遺伝する無意識の発見
富樫 橋
この本を手にする人は,当然,無意識のこと,その働きや役割について知っていることと思う.しかし,無意識が発見されたのはいつ,だれが発見したのかとか,祖先から遺伝する無意識があるといったことについてまで,知っている人はあまり多くないのではなかろうか.
心理学徒ならばすでに知っていることと思われるが,例えば精神分析が治療の対象とする精神外傷は,幼児期から青年期にかけて形成された無意識の層に留まっていて,後年の神経症の原因となる.だが,その人に子供ができた場合,親である彼の精神外傷は,全く子供に遺伝することはあり得ない.親の個人的体験だからである.
しかし,無意識のさらに深い層に遺伝素質という形で滞留している無意識は,父母や祖父母や曾祖父母などの祖先から,遺伝子の形で受け継がれた素質だから胎児にくっきりと刻印されるのである.
この無意識もまた,外傷という無意識と同じく,身体および精神にいろいろな影響を及ぼし,人生行路をねじ曲げたり,病的な障害を引き起こす原因になる.これが「祖先から遺伝する無意識」であって,始めは精神分析ですべて治療できるのではないかと期待したフロイトが,後年になって,全く歯が立たないと,はっきりと告白しているのである.
このような事情を,ソンディは,1963年5月31日に書き上げた「運命分析療法」(542P)の序文で紹介し,つぎのように自分のやるべき仕事に結び付けて説明している.
『フロイトは「祖先から遺伝された無意識」を「素因的なもの」と言っている.ここで,フロイト自身の言葉を,「終わりある分析と終わりなき分析」(1937)から引用することにしよう.フロイトは精神分析が成功した症例と不成功だった症例の病後歴を考察して,次のように述べている.
「精神分析にとって,外傷性の原因の方が素因的なものよりも,はるかに治療しやすいことは疑う余地がない.精神分析が見事な治療実績をあげることができるのは、主に精神外傷が原因である場合だけであって,その外傷の適切な解決による自我の強化のおかげで,幼時期に起こった問題の解決を補うことができるわけである.それゆえ,ただ外傷因の場合においてのみ,分析が最終的に終了したということができる.」
さらに,フロイトは,分析が<終結不可能>のなかで延々と持続するいろいろな原因について答えている.
「素因的な衝動の強さと,それにたいする防衛闘争で,自我が不適当に変化したことなどが原因なのである.それらの原因が分析の作用を無効にし,分析の期間をいつまでも長びかせる.そこで前者,つまり素因的な衝動力に,後者の形成,つまり自我変化の責任を引き受けさせる試みもされているが,自我もまた固有の病因論を持っていて簡単にはいかない.もともとこれらの関係は充分に知られていないことを認めねばならない.それはやっと最近になって精神分析学的研究の対象となってきたのである.(Bd.16,S.64.)』
フロイトはこれを書き記した2年後にこの世を去ったので,これは彼の遺言とも言うべきものである.しかしフロイトの弟子たちの中には,この「遺伝する無意識の領域で活動する衝動のふるまい」を,科学的に研究する人は現れなかった.ただ,ひとりソンディだけが,フロイトの遺志を継いだのである.ソンディはさらに続ける.
『この重要な,しかも彼の弟子たちからほとんどまったく忘れられ、それどころかおそらく抑圧されてしまった主張にたいして,フロイトは次ぎのような批判を付け加えている.
「私には精神分析家の興味が今やまったく正しくない方向に向いているように思われる.私はすでに,いかなる治療が分析によって成り立つかという問題は充分に明かにされたと思う.今後はそのような研究に代わって,分析的治療の前途にどんな障害が立ちふさがっているかという問いが発せられなければならない(S.65).」
われわれはここでフロイト的な答えをくりかえすのである:終わりなき分析における障害は素質的なるもの,すなわち衝動障害と自我障害の病因論における遺伝的要因である.そしてこれらの障害要因は精神分析家たちによって研究されるべきであり、いかにして障害の影響を減少し,あるいは迂回することができるかという道を探求しなければならない.これでわれわれはフロイトの要請から出発した運命分析の,特別な目標設定と使命をすでに言葉で言い表したことになる,すなわち:運命分析は,遺伝的に規定された素質的なもの,衝動の変化と自我の変化にたいして新しい治療の道を探求したが,その方法は終結可能であることが判明した.精神分析は,個人的な生活で獲得されたいわゆる<外傷的な神経症>にたいして<名人わざ>のように機能を発揮する治療処置である.しかし,ただそれだけに過ぎない.運命分析は精神的障害の発生と原因のなかに,遺伝的要因がおどろくべき役割を演じているケースに適用されるべきである.』(L.ソンディ「運命分析療法」序文より)
では,この「遺伝する無意識」の領域で活動する衝動はどんなふるまいをするのだろうか.フロイトの言葉から,分析を困難にさせる厄介な無意識だということは何となく分かるが,いくらフロイトの著書を読んでもこれ以上のことは書かれていない.そこで,本書は全篇にわたって,ソンディの著書から,それに関する知識と技術のエッセンスを抜き出して紹介する.とくに遺伝された無意識は個人の運命をどのように左右するのか,その状態をどうやって調べるのか,どのようにして運命を診断するのか,その病理と治療法はどのようなものか,運命はどうやって変換するのか,それらの方法と技術を,誰でも学ぶことができ,実際に応用できるように説いたものである.実際に,ある種の直感力を持つ一部の読者は,本書に記載された項目の中から,啓示的な部分を拾い読みしただけで,ある程度の運命分析能力や人間洞察力を獲得し,それを利用することができると思われる.
さて,それではフロイトが手を焼いた,遺伝する無意識の世界に入る前に,常識として知っておかねばならない無意識発見の歴史と,ソンディ以前の無意識(フロイト,ユング)について簡単に復習することにしよう.
1.無意識発見の歴史
力動精神療法の起源は,その祖先やそのまた祖先がつくる長い一本の線を辿って遠い過去まで遡ることができる,と「無意識の発見1)」の著者エレンベルガーは言っている.彼によると,現代の精神療法が用いる技法で,形こそ違っても未開人や古代人がすでに使っていたものが少なくないということが最近判ってきた.それだけではなく,現在では,それと似ている方法が全く存在しないような,微妙きわまる治療技術が,かつて存在した証拠さえ出てきたという.原始であろうと現代であろうと,精神療法が治療する目標,標的は,無意識の層に潜んでいる「病気の原因」すなわち「無意識の不都合な内容変化」であることには変わりない.古代人や原始人は,昔から,精神の病を巧妙な方法で手なづけてきたのであった.彼らの手なづけ方を注意深く調べてみると,現代の非常に進歩した精神療法と同じく,ちゃんとした無意識治療の2つの原理に則していることがわかる.
- 1) A.エレンベルガー,(木村敏,中井久夫監訳)「無意識の発見」,弘文堂.
ここで彼らが開発した「無意識治療の2つの原理」をひもといてみたいと思う.この2つの原理は,1病気の原因の考え方つまり「無意識をどんなふうにとらえていたのか」ということであり,2は治療の方法つまり現代的に言うと,「無意識をどのようにして意識化させたのか」ということに等しいのである(表1).
エレンベルガーの「無意識の発見」には,これらのことについての詳細な報告が記載されている.主要な情報を要約してみよう.
表1 原始精神療法における無意識の概念
報告者 地域/種族 |
病気の原因 無意識のとらえ方 |
治療の方法 無意識の意識化の方法 |
---|---|---|
フランツ・ボアス報告 カナダ,クワキトール族 |
病気物体の侵入,骨片 小石,木片,みみず等 |
シャーマンが自分の口で血まみれ の疾病物体を吸い出す |
アドルフ・バスティアン報告 南米ギアナ |
病気物質(毛虫) | 感覚喪失状態にする 病気物質(虫)の摘出 |
クセノフォントフ報告 シベリアのシャーマン |
魂が行方不明になった | シャーマンが脱魂状態になり 魂を追跡して連れ帰る |
フェデリコ・ロサス報告 ペルー,ケチュア族 |
1 驚愕による霊魂亡失 2 呪いによる霊魂亡失 |
民間治療者による治療祭典 モルモットで身体をマッサージする |
エスターライヒ報告 地中海世界(ギリシャ) ユダヤ/キリスト/回教徒 |
悪霊が患者の体内に入り 体を乗っ取る,憑依 (夢遊憑依/覚醒憑依) |
1 機械的に精霊を追放する 2 精霊を他の動物に移す 3 魔術(エクソルシスム) |
フォン・ベルツ報告 日本 |
動物霊が憑依(狐) | 伽持祈祷師(日蓮宗)が狐 退散の呪術を行う |
グレベール師報告 コンゴ・ウガンダ |
タブーの侵犯(=罪) 戒律違反(性,酩酊禁忌) |
祭司に対する告解 |
ラグノー神父報告 北米インディアン |
欲求不満(物質,金,状態) (郷愁病・恋愛病) |
占い師が夢の主題を実現さ せてやる(夢の祭典) |
レビーン博士報告 エジプト |
性的不満 (神経症,ヒステリー) |
ザール祭儀(満足治療) |
ルイ・マルス博士報告 ハイチ |
自己実現不満 | ハイチ公衆が地位を与えてやる |
ル・バルビエ報告 マダガスカル |
想像上の病気 | 王様の待遇を受けさせる |
フリーランド報告 ポモ族 |
ある霊との遭遇 | 心的外傷,部族神話の 再演儀式 |
スティーブンスン女史報告 ズニ族 |
集団治療,心理劇 治療師結社 |
|
ローラ・アーマー女史報告 ナバホ族 |
呪医の創造神話再演の 儀式 |
この表の最初の2項目の病因を見ると,無意識の内容変化を「病気物体の体内侵入」という科学的な思考法で考えていたことが判る.フォレスト・クレメンツによれば,病気物質の体内侵入説は旧石器時代に旧世界を中心として成立したと仮説している.
無意識=霊魂
次の霊魂亡失説は,旧石器時代後期のシベリアを中心として世界に拡散したらしい.この頃になって始めて無意識の不都合な内容変化=霊魂失踪と考えるようになったのである.つまり無意識=霊魂である.霊魂の概念の発生は,完全に非物質的な観念であり,そのような抽象概念の発生は,高次精神機能が発達してきたためなのか,あるいは原始のころには素朴な形で統合していた人間の自我が,生存競争の激化による恐怖刺激のおかげで関与妄想が発育し,霊魂という超人間的存在を設定空想しなければならないようになったのか,恐らく両方の理由によるのではなかろうか.これが文化発生の根元であると思われる.
無意識=悪霊
さて次の悪霊体内侵入説は,約100万年前の更新世の終末期に,アジア西部を中心として成立したらしい.いままでは,自分の中に棲んで,自分の身体を正しく操縦している霊だけがおり,それが逃げ去ったり失踪しなければよかったのだが,この時代になってやっと,自前の霊のほかに,どこか別のところから,たちの悪い悪霊という厄介な非物質が侵入してくるという考えが起きたのである.それは何らかの方法で除去しなければ仕方がない.この段階で,無意識内容の不都合な変化は,悪霊,つまり無意識=悪霊ということになったのである.
無意識=意識的行為
タブーを侵したために病気になるのだという考えは,比較的近時に,同時的に旧世界,シベリア,アジア西部の3地域で発生したとされている.これは例えば食物禁忌や性交禁忌を侵した罪に対して病気という罰があたるという思考法である.罪の概念は集団的社会が形成した時に発生し,同時に社会的タブーも発生した筈である.それと同時に集団の掟を守るべしという戒律宗教も発生したに違いない. 罪とは個人的な無意識的なものではなく,社会的規範を侵し,共同体に危険を及ぼすという意識的な過誤の結果である.それゆえ「お前が今,罰として苦しみを味わっている病気というのは,きっと何らかのタブーを破ったからに違いない.たとえ身に覚えがなくてもお前は戒律を破っている.そのような病気は宗教的に懺悔すれば罪を許してもらえるのだ」という取引的な機構が社会に形成されたわけである. こういう次第で,病気の原因である無意識内容の不都合な変化は社会規範の意識的侵犯,すなわち意識的行為に還元される.つまり無意識=意識的行為である.ここに無意識の無視や,人間イコール刺激と反応存在という,社会心理学的ないし行動主義的な還元主義の祖先像を見るのである.
しかし,現代でも,反社会的行為たとえば政治家や官僚の一部が,明らかに意識してしばしば嘘言を吐き,また,しばしば汚職行為をして露見するが,懺悔どころか,それ以前の自己清浄化儀式ともいうべき「みそぎ」によって,特定部落における村八分の状態が解除されるという原始部族的国家も存在する.またその逆の集団現象として,「宗教的ミニ社会の集団規範を持つ団体」がサリン散布を実行し,「国家というマクロ社会の集団規範」を侵犯する,という事件が発生する国もあるのである.集団規範同士の闘争は,双方ともに確信犯であり,また,本質的に宗教戦争であるから,地域紛争でも民族抗争でも,つねに意識的行為とみなされるのである.
無意識=0
欲求不満を受容し,どんな欲求でも満たしてやるという治療法は,何という直接的な,単純な,おおらかな治療法ではないか.とくに患者を壇上にまつりあげ王様の衣装を着せ,欲しいものやご馳走を捧げるとか,町の人が,自己実現できない患者に,そうなりたいと思っている職業を見つけてやったり,用意してやるという治療法は,現代においてもっと見直すべきではないだろうか,とエレンベルガーは言っている.この「極限の来談者中心療法」ともいうべき治療法の基礎となった思考法は,明らかにフロイトの言う意味での精神外傷,充足されない願望や個人的な欲求不満の解消を目的にするものであるから,彼らが考えている無意識は個人的無意識に他ならない.ただ彼らは治療に際して,無意識や霊魂の働きを無視黙殺して,直接的に患者の欲望を満足・充足させるから,無意識=0ということになる.極端に言えば彼らはフロイトと同じ程度に個人的無意識の存在を知っていた,ただ残念なことに,彼らのボキャブラリーには,まだ無意識という言葉がなかった,というより,そんな観念は必要がなかった.彼ら未開人たちは現代人に全くできない贅沢な方法で,直接満足主義の治療を日常的にやってのけていたのである.直接主義であれば余計な概念や学問は要らないし,現在でも引き続き必要がない.
部族神話を演劇芸術的に再演する儀式によって治療する思考法は,ユングが研究した世界そのものである.それが個人的神話として小さな砂場の舞台装置の上で展開させる儀式が箱庭療法であろう.それゆえ心理劇や箱庭法の祖型としての神話再演儀式の思考法は,まさに無意識=集合的無意識にほかならない.ただこれも,未開の部族たちの用語に,無意識という言葉がないだけに過ぎないと思われる.したがって彼らの側から見れば無意識=0である.
無意識=磁気
旧石器時代から始まって,以上述べたような高次精神機能の現れである精神療法があったということは驚くべき事実である.さて舞台は1775年,力動精神医学が成立した時に移動する.原始療法を文明世界に適応させた・魔師ガスナーは,多くの奇跡的治療で名声を博していたが,その有頂天を内科医師メスメルが催眠術の前身である動物磁気術で押し退けた年である.メスメルにとって,無意識=磁気であった.
その弟子ピュイゼキュールは,メスメルが発見した分利(クリーズ)と呼ぶ覚醒催眠と,交流(ラポール)を催眠治療に向けて完成し,「未知の精神力が働いている」という洞察をもたらした.これが「無意識の概念」を初めて暗示した言葉ではなかろうか.
1850年代は文明世界の全地域に心霊術の波が襲い,間接的だが心理学者や精神病理学者に精神への新接近路を提供するというブームが襲った.1860〜1880年の時期になると催眠術師たちが,患者の多くが,ほんとうはかかっていないのに,催眠にかかったふりをしていたことに気がつく.そして催眠術が詐病を起こさせる傾向があるとの悪評とともに衰退してゆく.しかしフランスのサルペトリエールとナンシーでは大学レベルで関心が高まり,シャルコー,リエボー,ベルネームらとその後継者たちが催眠術を契機として神経症から多重人格にいたる多種の病理学的研究を累積して行くが,次第に関心はヒステリーの領域にしぼられてゆく.サルペトリエール学派の頭目シャルコーの口癖は,「覚醒時に含まれる夢の割合は途方もなく大きいというが,実はそれ以上だよ」であったという.彼は意識されない「固定観念」を,神経症の核となるものだと指摘した.この二つのイメージから現在通用している意味での「無意識」という用語が生まれるには,やはりフロイトの到来が不可欠だったのであろう.
フロイトは1885〜1886年に4ヶ月間サルペトリエールに滞在している.彼がナンシー大学を訪れたのは1889年でベルネーム,老リエボーと2〜3週間過ごした.「催眠後記憶喪失は,一般に思われているほど完璧ではない」というベルネームの説がフロイトに感銘を与えたという.
無意識=下位人格群
以上約100年間の経過を要約したが,彼らが作りあげた共通のイメージ,人間心性のモデルは,意識的心理体制と無意識的心理体制の二重性モデルであったといわれる.
1869年,ドイツロマン主義哲学の巨頭,エードゥアルト・フォン・ハルトマンは,有名な「無意識の哲学」を発表,ブームは最高潮に達した1).この時フロイトは13歳,ジャネ10歳で,ドイツ語圏ウイーンとフランス語圏の2人の多感な少年たちに,長じては天職として追求する無意識の概念が降り注がれたのである.このときユングはまだこの世になく6年後に,ソンディは24年後に生まれている.
フロイトは1893年,エンミー夫人の症例報告の脚注にはじめて無意識という用語を書いた.だが,ジャネは1889年に「心理学的自動現象」を発表,無意識の概念はフロイトに先立つて考えていたと優先権を主張した2).どうやらこの辺が論文や出版物に「無意識」が現れた最初であるらしい.だが実際には,1870〜80年代には,あちこちで同時多発的に無意識の,とか,無意識的な,とか,それこそ無意識的に言うようになっていたのではなかろうか.
- 1) A.エレンベルガー,「無意識の発見」,上巻,弘文堂,p.248
- 2) フロイト著作集6,人文書院,p.437
しかし厳密に言えば,結局この時期における無意識の共通認識は「意識される単一人格とその基底に存在する下位人格群のゆるやかな集合」というモデルであった.すなわち,無意識=下位人格群である.以上のように,フロイトが登場する以前には,「黎明期の力動精神医学」が一世紀間存在したのであった.その主役は勿論催眠術なのであった.
遺伝しない無意識 1:個人的無意識(フロイト)
後天的に作られる個人的外傷体験の層
『精神分析が誕生したのは,フロイトによれば1900年である.この年に「夢判断」が出版された.それ以来私たちは,精神分析を,「抑圧と抵抗(防衛)の理論,小児性欲の設定,および無意識を理解するための夢とその利用」であると理解してきた.』と,ソンディは衝動病理学第2巻「自我分析」の,深層心理学における現代の潮流(S.19〜36)で書いている.そして次のように続けている.
- 『フロイトは,転移と抵抗の事実をふまえた精神分析理論の特質としてつぎの3項をあげた.
- 1.無意識的な精神過程を仮定すること.
- 2.抵抗と抑圧の理論を容認すること.
- 3.性欲とエディプス・コンプレックスの価値を承認すること.
この精神分析の三徴候(トリアス)を認める人だけが,フロイトによれば精神分析家と呼ばれても良いというのである.しかし後になって,彼自身精神分析を「意識にのぼらない,深層の精神過程の理論=深層心理学」と呼ぶようになり,そうなった深層心理学は,次第にトリアスを認めることができなくなり,それを一部否定しようとする共同研究者が参加する,幅広い「精神的無意識の科学」となってきた.』
このようにして,旧石器時代から無意識という概念に限りなく近づこうとした人類の用語探索は終わり,やっと無意識=無意識になった.だがそうなったらなったで,言葉の物神化に伴ういろいろな問題が起きるのであるが,それはしばらく措くことにしよう.とにかくこのような用語論(スプラッハリッヘス)は,その渦中にある当事者たちは,あまり意識しないようである.
さて早い時期に催眠術を放棄したフロイトは夢判断を書いた後,「日常生活の精神病理」,「性に関する三論文」,「強迫行為と宗教的行為」,「妄想と夢」,「性格と肛門愛」,恐怖症,強迫神経症の研究や,音楽家マーラーの治療などを通じて,人間が誕生後に受けた精神外傷が原因で後になって疾患を引き起こすという無意識の仕組みを明らかにしていった.
結局フロイトは「個人的な無意識の層」を研究したのであった.彼の先駆的な仕事の本質は,小児性欲,エディプス・コンプレックス,抑圧,防衛,転移などの概念を用いて創始した「精神分析」という認識−治療技法である.具体的には,患者が後天的に,個人的に体験した精神的な外傷が原因となって起きる「症状」を,分析治療家は,患者が意識下に抑圧した外傷体験を意識化するのを援助し,自我の解放と強化を期待するのである.「抑圧したものは症状として現われる(ソンディ)」のである.その「症状が発する言語」は「夢というテスト結果」を解釈することによって分析される.この領域は明らかに個人的な無意識の層である.だがそれは誕生後に個人的に体験され抑圧されたものであるから,遺伝されたものではなく,次代に遺伝することもないのである.
- 注:フロイトの学説が二つの離反運動を経験したのは,精神分析学の創始から10年も経過していない.まずアドラーが個人心理学の名のもとに離脱し,1913年にユングが葛藤心理学ないし分析的心理学という方向へ独立した.アドラーは深層心理学のなかに社会的,対人的関係の問題を導入し,アメリカ学派----フロム,ホルネイ,サリバンらに影響を与えた.彼はフロイト自身が認めたように「自我心理学」の前進に寄与したが,次第に無意識の価値を認めない傾向に陥り,自然に深層心理学の枠から離脱していった.しかしユングの分析的心理学は,無意識の理論に忠実であり,新しい知見によって自らを豊かにしていった.
遺伝しない無意識 2:集合的無意識(ユング)
人類共通の観念形成傾向から作られる無意識の層
ユングのことはまず,夢と象徴について知る必要がある.「夢の象徴性」の本来の発見者はシェルナー(1861)であり,フロイトはその本質である原始的精神,象徴共同性を知りながら,あくまでも,性的欲求の「願望充足」と考え,夢と空想,象徴も,性の牢獄に閉じこめてしまったのである.1911年にユングは,前の年にジルベレルが発表したものと同じような夢についての見解に達し,次のように述べた.『夢は「願望充足」であるという有名なフロイトの見解に対して,ソンディおよび彼の友人であるメーダーは,「夢は象徴的な形で,無意識が積極的に自発的に表現したものである」という見解をとっている.彼らの考えは,ジルベレルに近いと言えるであろう』.
ユングは,精神分析の症候学的解釈と集合的無意識の象徴的解釈の違いの実例として「ワッチャンデイスの地球の穴」をあげている.『もし,誰かが地球の穴を女性の性器の標識として意義づけるならば,この解釈は単に症候学的なものであるに過ぎない.だが,もし,地球の穴を象徴として,「非常に実り豊かな大地である女性という観念」と意義づけるならば,それは元型を表現している.』
このようにしてC.G.ユングは,「集合的な無意識の層」を研究したのである.その仕事の本質は,自己,元型(影,アニマ,アニムス),象徴,個性化,葛藤,補償などの概念を用いて創始した「葛藤分析,象徴分析」という認識法と治療法である.具体的には,原始人類誕生時に獲得し,現代まで全く変わっていない観念形成力が生み出す先天的元型像の存在を承認し,その元型像と患者との葛藤が原因となって起こる病気を,治療家は患者に属する「象徴」によって理解し,意識化させることで治癒させ,個性化による人格完成を目指すのである.その「象徴が発する言語」は,「連想やコンステレーション(布置)というテスト結果」を解釈し,あるいは影人格を分析することによって理解される.この領域は集合的無意識層と呼ばれる.ユングは「原始人類が抱いていた観念とまったく同じ観念を,現代人が抱いている」ことを研究し,証明したのであった.だがそれは「元型的方向への観念形成の趨性が人類的な遺伝性質(ユング)」であっても,集合的無意識の内容そのものが遺伝するのではない.しかも,次項ソンディの家族的無意識のような,直接の祖先から遺伝子媒介によって,家系的に遺伝する生物学的基礎をもったものではない.
2.遺伝する無意識:家族的無意識(ソンディ)
祖先から遺伝子を介して伝達される衝動傾向の層
1937年,フロイトの個人的に抑圧された無意識の層とユングの集合的無意識の層の中間に,第3番目の研究方向が出現してきた.ソンディの「運命分析」という深層心理学的理論である.その研究は家族的無意識の層を解明するもので,個人のなかに抑圧されている祖先の欲求が,恋愛,友情,職業,疾病,および死亡における無意識的選択行動によって運命を決定する事実を研究の対象とするのである.ソンディが運命分析という名称を選んだのは,次の理由による.ソンディは単に精神だけでなく身体も,衝動や遺伝性質だけでなく魂の作用も,更に現世だけでなく来世の世界の現象も,彼の深層心理学的研究の中心においたのである.なぜなら遺伝情報は,祖先から我々を経由して子孫に伝わる運命の設計図だからである.また「運命」という言葉は概念的に肉体と魂の総合であり,遺伝と衝動,自我と霊の総合であり,あらゆる人間的現象と対人的現象の此岸と彼岸の総合であるからである.こうして一つの運命科学となった運命分析は,独特な精神診断学と精神療法を作り上げたのである.
運命分析は,精神疾患や精神障害を決める遺伝素質が,決して単一なものではなく,二重に設計されていること,すなわち病的な遺伝素質は,同時に高度な精神能力の素質でもあるという事実を証明するのである.例えば癲癇−宗教・神学,分裂病−精神医学・精神病理学,躁鬱病−芸術・絵画等々.このような二つの方向のいずれを選択するかを決めるのは,環境要因や天賦の要因のほかには自我である.かくして運命分析は無意識的選択行動の心理学となった.その応用領域は「運命疾患」すなわち恋愛,友情,職業,趣味における選択行動障害の領域であり,身体的な病気および精神的疾患の選択,とくに犯罪形式の選択,神経症の種類の選択,さらに死亡様式(傷害,殺人,自殺)の選択の領域である.
このようにしてL.ソンディは「家族的な無意識の層」を研究したのである.ソンディは,人間における無意識を構成する根本的な要素は性,感動発作,自我,接触の4つの衝動であり,それを構成するのはh,s,e,hy,k,p,d,mの8つの遺伝因子の働きであるとする作業仮説を立てた.そして,個人が帰属する家系的な遺伝圏,遺伝趨性(結婚/職業/友情/疾患/死亡の趨性)祖先の欲求と祖先像,その自演などの知見と学説を構築し,それを測定し記号化するテストを考案し,「衝動病理学,衝動診断学,自我分析,運命分析療法,リンネ式表,衝動統合を失った人々」などの業績を築いたのである.
具体的には個人の,家系的に遺伝する祖先の欲求が原因となって起こる不都合な実存形式や病的な自演1)を,患者の「選択」によって理解し,衝動の社会化2)や打槌法3)などによって治癒させようとするのである.この「選択が発する言語」は,「ソンディテストの結果」を分析することにより解読−解釈される.衝動の社会化とは,個人の運命に危険をもたらすような遺伝負因を,結婚や職業,友情関係などの形で社会化・人間化させ,その衝動エネルギーを無害なものにするのである.
また,テストの結果として現われる前景,理論背景,実験背景の各プロフィルは,それぞれフロイトの精神分析,ユングの補償(影)分析,ソンディの予後分析ないし遺伝負因分析に対応しているので,同時に3種の分析を紙上で行なうことができる.それゆえ,ソンディはフロイトの個人的無意識の層とユングの集合的無意識の層との間に横たわる深い断裂を,家族的無意識の層によって架橋し,深層心理学を統一したと言われるのである.そして,この家族的無意識だけが,祖先からの運命情報を伝え,私たちの運命を左右し,さらに子孫にまで影響を与え続ける「祖先から遺伝する無意識」であり,フロイトが手を焼いた素因的なるものである.では,それら無意識はどんな姿で現れるのであろうか.その答えは,
「意識の状態は,衝動遺伝子の活動状態の形で可視化される」
というものである。この「衝動遺伝子の活動状態」は,ソンディ・テストを施行し記号化することによって目に見えるようにすることができる.テスト結果は,前景,理論背景,実験背景の3種類のプロフィルが得られ,そのうちとくに実験背景プロフィルが「素因的なもの」に該当する.
- 1)祖先像の自演:「個人が,自分の意志で運命を形成しつつあると思っていても,結局は祖先の満たされない願望を満たすために,自らを演じているに過ぎない.しかもそのことに気付いていない状態」.(第5章,運命分析療法で詳述).
- 2)社会化:社会にとって不都合な衝動は職業を通じて有用化され無害化される.
- 3)打槌法:運命分析治療の技法の一つ.ハンマーシュラーク法.
表2.遺伝の水準から見た無意識,衝動,本能 ============================================================= 後天的形成 人類共通概念 祖先から遺伝 生物的に 個人的無意識 集合的無意識 家族的無意識 プログラムされた (Freud) (Jung) (Szondi) 発育計画 ============================================================= 衝動(前景) 衝動(理論背景) 衝動(背景全体) 本 能 (VG-Trieb) (Th.HG-Trieb) (HG-Trib) (Instinkt) ------------------------------------------------------------- 個人的欲求 元型的観念葛藤 祖先像自演 生理的変化現象 ------------------------------------------------------------- 教育可能性 個性化可能性 社会化可能性 出生時設計完了 ------------------------------------------------------------- 外傷治療機能 神話産生機能 運命変換機能 生存機能 -------------------------------------------------------------
ここで読者は,本書の第2章に移って,自分の無意識の状態がどのような姿になっているかを知るために,「ソンディ・テスト」または「Wテスト」を施行することが必要であろう.心理学や精神病理学の専門家なら前者を,一般の方は後者のテストが簡単でよいと思われる.とにかくやってみることをお奨めする.そのテスト結果を見ながら,第2章に記述されたソンディ独自の「人間の衝動構造」すなわち「こころの構造」を読めば,より速やかにその考えを理解することができ,時間の節約になるからである.さらに,衝動が,「個人の実存の世界でどのような現象を発生させ変化させてゆくのか」を一覧できる「現象形態の変遷表」を見れば,自分が人間全体の中で,いったいどのあたりの位置に存在しているのかを,いち早く知ることができる.もちろん自分だけでなく,他者の実存位置(Existential Positionning)も洞察できるのである.