝子と攻撃の遺伝子の組合せであり,その欲求は性目標との結合欲求および性的活動欲求の充足を追求する.

発作衝動は,個人の内部に向かう発作衝動の遺伝子(癲癇)と,外部へ向かう発作の遺伝子(ヒステリー)の欲求から成立つ.欲求は内面的な「殺すな」という法則を態度に現わすようにさせ,hy欲求は外面的な羞恥の限界つまり人間が社会に対して隠さねばならないものと,どの程度見せびらかしてもよいかの限界を決める.この感情的活動の方向と質と量を追求する.従って発作衝動は,倫理・道徳的態度の調整である.

自我衝動Schは,自我を拡張する欲求(自我拡大)と,自我を制限する欲求(自我収縮)との組み合わせである.この2つの欲求は無意識的な自我生活の統一と健全を確立しようとする目標を追求する.

接触衝動は,「対象を探求しそれに粘着する欲求」と,見出された対象を確保する欲求,つまり「依存と離反の欲求」との組合せである.

表4.衝動遺伝子の欲求充足目標

ベクタ(衝動)ファクタ(遺伝子)態度充足目標
Sexualtrieb
性衝動
Hermaphroditismus
Homosexualitat
両性/単性情愛結合
Sadismus能動/受動攻撃結合
Paroxismaltrieb
発作衝動(感動)
Epilepsie殺意/禁止内的発作
hyHysterie露出/隠蔽外的発作
SchIch-Trieb
自我衝動
katatone Schizo.同化/否定自我制限
paranoide Schizo.膨張/投影自我拡張
Kontakttrieb
接触衝動
Depression Zust.変化/不変対象探求
Manie Zust.依存/離反対象確保

あらゆる衝動は2つの傾向をもつ.第1に,衝動は感情や知的活動を決めるのではなく,行動および態度を決めるのである.第2に,衝動遺伝子は,常にもとの状態に戻る性質があるため,衝動欲求は「充足」を目指すのである.これらの衝動遺伝子のふるまいは,人間活動の現象像をさまざまに変化させる.これらの多様な変化の可能性を,単に,個々の衝動ファクタ(遺伝因子)の「運命可能性」という.この変化の能力は,「人間は決して唯一つの,あらかじめ定められた運命だけを歩まなければならいのではなくて,多くの運命可能性をもつ」ている存在であるということを物語っている(詳細は次表5,6を参照).

表5.衝動遺伝子の基本的な振る舞い

表6-a.衝動遺伝子の現象像と運命可能性

表6-b.衝動遺伝子の現象像と運命可能性